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2015.06.26 さいはてはさいはてであって寿司ではない。 のが、とても寂しい。 しかしあの言語センス(センス?)は羨ましい。 を通り越してあきれる。 ええと、「さいはて」を読んできました。 しかも一話から一気に。 寿司 虚空編と88月とねぎ姉さんも少々。 つまり少しぐらいチューニングが狂ってもしょうがないんです。 ちょっと前からはまってる作者さんの作品です。 習慣性のあるシュールレアリスムって感じの作風です。 おススメはしません。 自分でも何をどうおススメしていいのか分からないんです。 しかし気付くと巨大数について考えている。 という呪いのような、麻薬のような… いいたとえが出てこないな。 今ふと思ったんですが わたしは好きなものを好きだと伝えるのが下手なのかも知れない。 好きな人にも同様に。 なんだただのコミュ症か。 拍手と投票ありがとうございました! |
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2015.06.24 ううむ、どうも衰えた気がする。 以前より重たい物を持てなくなったし 以前ほど走れなくなった。 ような気がする。 気がするのに。 言動だけが中学二年生からまったく変わっていない。 と気がついて、そんな自分がちょっと嫌いじゃないけど このままじゃいかんって思いました。 さて、どうしようか。 大人な言動を心がけるか。 無理だな。 まあいいか。 拍手とメッセージありがとうございました! 白味噌うまいさんへ(↓反転してください) 数年前から来てくださっているとの事、ありがとうございます! わたしの書いた文章で幸せになってもらえるなんて こんなに嬉しい事はありません! お探しの件ですが、たぶんこれじゃないかと思います。 『夜の子供5』の隠しリンクから繋がってます。 特に意味はないんですが、隠したい気分だったんです。 なんとなく昔から、ふと読み返したくなる文章に憧れてました。 誰かにとって、そんな存在になれたのかなーと ちょっとはしゃいでます。 拍手と【愛】とメッセージをありがとうございました! |
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2015.06.22 夏至 「暑いって言うから暑いんだ!」 「そうか」 「ためしに寒いって言ってみ!」 【寒】 「あ、なんか悲しくなってきた…」 【冷】 「それは俺のじゃない!」 【憂】 「それはだいたいいつもだろ」 【無視】 「それはやめてぇ!」 【悲】 「ど、どうした!」 「うるせぇ暑い消えろ」 「ああなるほど、喋るって大事だよね!」 「お前がいつもやってる事だろ」 「俺はいいんだよ!」 ところでみなさん。 感情の一文字、どう読んでますか? わたしはほとんど音読みです。 愛=あい、友=ゆう、喜=き、怒=ど みたいに。 友と憂、どっちも「ゆう」です。 だからなんだと言われても困る。 留守中に拍手と投票ありがとうございました! M.Mさんへ(↓反転してください) 魔人・九龍のご新規さん、とても嬉しいです! ファンサイトとしての需要はもうほとんどないと思ってました。 でも、今ではもう彼らはわたしの一部になってます。 ひょいと書きたくなるので、今でもこっそり増えてたりする… かも…? そして、放置された雑記にも反応してくださってありがとうございます! あれからわたしも寝ながらもやもや考えてたんですが やっぱりわたしの定義する思考は、あくまでも手段なんですよね。 いってみれば道具のようなもの。 目的がなければ、意味のないもの。 目的を設定する思惟こそが、デカっちゃんの言う自我なのかなー と、ぼんやり思ったりもしてました。 こういうネタにレスポンスがあると、やっぱり嬉しいですね! わたしも素人なうえに下手の横好きで駄文を書き散らしてます。 今では読み返すのが恥ずかしいどころか怖いぐらい古い文章もありますが 楽しんでいただけて本望です! 拍手と【友】とメッセージをありがとうございます! よき魔人九龍ライフを! |
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2015.06.15 あああ油断してたぁ! カレーがあああぁ! 梅雨のばかやろう! という皆守を思い浮かべて自分を慰めています。 この、食材を捨てる時のえもいえぬ苦痛はなんだろう。 他の誰でもない自分が悪いという、絶対的な絶望というか。 ちょっと言い過ぎか。 まあとにかく、しょんぼりしてます。 葉佩なら食っても平気かなぁ… いや、あいつに過剰な期待はしないでおこう。 きっと葉佩だって、ただの人間なんだから。 拍手ありがとうございます! またしてもしばらく留守にします。 |
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2015.06.12 コギト・エルゴ・スムのコギトについて 歩きながらふと考えてみた。 コギトは、思惟と訳される。 思考とか思索、思う、考える、という事。 それが純粋な自我である、という考え方。 そもそも考えるという事は、情報をこねくり回すという事。 視点を変えたり、因果関係を並べなおしたり。 桃太郎は鬼を退治した。 という情報を 鬼は桃太郎に退治された。 という情報に変換してみたり。 そういう作業を、考える事と定義する。 その主体は、情報。 そして情報というのは、その多くが他者から与えられるもの。 自分の体験も、もちろん情報となり得るけど。 たぶんだけど、知識は体験よりも伝聞の方が多いと思う。 地球が丸いとか、万物は原子からなるとか。 わたしは見ていないのに、それを知っている(本当かどうかは知らない)。 コギト、つまり純粋な自我とは、他者から与えられたものである。 と、ここで引っかかってしまった。 純粋な自我が他者って、おかしいよね。 まあ、情報を主体と定義してしまったのがそもそもの間違いだった。 主体はあくまでも、考える事。 情報だけがあっても、それをためつすがめつ眺めなければ、思惟ではない。 でも思惟だけがあっても、情報がなければそれはコギトたり得ない。 と思うんだ。 コギトの一部、もしくは多くが、他者の情報からなる。 うーん、やっぱしっくりこない… なんかどっかで間違ってんだな。 もっと根源的な、疑問を感じる自分自身。みたいな概念なんだろうな。 (本当かどうかは知らない)みたいなものかな。 難しいよデカっちゃん。 拍手ありがとうございます! |
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2015.06.11
数か月前にも、緋勇は同じ場所に立っていた。薄く淡い花弁が風に舞うのを、どこか遠くを見るように見ていたのを憶えている。隣で彼は笑っていたように思うのだが、本当はどうだったか、記憶はあやふやで判然としない。 季節外れのような、そうでもないような。 京一視点の方がしっくりくるような気がする。 が、しっくりきても終わらない気もする。 まあ、のんびり様子を見るかな。 最近、ちょっと萌えとか燃えとか補充できてる。 ような気がするけど気のせいかも知れない。 拍手ありがとうございます。 |
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2015.06.07 『有限と些細な石』について。 いつだったかどっかで言ったような気もするけど。 プレゼントという行為が、あまり好きではありません。 わたしがそもそも物を増やすのが嫌いだというのもありますが。 物をあげるという事は、その体積分のスペースを奪うという事。 相手にとってその価値があるかどうか、わたしでは判断できない。 「気持ちが嬉しい」というのも、あるとは思うんですが。 あるいは、本当に欲しかった物だった、という幸運も。 でも、送りたい気持ちはよく分かる。 あの人に似合いそうだとか、喜ぶかも知れないとか。 それが押し付けであるという可能性を考えつつ。 小心者のわたしは、無難なお菓子とかにしてしまう。 お菓子は食べれば消えるからね。 プレゼントって難しいね。 拍手ありがとうございました! |