その夜、葉佩はいつものように皆守の部屋に忍び込んでベッドに潜り込んだ。部屋の主が低く呻いたが、暫くすると予想どおり寝息が聞こえてくる。柔らかい毛布に包まれて、皆守は程よく温まっていた。夜気に冷えた体を擦り付ける。皆守が寝返りを打ち、手の平で首筋に触れた。くすぐったさに身をすくめ、そっと寝顔を窺う。うなされている様子は見えない。良かった、と声には出さずに囁き、眠りを妨げぬよう細心の注意を払って腕を回した。
ひとしきり皆守の体温を堪能し、温まった体を確認して部屋を抜け出した。今夜は、新しい扉を開けると決めている。もうすぐだ、と、口中で呟く。あの眠たげな瞳が、灼熱を宿して自分を見詰める様を想像する。それだけで、どんな障害も取るに足らないような気分になった。
軽やかな音を立てて、その地を踏む。有機的な人工物で覆われた部屋には、しかし無粋な先客が待ち構えていた。片目を髪で隠したその先客が、唐突に姿を現した子供に一瞬だけ戸惑ったような表情を見せる。しかし直後には、至って冷静な仕草でソーコムMk23を構えた。揺らがぬ銃口が、正確に葉佩の眉間を狙っている。
「子供が、こんな場所で何をしているんだい?」
それには答えず、無言でG26ADを抜く。葉佩がトリガーを引くと同時に、先客も発砲した。物陰に転がり入りながら、素早く状況を整理する。
先客は一人だ。身のこなしと躊躇いの無さを見るに、同業者だろう。そういえば、昼間の校舎で見たような気がする。「てんこーせー」と呼ばれていたのは、この男だった、かも知れない。多分そうだろう。そんな気がする。今日は皆守が教室に居なかったので、校内探索をあまり熱心にはしていない。校内に同業者が侵入していたとは、迂闊だった。
弾丸が、壁を削って葉佩を威嚇する。惜しげもなく連射するなんて、よほど懐に余裕があるのだろう。羨ましい事だ。胸中で笑い、手榴弾のピンを抜く。数をかぞえ、弾丸が発射されたとおぼしき場所に向かって放り投げる。爆音が轟き、硬い靴音が床を叩くいた。逃げられたか。舌を打ち、耳を澄ます。
「成る程、ただの子供じゃなさそうだね」
「ただの子供だよ」
「ボクが知ってる子供は、銃を怖がる」
「俺だって怖いよ」
「訂正するよ。ボクが知ってる子供は、発砲されたら抵抗を諦める」
つまりこの男は、無抵抗の子供を撃った、という事だ。性格は、あまり平和的ではない。しかし深追いをしないところから、好戦的ではないとも判断できる。要するに、必要があればそれを遂行する意思と精神力を有している。手段を選ばない同業者と、遺跡で鉢合わせするとは。冷静に思考を連ね、遠ざかる靴音を聞く。
嘲る声がこだました。この部屋は吹き抜けの構造になっているので、音がよく通る。
「ここまでの扉を開いたのは、キミかい?」
「そうだよ」
「単独で?」
「さあね」
下方でリロードする音が聞こえた。確実に仕留めなければ、この先の仕事に支障を来たす。誓いを果たすには、この男を排除する必要がある。移動する足音を聞きながら、位置を把握しようと神経を集中させた。この部屋の内部には、葉佩もまだ立ち入ってはいない。お気に入りの場所を横取りされるような不快感に、葉佩が唇を歪める。
「お前、《てんこーせー》だろ」
「この《學園》にとっては、そうだね」
「皆守と同じクラス?」
「誰だって?」
「居ただろ?眠そうでダルそうなのに世話焼きでカレー好きで足癖悪くて寝癖全開で笑い方がちょっと皮肉っぽくってでも時々すっげぇ優しくって手が綺麗でいい匂いしててあったかくって変な奴が!」
「もう少し客観的な情報が欲しいところだね」
壁に反射して響く声が、少々脱力していたように聞こえた。同時に耳に届いた足音に、彼がこの部屋の最下層に降り立った事を悟る。下方を窺いつつ、慎重に足場を選んでそれを追った。石碑を凝視する男の背中に、銃を構えたまま歩み寄る。ふと、男が石碑に刻まれた文字を音読した。
「真実の姿を隠し、悲しみのまま子を産む豊玉毘売。東の空を飛びし所にて泣き続ける」
「トヨタマビメ?ちょっと飛んでないか?」
「そうなのかい?」
「前の部屋が、確か国譲りだった」
「成る程、サルタビコからコノハナサクヤビメの話が抜けてるね」
思案するような声を聞きながら、部屋を見渡す。柱の影にもう一つ石碑を発見し、葉佩が背後を警戒しながらそれに近付く。一つ目の石碑の文字を記録している男は、特に気を張るでもなく作業を続けていた。二つ目の石碑に刻まれた文字を、H.A.N.Tに頼りつつ解読する。
「娘を愛する父神の心、供物の部屋より、隠されし部屋で怒りに震えん」
「流れから見るに、オオヤマツミとイワナガヒメの辺りかい?随分と大胆な意訳だね」
「此処の石碑って、厳密に記紀の文章を刻んでる訳じゃないんだ」
「へえ」
「鍵を開けるヒントになってる」
「それはまた、親切な遺跡だね」
「だよねぇ」
「定期的に人が立ち入る事を想定しているのかな?」
「ああ、管理人みたいな感じ?」
「でもそれだと、部屋ごとに施錠されてる意味が分からない」
「そうだね、管理人ならこんな部屋すっとばして鍵開けて入れる筈だもんね」
「鍵の紛失を前提にしているのかも知れない」
「ああ、そうか」
管理者は、その情報の伝達が途絶える、即ち自分の死を想定してこの場所を守っている。だからこそ、こんな風に文字を刻む必要があったのではないか。碑とは、失われたものを忘れぬようにと作られる物だ。故人や出来事を記録し、後世に残す為に存在している。記憶が失われても、在ったという事実が失われぬよう。
「此処は、墓なんだよ」
「らしいね」
「でも石碑は、埋葬者じゃなくって、侵入者に向かって書かれてる」
「ふん、それで?」
「誘ってるみたいだ」
葉佩の言葉に、男が顔を上げた。口元が緩やかに持ち上がっている。その唇を、金属の装飾具が貫いている事に気付いた。少ない光源を反射しして、彼が口を動かす度にちかちかと輝いて葉佩の目を奪う。その光は、自分を飾る為の物ではないように思えた。注意を喚起する信号のような反射光に目を奪われたまま、葉佩はふと湧き上がった疑問を口にしてみた。
「それ、食べる時とか邪魔じゃない?」
「もう慣れたよ」
「どうして穴開けてまでそんなもん付けてんの?」
「穴を開けたかったから付けてるんだ」
「ふうん?」
「付けてないと、塞がっちゃうからね」
よく見ると、耳にも同じ色の金属が光っていた。魔物は貴金属を嫌う、という俗信を思い出し、頬が緩んだ。自分が魔物のような目をしている癖に。喉まで出かかった言葉を飲み下し、気を取り直して頭上を仰ぐ。隣で銃を弄ぶ男は、しかし先程のような明確な殺意は発していない。撃つなら今だ。思ったが、葉佩は銃を下ろして男を見上げた。
この男にも、名前はあるのだろうか。唐突に、寂寥感が葉佩を襲った。名を呼ぶ人が、居るといい。自分を呼ぶ声を思い出し、初めて知ったその喜びを思い出す。自身を好んで貫く男は、その喜びを知っているのだろうか。
「皆守もね」
「だからそれは誰なんだ」
「きっとそう思ってる筈なんだ」
「穴を開けたいって?」
「ちげーよばか!皆守はそんなこと思わねぇよ!」
「どうして怒鳴られたのか、さっぱり分からないんだけど」
「皆守はそんな穴とか!エロい事!ぜってぇ言わねぇ!」
「素晴らしい発想の飛躍だね。キミ、素質あるよ」
「皆守は!俺が入ってくんのを期待してんだよ!」
「そっちの方がより妄想に近いと思うけど」
「妄想じゃねぇ!事実だよ!」
「キミが皆守を好きなのは分かったから、喚くのをやめてくれないか」
「は?」
「耳障りなんだよ、キミの声は」
呆れたように返った言葉に、葉佩が思わず絶句した。自分の発言が統合性に欠けている事に、葉佩はまだ気付いていない。そもそも、葉佩は会話に慣れていなかった。闇との交わりは、どこまでいっても所詮は独り言でしかなく、そこには自分しか居ない。そんな状況に、葉佩は慣れすぎていた。何気なく投げた声が、思わぬ方向から打ち返されるなど、そんな経験は皆無に等しい。
目を見開いて固まった葉佩に、男が吐き捨てるように言った。
「キミみたいな子供が、どうしてこんな場所に居るんだい」
「え、いや、違うよ」
「少しばかり銃器の扱いには慣れてるみたいだけど」
「俺は別に、皆守のこと好きとかじゃないし」
「その皆守とやらで頭が一杯なんだろう?」
「ちっちがっ!違うってば!」
「ああ全く、本当にただの子供だったなんて」
「聞けよ!俺は皆守なんか好きじゃないからな!」
「子供は早く帰るんだね、此処は危険だから」
「此処まで一人で踏破したんだよ!」
「一人で?つまらない見栄は張らない方がいいよ」
「信じろよぉ!俺だって《宝探し屋》だぞ!」
興が削がれた、などと言いながら、男が踵を返す。新たなる扉を開くという誓いも忘れて、葉佩がその背中を追った。とんでもない誤解をされたままでは、殺した後もきっとしこりが残るに違いない。そんな事態は避けなければ。どうにかして、この男の誤解をとかなければ。地上に向かう男の背中に、葉佩が追いすがって叫ぶ。
「好きか嫌いかっつったら、どっちかってーと嫌いだよ!」
「ん、まだ12時前なのか」
「だいたい敵だし!俺とあいつは!」
「取り敢えず、明日は情報収集でもしようかな」
「いっつも餓鬼扱いするしさぁ!」
「キミも、早く寝な」
「頭とか撫でるし!担ぐし!すぐ阿門って言うし!」
「・・・阿門?」
「俺の方が皆守のこと知ってるのに!敵なのに!」
「阿門って、生徒会長の事かい?」
「ぜんっぜん俺のこと見ないし!」
「ふうん、皆守か。憶えとくよ」
「憶えるな!見るな!近付くな!皆守は俺がやるんだから!」
「侵入者の敵で、生徒会長と仲がいいんだね」
「仲良くねぇよ!皆守に友達なんかいねぇ!」
「そろそろ黙った方がいい」
寝静まった《學園》に、変声期前の葉佩の声はよく響く。互いに、真夜中に墓地に立ち入った事が発覚するのは望ましくないだろう。無言の主張を受け入れ、葉佩が口を閉じた。欠伸混じりに「おやすみ」などと言い捨てて去って行った男を見送り、葉佩がもう一度だけ闇に向かって囁く。
嫌いだ、あんな奴。
誰かの残した幻に酔い痴れて、目の前に居る俺を見ないなんて。
地上の夜気に冷やされた体が、芳しい温もりを欲して震えた。
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