日光浴をするような趣味も持ち合わせていないのだが、喪部はその時、何かを見下ろしたい気分だった。その場所からは墓地もよく見える。特に理由があった訳ではない。強いて言葉を探せば、気紛れ、というのが最も相応しいだろうか。
 階段を上り、ドアを開ける。まさにその瞬間、冷たくなり始めた秋風と共に真っ直ぐな殺意が喪部を襲った。無意識に懐の銃を掴み、その場所、つまり屋上に存在する唯一の人物を視界に入れる。ドアを開けるなり臨戦態勢をとった喪部を、その男は眠そうな目でチラリと見遣ってすぐに視線を逸らした。殺気はまだ飛んでくる。鬱陶しいほど直線的に、呆れるほどに分かりやすく。にも拘らず、その所在が把握できない。他に目に映るものも無かったので、取り敢えずの対処として先客を睨みつける。
 先客が、ごそごそとポケットを探った。その手が何かを掴む前に、喪部が銃を抜く。ピタリと照準を合わせ、その眠たげな視線が向かう先を読もうと目を凝らした。

「・・・おい」
「動くな」
「いや、ちょっと落ち着け」
「ボクは落ち着いてる。キミの方こそ、その物騒な目をやめるんだね」
「ぶっそう?」

先客が首を傾げた。違う、と喪部が確信する。この気配は、この男のものではない。殺気が強くなった。歓喜すら呼び起こす狂気に、全身が総毛だった。目の前の男を凝視したまま、気配の出所を探る。細い針が眼球の直前で静止しているような、瞬きさえ許さないほどの殺気。血がざわめいた。もはや眼中に無かった眠たげな男が、寝言のような口調で喪部に声を発する。

「えーと、お前、あれだよな」
「ボクはどれでもない」
「転校生だよな?」
「ああ、それではあるね」
「葉佩」
「違う。ボクはそんな名前じゃない」
「どこだ?いるんだろ?」

虚空に向けて声を発するその男を、じっと見詰める。同時に、神経を可能な限り広げて空間を意識する。気配を消したままこれほどの殺気を発するなど、常人に出来る事ではない。張り詰めた神経の糸に小さな違和が生じた。思考以前の感覚で、それに銃口を向ける。視界に入ったのは、子供だった。

「皆守に近付くなって言っただろ!」
「・・・やあ、また会ったね」
「なんだ、お前ら知り合いか」

 地上の塵芥を払うように、風がその場を駆け抜けた。












 結局、銃弾は発射される事なく三人は向かい合った。正確には、葉佩を挟んで皆守と喪部が向かい合った。

「で、なんか用か」
「用なんか無いよ」
「じゃあなんで来たんだよ!」
「まあ天気もいいしな、お前も昼寝か?」
「それも悪くないね」
「どう考えても悪いだろ!ふざけんな!」
「葉佩、うるさい。あと銃を仕舞え」

皆守が呟くと、葉佩はまるで主人に叱られた犬のような表情で俯いた。チラリと皆守を見上げ、ギロリと喪部を睨んでから、如何にも不本意といった仕草で銃をホルスターに収める。それを視界の端で確認した皆守が、犬を褒める時のように葉佩の頭に手を置く。「撫でるな!」と言いつつも、葉佩はそれを振り払わなかった。なんだこいつら、という喪部が発した胸中の呟きは、音にはならずに世界から消滅した。
 皆守の手を頭に乗せたまま、葉佩が眼光を鋭くする。しかるべき場所で対峙していれば、その目は喪部の血を沸き立たせた事だろう。だが此処は陽光も眩しく、子供の頭には手の平が置かれている。我知らずほのぼのしてしまってから、謎の敗北感を覚えた。湧き上がった感情を押し隠し、葉佩の髪をいじりながらパイプを銜えた皆守に向きなおる。

「キミが皆守君?」
「おお、そーゆーお前は誰だっけ」
「そーだよ!誰だよお前!名を名乗れぶれーもの!」

今まさに名乗ろうとしていたのだが、命令口調で強制されると名乗りたくなくなるのは何故だろう。「お前は黙ってろ」と言いながら、皆守がパイプに火を移した。同時に、ゴツンと音を立てて葉佩の脳天に拳を落とす。銃撃されても冷静さを失わなかった子供が、目を見開いて涙ぐんだ。打たれた部位に手を当て、込み上げた涙を飲み込むように唇を引き結ぶ。それを見た皆守が、「そんなに強く殴ってないだろ」などと言い、更に額を弾いた。結構いい音がした。今は秘された、喪部の異形たる証が僅かに疼く。無意識に額に手を当てつつ、喪部が思い出した情報を提示する。

「ええと、キミ、生徒会長と仲がいいんだって?」
「いや別に?」
「・・・ああそう」
「嘘つけよ!あんなにベタベタしてたくせに!」
「誰が、いつ、どこで誰とベタベタした?」
「なんかエロい事してたじゃねぇか!」
「どんな妄想だこの中二未満!」
「だって皆守、顔がエロかった!」
「この顔は産まれ付きだ!」
「そっか、皆守は産まれ付きエロいんだ」
「お前のそれは産まれ付きなのか?」
「たぶんね」
「今ちょっとお前が死ねばいいと思ったんだが、どうしたらいい?」
「その衝動は胸に秘めといて」
「隠し事は苦手なんだ」

なんだろうこの状況。喪部には、祈るべき神など存在しない。それが酷く嘆かわしく感じられた。罰を与える存在は、もしかしたら必要なのかも知れない。こいつら、墓石の角に頭ぶつけて死んでくれないかな。そうしたら、きっと天罰などというものも信じられるだろう。
 何も言わずに、喪部は其処を後にした。明確な目的も無く行動するのは良くない。そう断じて、今度は情報収集という目的を持って図書室に向う。その足を、背後から落ちた声が止めた。

「今度あいつに近付いたら、撃つ」
「それも面白そうだね」
「あいつは俺の獲物だ」
「そうかい?せいぜい横取りされないようにね」

声の出所を探ったが、やはり気配は完全に絶たれていた。殺気だけが冷たく首筋を撫でる。暫くは退屈しないで済みそうだ。口の端を上げ、胸中で呟く。
 無音の呟きを聞いた訳ではないのだろうが、暗がりが子供の姿を模った。どんな獣とも違う、凄絶な色の瞳が喪部の心臓を貫く。血の海に沈むような心地で、喪部はゆったりと笑みを浮かべた。
 あんな男に出会わなければ、獣のままでいられたのにね。
 それが憐憫であると気付かずに、子供は真昼の闇に紛れて消えた。