皆守が珍しく大声を出した。しかし葉佩に、それに驚くほどの余裕は無かった。切り裂かれた場所を押さえながら、汗ばんだ指でトリガーを引く。光に返った化人を確認し、大きく息を吐いた。その肩を、皆守が掴んだ。出血の量に気付き、声を荒げて掴んだ手に力を込める。「痛い」とは、言わない方がいいだろう。
「おい、葉佩!」
「あーだいじょぶだいじょぶ」
「見せろ」
「大胆なこと言うなよ」
「殴るぞ」
「何でだよ!」
最下層が近いのだろう。《墓》を守る番人は、進むごとに死ににくくなっている。僅かな判断ミスが、致命傷にも繋がりかねない。身を以ってそれを痛感した葉佩が、自分の未熟さに奥歯を噛み締めた。目の前で、何故か苛立ったように声を荒げる皆守に気付かれぬよう、表面に出る寸前に自制する。
上着を脱ぎ、傷を検分する。出血が止まらない。大きな血管が傷付いたのかも知れない。思ったより深く斬られたようだ。骨には異常が無い事を確認し、傷口を塞ごうとポケットを漁る。取り出した針と糸に、その目的を察した皆守が顔をしかめた。
「葉佩、それ、もしかして自分で縫うつもりか?」
「しょーがねぇだろ」
「麻酔とか」
「痛み止めならあるよ」
「いや、でも・・・」
まだ何か言ってる皆守を無視して、針と糸を消毒する。その手元を見る皆守の表情は、スプラッタ・ホラーを見る時のように歪んでいた。そんな顔をするぐらいなら、見なければいいのに。心で呟きつつ、肉に針を刺す。溢れ出た血液が邪魔で、傷口がよく見えない。しかも、一人だったならば痛みに泣き叫べたものを、今は皆守がいる。奥歯を、音を立てぬよう留意しながら噛み締める。皆守はそれを直視できず、かといって目を逸らす事も出来ず、歪んだ表情のままその作業を最後まで見守っていた。
「・・・お前、エグいな」
「俺がエグいの?」
「なんかもうお前の存在がエグい」
「やめろよ、照れるじゃねぇか」
包帯を巻きながら、葉佩が舌を打つ。斬られたのは右肩だ。利き手が使えず、固定が巧くいかない。それを見た皆守が、やはり苛立たしげに手を出した。
「貸せ」
「え、いいよ。お前って大雑把だし」
「包帯ぐらい巻ける」
「い、痛くしないでね・・・」
「・・・努力する」
「やっぱいい!やめてください!」
「遠慮するな」
「するよ!全力で遠慮するよ!」
「あ、やばい、嫌がられると燃える」
「どうした!今日のお前なんか変だぞ!」
「そうか?俺は大体こんな奴だろ」
「違う!お前はそんな奴じゃないよ!」
触れた指先が震えていたのにも、気付かなかった振りをする。大雑把に見えて、実は意外と(変なところでは)繊細な彼の事だ。流血沙汰は苦手なのかも知れない。じゃあこんな所に来るなよ、と言いたかったのだが、言ってもいいだろうか。仮に言ってみたとしても、皆守の行動には何の影響も与えないのだろうが。
皆守の申し出は丁重に断り、自分で包帯を巻きながら訊いてみた。
「なあ、皆守って血ぃ怖い人?」
「別に」
「俺が心配?」
「別に」
「俺はだいじょぶだよ」
「当たり前だ」
何が当たり前なんだ。死なないのは当たり前じゃないぞ。思ったが、口には出さないでおいた。
応急処置を終え、痛み止めを口に放り込み、引き攣れる痛みを無視して立ち上がる。相変わらず不機嫌そうにそれを見詰める瞳は、もう気にしない事にした。血を流しすぎた所為で、立ち上がった瞬間に視界が暗くなる。
皆守が「眠い」と呟いた。本当に眠たかったのだろう。時刻は早朝に近かった。しかし、まだ夜だ。仕事を中断する理由は無い。付いてきてくれ、などと、言った憶えも無い。鈍い動作でゆらゆらと揺れている彼が、ずっと気になっていた。どうして彼は、こんな場所に居るのだろう。此処は異形の棲む場所だ。闇に魅入られ、囚われ、命の意味さえも失ったものが棲む場所に、彼は人のまま立ち入った。葉佩には、そのように見えた。
「おい葉佩、眠い」
「はいはい、おやすみ」
「こんな所で寝られるか」
「お前なら寝られそうな気がする」
「そんなに褒めるな」
「帰れば?」
皆守の機嫌が、また下降した。凶悪な眼光で睨まれる。意味が分からない。勝手に付いてきたのは彼なのに。銃を抜き、皆守に照準を合わせる。皆守が一瞬で立ち方を変えた。同時に、目付きも変わる。やっぱりね、と、声には出さずに呟く。隠したいのだろうと思ったので、口には出さない。何事も無かったように銃を仕舞った葉佩に、皆守が唇を引き結んだ。
「うん、まあ、動かせない事は無いな」
「・・・人に銃を向けるな」
「ああ、ごめん。びっくりした?」
「そりゃ、するだろう、普通は」
目を逸らしてそう言った皆守が、いつもの歩調に戻る。そのいつもの歩調が、既に一つの事実を喚起させる事を、彼は知らないのだろうか。皆守の体は、戦う事を知っている。葉佩はもう確信している。もしかしたら彼も、もう人ではないのかも知れない。思い当たり、傷の痛みにではなく苦しくなった。生きていたいと全身で叫ぶ彼が、その意に反して人ですらないなんて、酷すぎる。
皆守が自分を見る目が、級友を見る目ではなく、況してや敵を見る目でもない事に、葉佩はもう気付いていた。可哀想な奴だ。騙されていると、本当に気付いていないのだろうか。葉佩にとって皆守とは、偽りの級友で、排除すべき障害でしかない。薄っぺらい言葉に、そうと知りつつ縋るほど、彼は寂しかったのだろう。
次の扉に向かいながら、葉佩は振り向かずに言ってみた。
「じゃあね、気をつけて帰れよ」
「あ?」
「帰るんだろ?」
「・・・」
皆守は、負傷した葉佩を地上に戻したいのだろう。分かっている。それが《墓守》としてではない事も。だが皆守がそれを口にしないのなら、葉佩にも言うべき言葉は無い。例え彼が口にしたとしても、葉佩は答える言葉など持っていないのだが。
皆守は黙り込んで突っ立ったまま、葉佩の背中を見詰めている。葉佩が扉に手を掛けた瞬間、靴が石の床を叩いた。察知した葉佩が振り返る前に、皆守が左足を振り上げる。まだ開錠していない扉にぶつかり、傷口の痛みに思わず声が出た。爪先が空を切り裂き、正確に葉佩の傷を打つ。それはあからさまに手加減された速度で、怪我が無ければ容易く受け流せる程度の攻撃だった。それでも、たったいま縫合したばかりの傷口に回し蹴りとは。ああ、やはり、彼はもう人ではないのか。上等だ。
「怪我人になんて事しやがる!」
「そんな体で行くつもりか」
「どんな体でも行くつもりだけど?」
「怪我人は大人しく寝てろ」
「え、ちょ、あ、おい」
襟首を掴まれ、抵抗しようとしたら更に傷の上を叩かれた。じわりと上着に血が滲む。それを見留めた皆守が、またしても不機嫌そうに眉をしかめた。
「暴れるな。傷が開くぞ」
「もう開いてるよ!」
「そうか、可哀想にな」
「そう思うんなら手ぇ離せ!」
「それは無理だ」
「俺の事が心配なら、そう言えよ」
「・・・別に」
「言動を統合しろぉ!」
左腕を掴まれ、そのまま為す術も無く引き摺られる。右ではなかったのは、彼なりの気遣いなのだろうか。痛み止めが効くまで大人しくしていれば良かった。鼓動と同じリズムで痛む傷に、脂汗が滲む。しかも、皆守との会話で無駄な体力を消費してしまった。悔しそうに脱力した葉佩を見下ろし、皆守がそこはかとなく嬉しそうな口調で言った。
「だいぶ弱ってるな」
「いや、元気だよ!気にしないで!」
「珍しいから写メっとくか」
「やめろぉ!」
「阿門にでも送ってやろう」
「そんな仲だったのかお前ら!」
本当に携帯を取り出した皆守に、痛みも忘れて周章する。右半身は、もう滴るほどの血液を含んでいた。先程から断続的に意識が遠ざかるのは、考えるまでもなく貧血だろう。衣服を濡らしていた血が、皆守に染み込む。落下するような錯覚を感じ、思わず目の前の腕にしがみ付いた。
「あ、おい、葉佩?」
皆守が、知らない名前を呼んだ。もう一度、「はばき」と聞こえた。それは俺の名前じゃない。呟いたが、彼には届かなかったらしい。俺には名前なんか無い。だが、彼はその事実を知らないのだと、混濁した意識の中で思い出した。
乱雑な動作で、体を引き上げられたのを感じた。朦朧とした意識の中で、甘い香りが強くなったのを感じる。持ち上げられ、あろう事か肩に担がれた。怪我人の運搬方法としては最悪に近い。圧迫された部位が軋んで、思わず呻き声が出る。無様だとは思うが、どうしようもない。
「・・・痛い」
「うるさい」
「え、ひどくね?」
「黙れ」
「いちおー俺、怪我人なんですけど」
「じゃあ喋るな」
「えー・・・」
それでなくとも尖った皆守の肩が、腹に触れていた。もう麻痺したと思っていた痛みが、鈍く神経を刺激する。それ以上に、心臓が恐ろしいほど痛い。出血多量の人間になんて事しやがる。死んだらどうするつもりだ。もしかして、とどめを刺す気だろうか。気付かれぬよう、そっと顔を窺ってみた。荷物の重さにか、それ以外の何かにかは判断しかねたが、皆守は酷く苦しそうな表情をしている。言われたとおり、葉佩は黙った。
「おい、葉佩」
「・・・」
「何か喋れ」
「・・・」
どっちだよ。声を出すのが億劫だったので、無音で言ってみた。空気を振動させる事は無かった筈なのに、それでも彼には届いていたようだ。そんな奇跡は要らない。
「悪かった、黙るな。何か喋れ」
「・・・」
「何でもいいから、何か言え」
「カレーなんて、この世から消え失せればいい」
「殴るぞ」
「やめてください」
「・・・本気か?」
「殴られたくないのは本気」
「カレー、嫌いなのか」
「いや、ちょっと言ってみただけ」
「・・・殴りたい・・・」
皆守が低く囁いた。実は少しだけ本気だったなどと、言ったら間違いなく彼は悲しむだろう。彼に愛される全ての存在が、消え失せればいい。暖かいベッドも、優しい幻も、花の香りも失ったら、彼はどうするだろう。きっと、それでも代わるものを探し出して生きるのだろう。それはもしかしたら、人かも知れない。
葉佩は、自分の意思では止まれない。立ち塞がるのが誰であっても、進む事をやめない。傷を負っても、手足を失っても、その狂気は止まらない。長生き出来ないとは思っても、したいとも思わない。自分のその情熱が、酷く彼を傷付けているのだと、葉佩はもう知っている。だがそれは、進む事をやめる理由にはならなかった。
固定する為に強く掴まれた部位が、怖いほど熱い。
睡眠不足に加えて重い荷物を背負っている皆守が、息を乱し始めた。荒い呼吸の合間に、口汚い罵倒が混じる。銜えたパイプに歯を立てて、脱力した体に悪態を吐く。
「くそっ・・・重い」
「もういいよ、離せ。歩ける」
「・・・やっぱ黙ってろ」
本当は、離さないで、と言いたかったのだが、葉佩は皆守の言ったとおり黙った。
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