弱小と思われていた大和が、最近になって急激にその勢力を拡大していた。新参者の但馬が大和に加担し、瀬戸内海を仕切っていた吉備もその傘下に収まった。周囲の中小企業を甘言と武力で制圧し、大和はとうとう最大の勢力である出雲への侵略を開始した。
大和の遣いである葉佩は、客人として礼を尽くされた事に最低限の敬意を払いつつも、威圧的な態度を崩さなかった。接待しているのは出雲の二代目組長の神鳳だ。彼もまた慇懃な口調でありながら、敵意を隠すつもりはないらしい。
「吉備も但馬も大和に下った。
残ってんのはあんたんとこ、出雲だけだ」
「・・・そうですか」
「どうする?今ならまだ間に合うよ?」
「何がですか?」
主語を欠いた葉佩の発言に、神鳳はゆったりと笑みを浮かべて見せた。思惑は双方理解している。これは最終確認だ。宣戦布告と言い換えても良い。
「・・・交渉決裂、ってことかな?」
「此処は僕の国です。
奪うというなら、相応の覚悟を要求します」
「上等。親方にはそう伝えとく」
「ええ、宜しくお願いします」
彼が「親方」と呼ぶ人物を、神鳳は知っていた。葉佩の上司でもあるその人物が、大和の勢力拡大を影で操っている。いわば出雲組の最大の敵である。葉佩が気安くその名を出した事に、神鳳は軽い違和感を覚えた。目上に対する礼儀が含まれていないように感じられたのだ。葉佩は大和に属しているが、大和人ではない。
葉佩が退出した部屋で、神鳳は天井を見詰めた。
戦争が始まる。
自分の無力を嘆く事など、神鳳はしない。ただ憎む。何も出来ない自分を憎み、それを活力に進んで来た。嘆く暇などない。道は続いている。その事実が重いとは、決して思わない。それは誇りだ。
「さて皆さん、お仕事です」
神鳳の一声で、部屋に居た全ての人間が気を張った。先代に気に入られて此処に居付いた者は、元来が血の気の多い人間達だ。そして例外なく、優れた能力を有している。
それを確認し、神鳳は皆守に視線を合わせた。
皆守は先代の懐刀だった。随分と信頼されていたらしく、組織の規律から外れる行動すら許されていたらしい。組織の革新を進めるのなら、真っ先に切っておくべき男だ。甘やかされた職人など、使いづらい事この上ない。だが神鳳は、皆守に以前と同様の地位を与えた。
放逐を仄めかした神鳳に、皆守は薄く笑った。
『俺を使えないようじゃ、この組をまとめるのは無理だな』
その目は、はっきりと神鳳を見下していた。安い挑発だ。だが冷静な仮面の下で、神鳳の負けず嫌いな本心が煮え立った。それを押し隠したまま、神鳳は決めた。先代が残した全てを、捨てる事なく背負うと、自分自身に誓った。
紫煙を燻らせたまま、皆守は眠そうな目で神鳳を見返した。皆守は、常に神鳳を試している。権力を握っているのは神鳳だが、見限るのは皆守だろう。湧き上がった思いを打ち消し、神鳳はいつもの穏やかな表情で皆守に命令を下した。
「皆守君、前衛をお願いします。
大和が僕の領地に一歩でも踏み入ったら、始めてください。
手段はお任せします。と言っても、君が出来る事は一つだけでしたね。
連絡は必ず入れる事。いいですね?」
皆守は、目を合わせずに「了解」とだけ呟いた。だが、後でそれは寝言だったと言われても、はっきりと否定するのは難しいほど虚ろだった。少なくとも、目視できる範囲にやる気は見られない。しかし、いつもの事だったので言及はしなかった。続けて、テーブルに足を乗せている夷澤にも言葉を落とす。
「夷澤君は事務所周辺の守りをお願いします。
あと、足を下ろしなさい」
夷澤は何も言わずに、踵をテーブルに打ち付けた。灰皿が踊り、コーヒーが少し零れて夷澤の靴を濡らした。分かり易いのは助かるが、物を壊すのは少々困る。神鳳は、無表情で夷澤に歩み寄った。視線は外さない。先に逸らした方が負け。野良猫同士の睨み合いと同じだ。神鳳は、敢えて夷澤流のルールに則って行動した。相手の示したルールで勝たなければ意味がない。
「足を、テーブルから下ろしなさい」
「二回も言わなくっていいっすよ。聞こえてますから」
「では、従いなさい。貴方は僕の部下です」
「あんたは阿門さんじゃない」
「ええ、その通りです」
「俺に命令していいのは阿門さんだけだ」
「それは君が決めることではありません」
夷澤が足を下ろした。神鳳の言葉に従ったのではない。立ち上がり、攻撃する為だ。固い革靴が床を叩き、軽やかな音が響く。それとほぼ同時に、不思議な香が二人を包んだ。夷澤が音を立てて床に突っ伏す。事態を把握できないまま、体だけが状況に反応していた。
「やりすぎですよ、双樹さん」
「あら、だって貴方がやっちゃったら当分使い物にならないじゃない」
「手加減ぐらい出来ます」
「どうだか」
双樹が香炉に蓋をする。神鳳の足元で一連の会話を聞かされた夷澤は、漸く自分が置かれている状況を悟った。双樹の香に中てられて、運動機能が低下したのだ。くそ、あの裏切り者。深い憎悪と共に、妖艶な顔を睨み上げる。誰よりも先代の傍にいて、誰よりも彼を慕っていた筈の双樹は、神鳳の秘書を務めている。そんな現実、認めたくない。あの人が裏切られる様など見たくない。夷澤の怒りを理解して尚、双樹は笑っていた。底の見えない瞳で、ただ芳香を纏っている。その横で害のない芳香を発生させている皆守は、かなりあからさまに「早く終わらないかなー」と思っていたのだが、それには誰も気付かなかった。
集会は早々に解散したが、皆守の願いを汲んでの事ではない。皆守が眠そうなのはいつもの事で、それに気を遣う人間はいない。それに不満を感じない訳ではないが、声高に主張すべきでもない。ゆらゆらと廊下を歩く皆守に、夷澤が駆け寄った。少々ぎこちない足取りで皆守に追い付いた夷澤は、憤懣やるかたなし、と全身で主張していた。
「あんな奴の命令、聞く事ないっすよ」
「一応上司だぞ」
「俺は認めてません!」
「お前が認めようと認めまいと関係ないんだ」
「・・・そんなん、嫌っすよ」
夷澤のまるで子供のような言い方に、皆守は少しだけ笑った。夷澤も、理解はしている。だが納得していない。自分の感情が全てを決定するような幼さを、皆守は厭っていない。いつか折られるだろうという予感が苦く感じられる程度には、好ましく感じていた。可能なら、見栄え良く捻れて欲しいものだ。自分のような醜悪な歪みを、永遠に知らなければ良い。
「誰が仕切ってるかなんて、俺はどうでもいいんだ」
言い捨て、夷澤が声を発する前に皆守はその場を離れた。
此処は、かつて皆守の帰る場所だった。初めて知った、陽だまりよりも暖かい場所だった。隣にいてくれた人は、もういない。それでも、皆守はこの場所を離れる事は出来ない。此処は、彼が守りたいと思った場所だ。
せめて、と、皆守は願う。願いが叶った事など一度もないが、それでも願わずにいられない。莫迦だと、自分でも思う。でも俺が莫迦になったのはあいつの所為だ、とも思う。しかし、恨み言を聞かせたい人はもういない。
戦争が始まる。
もしかしたら、やっと彼の所に行けるかも知れない。
皆守はもう、願う事に倦んでいた。
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