旧校舎を引き揚げ、まだ早い時間だったのでラーメンでも、という話になった。いつもの事だ。部室に残って何やら作業をしていたという遠野がそれに同行したのも、珍しい事ではない。彼女は、時々そんな風にわざと仕事を作って5人が魔窟から引き揚げるのを待っている。一人で帰るのも味気ないから、などともっともらしい事を言っていたが、新しい情報を待ち構えているというのが真相だろう。

 そんな訳で、今日も6人は行きつけのラーメン屋で肩を並べていた。そんな中、遠野が不意に箸を蓬莱寺に向けた。

「京一、あんた誕生日じゃない?」
「ん?」
「ああ、そういえばそうだったな」
「あら、そうだったの?京一くん」
「そうなんだ、おめでとう!ナルトあげるよ!」
「ナルトはいらねぇ」
「じゃあメンマ」
「けちくせぇな、チャーシューくれよ」
「それは駄目!」

箸と箸で鋭い攻防を繰り広げる蓬莱寺と桜井を横目に、醍醐が苦笑しながら財布の中身を確認する。そうしてから、じゃあここは俺の奢りだ、などと男前な発言で蓬莱寺を喜ばせ、それに美里も乗ってきて、結局はその場の5人で蓬莱寺の食べた分を出し合うという事で落ち着いた。
 随分と安上がりなプレゼントだと、蓬莱寺がまるで拗ねたような口調で嘯く。しかしその言葉に反して本当は彼が心から喜んでいるのだと、誰もが知っていた。
 どこか気恥ずかしい、くすぐったいような気持ちで皆が微笑み、各々の帰路につく。緋勇がふと立ち止まったのは、その途中だった。隣を歩いていた蓬莱寺が、怪訝そうに振り向く。

「ひーちゃん?どした?」
「誕生日」
「おう、言ってなかったっけ?」
「初耳だ」
「じゃあ来年は期待してるぜ」
「何を?」
「なんかくれよ」
「だから何が欲しいんだ」
「そーだなー、役に立つもんがいいな」
「漠然としてるな」
「ま、俺が喜びそうなもん、なんか考えといてくれよ」

 風は冷たかったが、腹の辺りが妙にあたたかかった。












 あれが幸福だったのだと、蓬莱寺は今になって思う。
 あれから一年が経った。今日が去年の来年だ。要するに、今日が蓬莱寺の誕生日だ。カレンダーを見なくなって久しい蓬莱寺がそれに気づいたのは、緋勇がふらりと行方をくらました3日後、つまり今日だった。日付の感覚はだいぶ怪しくなっていたが、記憶を手繰り寄せればなんとか計算はできる。

 不毛の荒野を見渡し、降るような星空を見上げる。大陸に渡り、怪異の噂を頼りに放浪している現状では、あたたかい寝床など望むべくもない。すり切れた毛布と焚き火に暖を求め、蓬莱寺は寒風に身を震わせた。態度は冷たいが体温は人並みにある彼の姿が浮かび、少しだけ自分を憐れに思う。
 あの人が隣にいないだけで、こんなにも心細くなる。不安で堪らなくなる。どこで何をしているのか、善良な一般人に迷惑などかけていないか、物を壊したりしていないか、物どころか街を壊滅させたりしていないか、川魚を追いかけて山に迷い込んだりしていないか、絶滅危惧動物と闘ったりしていないか、相棒の存在などすっかり忘れて新たなる強敵に挑んでいたりしないか、など、いろんな意味で。

 まさか緋勇があの夜の口約束を憶えているとは考えにくいが、完全に油断するのも危険だ。どうか彼が約束を憶えていませんように、となんだかよく分からないものに祈り、傍らの愛刀を確かめてから土の上に寝そべった。
 異変を感じ取ったのは、意識がまどろみに落ちる寸前だった。ほぼ無意識で愛刀を引っ掴み、横たえていた体を地面に投げる。転がった勢いで身を起こし、一瞬前まで自分が寝ていた場所を見てぞっとした。
 陥没して土煙を上げているその場所に、一人の男が立っている。蓬莱寺のよく知っている顔だ。先程まで思い浮かべては切なくなったり怖くなったりしていた、あの男だ。その背後にそそり立つ巨大な異形はとりあえず無視する。今の蓬莱寺にとっては、緋勇の方が危険なのは間違いないだろう。

「・・・ひーちゃん、あのさ」
「ずっと考えていたんだ」
「寝込みを襲うって言うとすげぇ嬉しい感じだけどさ」
「お前が喜ぶもの」
「もうちょっと、あの、手加減してくれ」
「つまり、強敵だ!」
「うん、いや、間違ってねーけどさ」
「という訳で、喜べ京一」
「・・・わーい」
「あの辺の山に封印されていた、なんか邪悪そうな奴だ!」
「ああ、もう、あの、その気持ちだけで嬉しいから」
「遠慮するな、挑発しておいたから、こいつもやる気は充分だ」
「あのさ、ええと、なあひーちゃん」
「どうした」
「え、ええと、あの、あー、まあ、ありがとな」

 ずっと(といっても3日かそこらだろうが)考えていたというその言葉だけで、蓬莱寺は満たされた。何を考えているのか分からない、たぶん何も考えていないのだろう彼が、3日も考えていたなんて、記念すべき快挙だ。むしろ奇跡だ。誕生日なんかよりもそちらを祝うべきだ。たとえその方向が激しく間違っていたとしても。そして、実のところ本気で考えていたのは最初の3分だけだったとしても。
 天空を覆わんばかりの巨大な異形の肩に、緋勇が軽やかに飛び乗った。なんとなく彼が操っているように見えるのは気のせいか。蓬莱寺の胸中の呟きなど知る由もなく、緋勇が高らかに告げる。

「本気で来い、京一!」
「うん、いや、行くけどさ」
「さもなくば死ぬぞ!」
「えっと、これ、誕生日プレゼント、だよな?」
「勿論だ」

緋勇が満足そうに目付きをやわらげた。それを確かめ、蓬莱寺が腰を落とす。
 意味は、よく分からない。どうして誕生日プレゼントを考えていて、邪悪そうな異形に行き着くのか。しかも挑発までして駆り出してくれたのか。確かに、最近は雑魚ばかりで不満だと口にした記憶はある。強敵はいつだって心が躍る。得た力、技、その全てを叩きつけ、掴み取る勝利。たとえようもなく血が騒ぐ。きっと彼も同じだろう。だからといって、これはない。誕生日プレゼントにこれはない。

 蓬莱寺の嘆きなど意に介さず、巨大な異形が咆哮を上げた。あるいは、察したからこその咆哮だろうか。真実は計り知れないが、後者だったら酷い話だ。魔物さえも嘆かせる緋勇という男が、何よりも酷い。お前も災難だったな。心で呟いて、蓬莱寺が地を蹴った。同時に異形の腕が振り下ろされる。
 轟音を立てて地面に突き刺さった腕に、まずは発剄をぶち込む。続けて刃に氣を滾らせ、引こうとした腕を追って飛び込んだ。斬り裂いた硬い皮膚から、それでも人間と同じ色の液体が溢れる。ためらわず、もう一歩。深く差し入れた切っ先が、再び空気に触れた。迷わず振り抜き、骨も肉も腱も切断する。異形の体から離れた右腕が宙を舞い、地響きを立てて地に落ちた。
 肘から下を失った異形が、斬られた部位を押さえて膝を付く。まだその肩にいる緋勇が、目を細めて今度こそ笑った。

「ふん、物足りなかったか?」
「まあな」
「安心しろ、黄龍の氣を注入しておいたからな」
「え、黄龍ってそーゆーもんなの?」
「だいたいそういうものだ」

おそらく、彼も明確には理解していないのだろう。ただ、やってみたらできた、というだけの事で。
 膝を付いた異形が、大気を震撼させて鋭い雄叫びを上げた。その体から、黄金の氣が溢れ出る。蓬莱寺が目を見張った。全身を打つ黄金の氣に、魂までも振るわせた。求めていたのは、これだ。
 しかしこれは、与えられるのでは意味がない。この手で掴み取り、奪い取らねば意味がない。

 言葉の全てを刃に託し、勇猛なる異形を上から見下ろす位置まで移動する。つまりその巨大な体躯を駆け登り、緋勇が悠然と立っている肩に到達した。予想していたのか、緋勇は揺らぎもせずに不安定な足場に立っている。蓬莱寺がその脳天を目掛けて白刃を振り下ろしても、その目には一筋の動揺すら表れなかった。

「どうした京一」
「どうもこうもねぇよ」
「気に入らなかったのか?」
「いや、まあ、気持ちは嬉しいけどよ」
「この程度では不満か」
「まあ、そーゆー事だな」

白刃を掌で固定したまま、緋勇が微笑んだ。それは、物理的には唇の端をほんの少し動かしただけなのだが、蓬莱寺にはそれで充分だった。他には何もいらないと、心から思えるほどに。

「俺は、お前がいい」

押しても引いてもびくともしない得物に少々怯みながらも、ただ一心に声を搾り出す。

「だから、元いた所に戻してこい!」
「いや、でも」
「でもじゃねぇ!飼えねぇからな!」
「いいから人の話を聞け」
「こっちの台詞だ!」
「こいつは封印されていたんだ」
「・・・ん?」

ふういん、と口中で呟けば、緋勇が無言で頷く。ところで、どうして彼はこんなにも誇らしげなのだろう。
 前触れもなく解放された切っ先が、勢い余って虚空を引っ掻いた。思わず揺らいだ上体を、寸でのところで持ちなおす。その間に、緋勇は異形の肩から地上へと身を躍らせていた。腕を失った異形が、かしずくようにこうべを垂れる。王者の風格でそれを見ていた緋勇が、その額に手を触れさせた。

「自分が何物だったかも思い出せないほど、永い時間」
「・・・へえ」
「俺が封印を解いた時には」
「解いたっつーか壊したんだろ」
「立ち上がる事もできなかった」
「で、無理矢理どうにかした訳だ」
「気合を入れてやっただけだ」
「それ、人間にやるなよ?死ぬから」
「こいつは鬼だ」
「ああ、うん、そんな感じだな」
「山の陰氣が集まった物だ」
「なんかどっかで聞いたな、そんな話」
「京一」

名を呼んで、緋勇が真直ぐに見詰めた。

 在るべき姿に戻してやりたい。

 放たれた言葉は、呆れるほどに傲慢だった。何物かの在るべき姿を人間が規定できるなどと、蓬莱寺は思わない。今ここにそのように在るのなら、それが在るべき姿だ。変質したのなら、そのまま在り続ければいい。外力が加えられて変質する事が悪というなら、それを戻す為に加えられる力もまた悪だ。ならば悪など存在しない。蓬莱寺は、今ではそう信じている。だから、緋勇の言葉を本当には理解できなかった。
 ただ、緋勇が望んでいるのだと、それだけを正しく理解した。












 塵に返った異形の残骸を、冷たい風が散らしてゆく。同じ風に吹かれながら、緋勇は毅然と大地に立っていた。ふと顔を上げ、蓬莱寺を見て、また虚空に視線を飛ばす。視線に含まれた言葉を察せられず、蓬莱寺が眼差しをきつくした。

「なんだよ」
「来年は期待してろ」
「・・・おう」

お前からのプレゼントはもういらない、とは言えない自分が恨めしい。頷いてからちょっと遠い目をした蓬莱寺を、緋勇が不思議そうに見詰めている。

 改めて火を焚きつけ、薄汚れた毛布に二人でくるまった。火の爆ぜる音に、目蓋が重くなる。冷えた鼻先を緋勇の首筋に埋めると、白い肌がぞわりと総毛だった。同じ場所に今度は唇を寄せると、後ろ手に眉間を弾かれた。
 風は冷たいが、胸の辺りが妙にあたたかい。

 これが幸福なのだと、一年後には思うのだろうか。













翌朝