081:ハイヒール(皆守・双樹)

歩きづらそうだな、と常々思っていた。あんな靴を履いて、よく歩けるものだ、と。もしかしたら、自分などよりも優れたバランス感覚を有しているのかも知れない。ぼんやりとそんな事を考えていたら、双樹が苛立たしげに振り向いた。

「ねえ、見るんなら、もっと色っぽい目で見詰めてくれない?」

それは無理だ。しかし、もしもそんな目で見詰められたら、きっと今以上に怒るんだろうな、と思い、皆守は目を閉じた。




081:082:プラスチック爆弾(葉佩・皆守)

「皆守、ガム持ってる?」
「口の中になら」
「アロマとガムって混ぜるとどうなんの?」
「特にどうとも」
「へー」
「・・・」
「・・・」



「わあ、ミントとラベンダーが絶妙にケンカしてる」
「おい」
「率直に言うと、まずいねこれ」
「おい待て」
「やっぱお前、味覚おかしいよ」
「今の行動に対して何かコメントは」
「あ、ちょっと下がってて、爆破するから」
「まずお前が爆発しろ」
「ガムをクッションにして爆破の規模を小さくするのさ」
「そんな事はどうでもいい」
「手が塞がってたんだからしょーがねぇだろ」
「じゃあしょーがねぇなちくしょうお前が爆発しろ!」
「な、なんで!?」




083:雨垂れ(皆守)

 雨宿りに走り込んだ軒下。自販機の陰で、俺はそいつと出会った。夕闇色の目が、気付けばじっと俺を見ていたのだ。不用意に目を合わせてしまった事を後悔しつつ、負けじとその瞳を見詰め返した。無言の決闘にも飽きて、俺から先に目を逸らした。負けを認めた訳ではない。無意味な睨み合いが莫迦々々しくなっただけだ。
 言葉を交わす事は無かったが、そいつは少しの距離をとって、まるで俺になど何の関心も無いように、じっと座り続けている。俺も特に言葉を発する事は無く、ただ黙って立っていた。
 数日前に、同じ色の猫が車に撥ねられて死んでいるのを見た事を思い出す。いつの間にか片付けられていた死体は、もしかしたらこいつの親だったのかも知れない。ぼんやりと、そんな事を考えた。
 雨はまだやまない。暇だったので、俺はそいつの名前を考える事にした。黒いから「クロ」にしよう。暇潰しに選んだ思考は、三秒でけりが付いてしまった。まあいいか、いいだろ?クロで。声には出さずにそう言うと、クロはふいと横を向いた。可愛くない奴だ。気に入った。まあ、俺に気に入られたところで何の得にもならないのだが。
 アロマに火を点ける。硬い音で鳴ったジッポに、そいつの耳がピクリと動いた。だが、まだ動かない。母の帰りを待っているのだろうか。ふと落ちてきた言葉に、思わず空を見上げた。もうどこにもいないのに。言ってやろうかとも思ったが、やめておいた。それこそ無意味だ。




084:鼻緒(龍斗)

からん、と、聞き憶えのある音が背後で鳴った。振り向かずに声を待つ。間を置かず、今はもう馴染んだ愛称が耳をくすぐった。

下駄の歯が、すぐに磨り減ると零していた。常に動き回る人の、自慢のような愚痴だ。鼻緒よりも先に、歯が駄目になってしまうのだと、嬉しそうに語っていた。そんな事を思い出しながら、ゆっくりと振り向く。
夕日を背負って、その人は笑っていた。本当は逆光で表情までは見えなかったのだが、そう見えた。
笑いかけてくれる人がいる。笑いながら、名を呼んでくれる人がいる。
それならば、その人の為にこの命を使おう。
夜が訪れる少し前に、緋勇はそんな事を考えた。




085:コンビニおにぎり(蓬莱寺・緋勇)

それはとある春の日の昼休みだった。蓬莱寺が、買ってきたおにぎりを、少し離れた場所にいた緋勇に向かって放り投げた。ちょっと不意打ちぎみだったが、彼ならば巧く受け止めるだろうと、投げてから思った。
だから、べたっと鈍い音を立てておにぎりが床に落ちても、蓬莱寺は意味が分からなかった。緩い放物線を描いて飛んできたおにぎりを、さり気なく無駄のない動作で躱した緋勇も、どこか不思議そうな顔をしている。
床に落ちたおにぎりを拾い上げて、蓬莱寺は理解してしまった。

受け取れよ。そう言ってわざと不機嫌そうに睨むと、緋勇は眉間に皺を寄せてそれを受け取った。ありがとうと、小さな声で呟く。顔と言葉が合っていないのは気にせず、蓬莱寺は満足して頷いた。

自分に向かって飛んでくるものが、痛みばかりではないのだと、彼はこれで理解してくれただろうか。




086:肩越し

いつも寒そうにしていた。
ポケットに手を突っ込んで、背中を丸めて、それなのに上着の前は全開で、ふとした瞬間に触れた肌は悲しくなるほど冷たかった。風が吹けば肩を竦め、隙あらば日当たりの良い場所で丸くなる。太陽が傾いて移動した日向を追って寝返りを打っている姿を目撃した事もある。だったら初めからベッドで毛布を被って寝ればいいのに。

唇が乾いていた事を知っているのは、彼にはまだ秘密にしている。指先がささくれていたのも、指摘する機会を逸してしまった。首筋が鳥肌立っていたのも、朝は絶対に毛布を離そうとしないのも、常に眠いのも(寒いと眠くなると彼が言ったのだ)、かじかんだ指が思うように伸ばせなかったのも、吐息が白くて甘かったのも、肩越しにこちらを見た目が水を湛えていたのも、全ては寒かったからだ。そして乾燥していたからだ。つまり冬だったからだ。

春のあいつはどうなんだろう、と、葉佩は雪解けの水に指を浸しながら思った。
確かめに行こうかな、なんて考えたのは、春だからだ。




087:コヨーテ(葉佩)

明け方の空に遠吠えが響き渡った。葉佩がピクリと顔を上げ、空を見る。交替で火の番をしていたのだが、皆守は完全に寝入ってしまった。熾き火に枯れ枝を投げ入れると、パチっと弾けて火花が飛ぶ。火に背を向けて眠る皆守は、昼間の疲れもあってか目覚める気配は無い。
一つの歌に唱和するように、無数の遠吠えが空間を震わせる。
群で行動する生物を、葉佩はずっと冷めた目で見ていた。自分は一人で生きて死ぬのだと、幼い頃から信じていた。
もう一度、眠る人を見る。このまま気配を消して、立ち去ってしまおうか。そんな考えがよぎり、寒さにではなく身を震わせた。想像するだけで心臓が絞られる。こんな恐怖を抱えたまま、この先も生きねばならないのだろうか。

遠吠えがやんだ。聞こえるのは、火がはぜる音と、安らかな寝息。
壊れてしまうのが怖くて、いつか身動きがとれなくなるかも知れない。武器を捨て、旅をする事もなくなり、震えるほどの歓喜すら遠ざけてしまうかも知れない。それは葉佩にとっての死だ。
望んで手に入れた彼の心は、いつか葉佩を殺すだろう。




088:髪結の亭主(取手・葉佩・皆守)

「葉佩君って寒がりなのかい?」
「ん?いや、そーでもないよ」
「でも、ストーブついてるのにその格好は」
「気にしないで」
「コートぐらい脱いだら?汗かいてるよ?」
「おお、任せろ」
「会話しようよ」
「何故って、俺が《宝探し屋》だからさ」
「・・・」
「どうした取手、そんなカレーにラー油ぶっかけられたみたいな顔して」
「その比喩もよく分かんないし」
「おかえりー」
「あー寒かった」
「お疲れ、皆守」
「おう」
「ってわひゃあ!」
「あーあったけー」
「冷てぇ!触るな!まさぐるな!」
「暴れるな犯されたいのか」
「あ、腹はやめて!盆の窪も!」

ああ成る程、それやって欲しくて厚着してたんだ。
猫は一番あったかい所でぬくまるからね。
でもさ、僕がここにいるって忘れないで欲しいな。
なんでそんな幸せそうなの君たち。




089:マニキュア(双樹)

彼女の爪が赤く染まってゆくのを、ぼんやりと見詰めた。
それを美しいと感じる精神を、理解できない。割れて剥がれた自分の足の爪を思い出し、靴の中で指を曲げた。痛みはもう感じない。最初は赤かった爪は、もう青紫に変色している。
ふと思った。その赤は、痛みを忘れない為なのではないか。
表皮の下に墨を入れ、爪を赤く染め、彼女は永遠に戦う覚悟をしているのだ。




090:イトーヨーカドー(葉佩・皆守)

「皆守!大変だ!」
「変態はお前だ」
「たまねぎが安いよ!」
「安けりゃいいってもんじゃない」
「買い溜めしとくか」
「お前らしくない常識的な意見だな」
「あとキャベツも」
「そうか、今日はいい日だな」
「俺ってきっといい奥さんになるよね!」
「ああ、そんな日が来たら全力で祝福してやるよ」
「皆守も幸せにしてやるからなー」
「葉佩、俺はお前にずっと言いたかった事がある」
「俺もあるよ」
「食材は、いつか腐敗するんだ」
「な、なんだってー!」