031:ベンディングマシーン(皆守・葉佩)

「おい葉佩、腹減った」
「もうちょっと」
「眠い」
「それはいつもの事だろ」
「カレー食べたい」
「それもいつもの事だろ」
「俺の技が見切れるか?」
「うわびっくりしたぁ!」
「あーだるい」
「分かったよ!これやるからちょっと大人しくしてろ」
「流石は《宝探し屋》だな」
「お前、ぜってぇ《宝探し屋》を誤解してる」
「深夜の自販機みたいなもんだろ?」
「じゃあ金払えよ」
「お前、友達から金とるのか」
「とっとととと友達!ともだっ!え、と、ともっええええ!」
「楽しそうだな。どうした?」
「え、あ、いや、別に、何でもない、よ」
「そうか、今まで友達いなかったのか」
「あ、うん、そーゆー事にしとく」
「じゃあ、お前にこれをやろう」
「・・・どんぐり?」
「さっきそこら辺で拾った」
「わあ、なんかすげぇ和んだ。ありがと」
「蹴り入れるとカレーが出てくる自販機か」
「そんな目で俺を見んなぁ!」




032:鍵穴(葉佩)

鍵穴に、以前は工具を差し込んでいた。部屋の中で眠る人を起こさぬよう慎重に、でも心の片隅では、起きていればいいのに、などとこっそり期待しながら。

ドアの前に立ち、ポケットを探る。指先に触れた硬い金属が、彼の部屋に立ち入る権利を与えられたのだと証明しているようで、我知らず頬が緩む。用がないのに部屋に立ち入っても、もう怒られない。
だってこの部屋は、俺の部屋でもあるのだから。




033:白鷺

それが白く見えたのは、空から舞い降りて来たからだ。
それが黒く見えたのは、夕日に向かって行ったからだ。
本当は何色だったのか、今では確かめる術もない。




034:手を繋ぐ(葉佩・皆守)

「皆守!恋人繋ぎって知ってる?」
「知らない」
「こーやって繋ぐんだって」
「勝手に人の手を使うな!」
「あ、待って離すなよ」
「そっちは気持ち悪い」
「どっちが気持ち悪いって?」
「これ、小指が下なのが気持ち悪い」
「ん?指の組み方?こーゆー事?」
「ああ、そっちの方がしっくりくる」
「え、俺こっちの方が気持ち悪い」
「利き手が違うと手の組み方も違うんだな」
「うわあ!俺って皆守と手も気持ちよく繋げないんだ!」
「そもそも繋ぐ必要が無い事に早く気付け」




035:髪の長い女(皆守)

「みなかみくん」と、誰かが呼んだ。
見回しても、部屋には誰も居ない。窓の外を見ても、ドアの向こうにも、自分を呼ぶような人影は見当たらない。
「みなかみくん」と、もう一度、囁くように呼ばれた。憶えの無い声だ。
誰だ、と、声に出して問う。答えは返らない。幻聴が聞こえるのは今夜に限った事ではないが、漠然とした不安を覚えた。聞いてはいけない声だったのでは、と、自分でも理解できない言葉が浮かぶ。
もう一度、声がした。今度こそ恐怖が湧き上がった。
布団を被り、耳を塞ぐ。僅かな隙間から侵入されるのでは、と思い、布団を体に巻き付ける。その手が違和感を覚えた。どろりとした、その感触。この手は、何故そんな感触を知っているのだろう。
耐えかねて布団を跳ね除ける。心臓が、凍えたように冷えているのに激しく脈打っていた。ベッドから転げ落ちるように降りて、思うように動かない足を必死で前に出す。兎に角この場所から離れたくて、つんのめる勢いでドアに辿り着いた。
開けようとした瞬間、疑念がよぎった。ドアの外で待ち伏せされていたら。しかし、もしかしたらもう背後に迫っているのかも知れない。どちらの想像も真実のように思える。ドアを開く事も、振り向く事も出来ず、恐怖に震えたまま立ち尽くした。
またしても、呼ぶ声が聞こえた。
許してくれ。訳も分からず胸中で繰り返す。本当は大声で叫びたかったのだが、喉はそれを拒否していた。呻き声ひとつ出ない。うずくまって耳を塞ぐ。奥歯がガチガチと音を立てていた。
素足に何かが絡まった。咄嗟に自分の足を見下ろしてから、その行動を後悔した。無数の細くて長い糸が、裸の足を拘束している。見開いた目から涙が零れ落ちた。声はまだ出ない。黒い糸が、ぞろりと這い上がった。喉が奇妙な音を立てたが、やはり声にはならない。
汗と涙で濡れたまま、顔を覆って声も無く泣いた。

翌朝
今日も元気に登校しようと誘いに来た葉佩が、ドアの前でうずくまって眠る級友を発見した。以前にも何度か見た光景なのだが、いつ見てもやはり不可解だ。足の裏で丸まった背中を押しながら、葉佩はいつかその理由を暴いてやろうと心に決めた。




036:兄妹(九角)

極寒の雪山。吹き荒ぶ嵐の中に、緋勇の背中。
その隣には美里。
二人が振り向き、微笑む。強く、優しく。
嗚呼、恐れる物など何も無い。

目を覚ます九角。等々力不動は静寂。
美里の視線に笑みを返す。
「お前が妹なら良かったのにな」
そうしたら、この手で守る事が出来たのに。




037:スカート(葉佩)

それが何故なのかなんて俺にも分からない。入ってたんだ、ポケットに。虎の着ぐるみを出そうとしたら一緒に出てきた。そういえば最近ポケットの整理してなかったな、なんて思いながら、この出会いはきっと運命だと考えた。人生に於いて、挑戦するっていうのはとても大切な事だ。知らなかった物事を知るっていうのは、きっと素晴らしく重要な事なんだ。
俺は今まで生きてきて、スカートをはいた経験がなかった。だからはいてみようと思った。それだけなんだ。

で、お前はどうしてこんなにも崇高な目的でスカートをはいた俺をそんな目で見るのかな?




038:地下鉄

信号待ちをしていたら、地下鉄の駅から出てきた彼が視界に入った。彼は、見憶えのない女性の隣で、あの頃と変わらず眠たげに微笑んでいた。幸せそうだ、と思った。人は強いのだな、とも。そうだ、彼は人だった。ずっと前から、産まれた時から、死者に捧げられる贄などではなく、人だった。
眠たげな双眸は健在だったが、その背中はもう、闇に身を投げようとした囚人のものではなかった。葉佩があの夜の底で放った殺意に、陶然と返った暗い喜びは、もうどこにもない。彼は光の中に戻ってしまった。それならば、葉佩がその傍らに存在できる理由はない。薄闇でひっそりと交わされた共感は、もう彼には残っていない。
彼を心から祝福し、重い荷物を下ろしたような気分でギアを入れる。
泣きたくなったのは、嬉しいからだ。彼が微笑んでいられるのが、泣きたいほど嬉しいから。口中で呟きながら、込み上げた涙はやけに苦かった。




039:オムライス(葉佩・取手・皆守)

「昔さぁ、かめはめは本気で出そうとした事あるんだ」
「葉佩君・・・」
「・・・軽蔑したか?そうだよな。本気だったんだ。本当に、出るかもって思ったんだ」
「しないよ。軽蔑なんて」
「昔って言ったけど、実はそんなに昔じゃないんだぞ!」
「しないよ、はっちゃん!」
「取手、お前優しいな・・・」
「僕も出そうとしたんだ!かめはめは!」
「・・・お前も?」
「それも昨日!」
「マジでか!ごめん取手!俺お前のこと誤解してた!」
「はっちゃん!」
「かっちゃん!」
「・・・静かに食えないのかお前ら」




040:小指の爪(皆守・葉佩)

 いつだったか、葉佩が嬉しそうに見せに来た。
「お前、紫好きだろ?」
言葉どおり、葉佩の小指の爪は紫色に変色している。そういうエグい紫は好きではなかったので、見たくないというメッセージを込めて踵を振り上げた。まさか踵落しを食らうとは思っていなかった葉佩が、汚い悲鳴を発して床に転がる。一緒に机と椅子が音を立てて転げた。
 皆守が好むのは、空の色だった。空色という言葉が、晴れた真昼の空を表す言葉だと、皆守はもうずっと前から知っていた。しかし皆守が「そら」と聞いて思い描くのは、あの抜けるような清冽な色ではない。全ての色が混じり合ったような、不純な紫色。それは世界が移り変わる瞬間の、ほんの僅かな間にだけ見える色だった。それこそが、皆守が真っ先に思う空の色だ。
 日が沈む瞬間を、人は古来から不吉なものとして捉えた。曰く、大禍時。逢魔が時。また曰く、誰彼時。黄昏時。終わりの時。恐ろしい闇の訪れ。電灯など存在しなかった時代には、夜とはさぞかし危険なものであっただろうとは思う。人ならざるもののうごめく時間。その始まりとしての日没。境界の紫。ぼんやりと、そんな事を思う。
 葉佩が、呻きながら身を起こした。「愛が痛いよ」と呟き、皆守の顔を見て困ったように笑う。胡散臭い笑顔だ。何かを含み、それを隠す為の表情。倒れた机を起こしている葉佩に、あの場所を仄めかす言葉を投げてみる。人々に容易く死を喚起させる、子宮のメタファ。産道としての意味を含んだ隧道。薄闇とは、母の胎内の色なのではないか。母を知らぬ葉佩の、唯一の安らぎ。
 葉佩が笑みを引っ込めた。一瞬だけ虚無を体現し、今度は好戦的に笑った。嘘と演技の狭間に見えた、綻んだ繋ぎ目。それを認識し、皆守がひっそりと昂揚した。

 好むのは、世界が移り変わる瞬間の、ほんの僅かな間にだけ見える色。
 葉佩の小指から闇が始まる。