最後の一匹を仕留め、葉佩が辺りを見回した。更なる深奥へと続く道を探し、壁を注意深く観察する。その背中を眺めながら、皆守はアロマに火を点けた。甘い香りが流れ、汗と泥に汚れた葉佩の髪に柔らかく絡む。それを鬱陶しそうに手で払いながら、葉佩が落としていた視線を上げた。

「出口が無い」
「・・・は?」
「どっから入ったんだっけ」
「・・・おい」
「あの辺だよな」
「・・・うん」
「階段ないよ?」

 数年前に崩壊した都内の地下遺跡の跡を、葉佩は探索していた。皆守の母校でもあったその施設は、今では平凡な(?)全寮制の学園だ。その地下に広大な空洞がある事を知っているのは、限られた一部の人間だけだった。その一部に含まれる人間だった葉佩と皆守は、偶然(ここ4倍角)重なった休みを利用して、懐かしの母校の探検に乗り出した。
 ウキウキと薄暗い地下道を進んだ葉佩が発見したのは、陥没の影響で砕け散った壁の奥の、更に暗い一本の道だった。それを見た瞬間、葉佩は踊り(強制的にハイタッチされた)、皆守は俯いた。止める暇など、あろう筈も無かった。沈黙する皆守とH.A.N.Tを一瞥すらせずに、葉佩はその道に飛び込んだ。
 襲いくる異形を歌いながら銃撃しつつ、葉佩は無限かと思われるほどの長い道を進み続けた。

 そして今、葉佩は途方に暮れている。見落としは無いかと壁や床を探り、空気の流れを確認し、H.A.N.Tに目を落とし、それでもこの場所を脱出する手段は得られなかった。

「うん、無い」
「ああ、思い返せば悔いだらけの人生だったな」
「え、もう走馬灯?気ぃ早くね?」
「どこで間違えたんだろう」
「おーい」
「あれかな、うん、あれだな。あそこで間違えたんだ」
「皆守くーん」
「おい葉佩」
「は、はい」
「早く出ようぜ、こんなとこ」
「・・・うん、そうだね」

頷きつつも、何故か葉佩は目を逸らした。
 此処には、自らの来歴を語るような情報は存在しなかった。無限かと思われる回廊は、葉佩がまだ新米だった頃に、人ならざる存在に導かれて立ち入った迷宮を思い出させる。だがあそこも、無限ではなかった。
 母校の地下に遺跡がある事は知っていたが、まさか未発見の洞穴があるなどと、皆守は想像もしていなかった。知らないだけで、都内にはそんな物が大量に埋没しているのだろうか。しかも、活きのいい異形までもが跋扈している。大丈夫か東京。思わず故郷の行く末を思って憂鬱になっていた皆守から少し離れ、葉佩が煙草に火を点けた。

「あーちくしょー」
「救難信号でも出して大人しくしてるか」
「そんなお前に耳寄りな情報だ」
「・・・言ってみろ」
「此処、電波が届いてない」
「・・・ああ」
「ああって!ちょっとは焦れよ!けっこー絶体絶命だぞ!」
「まあ、だいぶ潜ったからな」

釣られて皆守も火を点けた。花の香りと煙草の匂いが混じり、そこに埃と硝煙と黴などの匂いが加わる。だが、その程度の匂いで顔をしかめていては《宝探し屋》など務まらないのだろう。そもそも、葉佩が纏うのは大抵が有害な匂いばかりだ。煙草を筆頭に、火薬、ガソリン、排気ガス、オイル、などと脳内で並べてみても、甘さは全く見当たらない。傍らにあるその匂いが、いつの間に当たり前になったのだろう。
 流れてくる煙を深く吸い込む。独り言を呟く葉佩を見る。その目が自分に向かう様を想像する。それは記憶でもあった。人と触れ合う事を怖がる葉佩は、それでも時折、何かを含んで皆守を見詰める。見返せば逸らされるので、皆守はいつも視界の端でそれを確かめた。

「こっから入ってー、この辺りで曲がってー」
「腹が減った」
「ええと、こっちが行き止まりでー」
「カレーはどこだ」
「で、今はここだからー」
「おい葉佩、カレー」
「あ、ここは上り坂だったっけ」
「葉佩、カレー」
「うるせぇ!俺はカレーじゃねぇ!」
「お前がカレーだったらとっくに食べてる」
「真顔で言うな!ドキドキするだろ!」

H.A.N.Tに落としていた視線を上げ、葉佩が振り向いた。靴底で煙草を揉み消し、吸殻を携帯灰皿に放り込む。遺跡に対する礼儀だけは欠かさない男だ。皆守が目を逸らさない事を察して、葉佩が上げていた視線を再び落とした。背を向けて、独り言を再開する。その背中が拒絶ではない事を、皆守はもう知っていた。

「鞄の底の方に食料あったから、それでも食ってろ」
「・・・密室、だな」
「・・・はい?」
「出口は無い」
「え、ええと?」
「戻る道も無い」
「・・・あの」
「で、今お前の目の前には、銃なんかじゃ死なない俺がいる」
「・・・」
「そして俺は空腹だ」

ピクリと揺れた肩を、皆守は眠たげな瞳で凝視している。葉佩はまだ振り向かない。しかし、先程から休まずに動き続けていた手は止まっている。暫く無言で固まっていたが、やがて背を向けたまま言った。

「・・・どうしよう」
「天井を爆破するとか」
「生き埋め決定だね」
「あ、そうか」
「お前、破滅願望なくなったら破壊衝動が強くなったね」
「・・・ばか、いきなりなに言ってんだ」
「違う!その反応は間違ってる!」
「そうか・・・俺も、お前の事が・・・」
「言ってねぇ!幻覚と会話すんのやめようぜ!」
「あー暇だー」
「・・・お前、強くなったなぁ」

遠い目で呟き、葉佩がH.A.N.Tを閉じた。鞄を引き寄せて中を探り、アルコールランプと水を取り出す。水を一口だけ飲んでから、少々苦労して引っ張り出した手鍋に注ぐ。使用後にはまたボトルに詰め直すので、零さないように丁寧にその作業を終えた。ランプにライターで火を点け、ついでに煙草にもその火を移す。苦い煙を旨そうに吐き出し、皆守を見た。

「焦ってもしょーがねぇ、飯にするか」
「食料が切れたら餓死か」
「おう、覚悟しとけ」
「・・・お前は?」
「ミートソースにする」
「じゃなくて、覚悟してんのか?」
「してないよ」

手元を見詰めたまま、葉佩があっさりと言った。だろうな、と口中で呟き、皆守はコトコトと音を立てる鍋に視線を戻した。

 空腹が満たされると目蓋が重くなるのは、葉佩も同じらしい。使った物を手早く片付け、葉佩が鞄を枕に寝転がった。その横で、皆守は甘い香りを燻らせている。目を閉じたまま、葉佩が薄く笑った。疑問を投げてみても、答えは返らない。
 辺りは薄闇で、自分達以外に動くものは存在しない。このまま、終わるのだろうか。よぎった言葉も、皆守の危機感を煽る事はなかった。まるで、満たされているような気がする。葉佩が、隣で目を閉じている。たったそれだけで。

「枕かてぇ」
「俺の膝でも使うか?」
「もっと硬そう」
「膝枕って、あれ膝じゃないよな」
「うん、フトモモって言った方が嬉しさ倍増だよね」
「俺の太腿でも使うか?」
「どっちにしろ硬そうだから使わない」
「まあ遠慮するな」
「じゃあ遠慮なく」

と言って葉佩がにじり寄ってきたので、皆守は思わず後退った。少しだけ空いた距離を、葉佩が無表情に見詰める。次いで皆守を見る。片方の眉を上げ、無言で疑問を表した。それには答えず、皆守がやはり無言で更に後退する。一進一退を何度か繰り返し、やがて葉佩が立ち上がった。

「皆守!脱出しよう!」
「お、おお」
「やばいよ此処!ぜってぇやばい!」
「そーだな」
「あ、お前、アロマ吸うなよ!」
「は?俺はこれがなかったら凶暴性が三割り増しだぞ?」
「え、そーなの?」
「知らなかったのか?」
「あ、でもやっぱ駄目。此処でそんな匂い嗅いでたらぜってぇやばい」
「持て余した衝動はどうすれば」
「隅っこでこっそり処理しろ!」
「お前がいるのに?」
「え、ええと、どのような趣旨の発言ですか?」
「もう何度も訊いたんだが、お前は一体なにがしたいんだ」
「お宝ゲットしたい」
「具体的には?」
「・・・それ、今じゃなきゃ駄目?」

葉佩が困ったように眉を下げた。明確な解答など、何処にも存在しないのだろう。どうして生きるのかと問われ、答えられる者など、きっと何処にも。見上げてくる葉佩の頭に手を乗せ、それを合図に探索を再開した。

 暫く無言で壁や床を注視していた葉佩が、ぽつりと呟いた。

「・・・今、ゼフがよぎった」
「ぜふ?」
「自分の足を食って生き延びた赤足のゼフだよ!あああどうしよう!なんだかよさ毛がとまらない!」
「お、落ち着け」
「やだ!もう落ち着きたくない!俺は死ぬまで醜く足掻くんだ!」
「いや、まあ、それはいいんだが」
「近寄るなってば!いい匂いするんだよお前!」

視線は床に落としたまま、葉佩が壁に貼り付いた。どうやら脱出できない事よりも、皆守が傍にいる事が葉佩に恐慌をもたらしたようだ。その事実に、皆守の心臓がざわめいた。葉佩が一人で探索をする様など知る由も無い。だが仮に、この場に皆守がいなかったら、葉佩はもっと冷静に振舞っていただろう。眼前の死すら、葉佩は恐れない。そんな男が、たった一人の卑小な人間に恐怖している。

「どうしよう。本気でどうしよう。何はさておきこの状況はやばい」
「まあ、ゆっくり考えろ。待っててやるから」
「どうしよう!窮地に追い込まれて子孫を残したい本能が発動して皆守を襲ったりしちゃったらどうしよう!ちょっと抵抗されたりなんかしたら燃えちゃうかも!本能と煩悩ってすっげぇ似てるよね!」
「安心しろ、その前に足腰立たなくしてやるから」
「いーやお前が安心しろ!天国見せてやるから!」
「見たくない」
「何でだよ、地獄行き決定のお前が天国見るとか死んでも有り得ねぇぞ!」
「お前となら地獄でもいい」
「・・・それはそれでどうしよう!」

「どうしよう」と繰り返す声に被せて、皆守が声には出さずに同じ言葉を呟いた。
 どうしよう。途方も無く愉快だ。狼狽える葉佩を見るのが、堪らなく楽しい。何故なら、その心を占有しているのは自分だから。謎を解明できない事よりも、皆守が隣にいる事に、葉佩は動揺している。緩んだ口元を隠す為にアロマを銜えなおし、皆守が一歩踏み出した。計ったように正確にその瞬間、葉佩が顔を上げて叫んだ。

「そうだ!壁を掘ろう!」
「地盤沈下とか、大丈夫か?」
「こんだけ縦横無尽に地下道が走ってんだから、どっかに出るよな!」
「まあ、今更だな」
「よっしゃあ!出番だ小型削岩機!」
「お前、その道具に話し掛けるのやめろよな」
「砕け散れ!俺と小型削岩機!」
「え、自爆?」

轟音と共に激しく振動を始めた小型削岩機と葉佩を、皆守は無表情に見詰めていた。壁に向かって、葉佩は削岩する音に負けない音量で歌っている。何度か角度を変え、その度に葉佩は優しく小型削岩機の表面を撫でた。仲睦まじいその様子に、皆守の機嫌が僅かに下降する。
 葉佩が物を大切にするのは知っていた。それが少々気持ち悪いほどだという事も、もうずっと前から知っている。刃を研ぐ時も、銃に油を差す時も、葉佩はまるで愛撫するように柔らかく無機物達を扱った。それが歪んだ自己愛だと、葉佩は気付いているのだろうか。

 音がやむと同時に、葉佩が膝を付いた。

「硬い。無理だ」
「まあ、所詮は『小型』削岩機だからな」
「俺の小型削岩機をばかにするなぁ!」
「いや、今のは主にお前をばかにした」
「そっか、ならいいや」
「歪みすぎだろ」

捻れたまま閉じた輪になってしまった男に憐憫を投げ、皆守は煙を吐き出した。愛機をポケットに収納し、葉佩がその場で座り込んだ。胡坐を掻き、後ろ手で上体を支えながら皆守を見上げる。皆守が視線を合わせぬまま煙を吐き出すのを見て、無遠慮に凝視し始めた。観察に似ている。感じた不快を押し留め、皆守は目を逸らした状態で葉佩に意識を向けた。

「皆守」
「何だよ」
「・・・俺より先に死なないでね」
「約束は出来ないな」
「してよ。お前の方が体でかいし、アレはどうだか知らんけど」
「何の話だ」
「きっとお前の方がタフだよって話」
「弱気だな」
「事実だろ」
「でもお前、諦めてないだろ」
「そりゃそうだ」

 葉佩は、いつだって扉を開いてきた。出会った頃には恐ろしかった葉佩のその本能は、今では皆守の信頼を形作る根拠となっている。まるで、かつて見た幻のようだ。背を預け、預かり、肩を並べ、共に道を行く。何度も浮かべては握り潰した、あの頃の幻とよく似ている。気付いた皆守が、薄闇の中で密やかに微笑んだ。

「なあ皆守」
「・・・んー?」
「眠くなってきてる?」
「・・・いや、まあ、眠いか眠くないかって言われれば、眠いな。今の俺と同じ状態の俺を百人集めても百人が眠いって言うだろうな。そのぐらい眠い」
「そっかぁ、じゃあ寝ながらでいいや。ちょっと聞いて」
「んー」
「たぶん気付いてるだろうけど、俺はほんとは葉佩じゃないんだよ」
「あー」
「でもお前が葉佩って言うから、俺は葉佩な訳さ」
「へー」
「お前が言ってくれなきゃ、俺は葉佩じゃなくなっちゃうんだよ」
「ほー」
「そんなのやだから、葉佩って言って、ください」
「はばき」
「うん、ありがとう」

目を開けて見た葉佩は、左右非対称に笑っていた。いびつなその笑顔は、過去に何度か見た記憶がある。不安定で奇妙に捻れたその笑みが、皆守の生きる理由になった。そんな風に笑うな。ずっと、言ってやりたかった。いつか言ってやろうと思って、気付けばこんな所にまで来てしまった。愚かな自分を、それでも何故か憎めなかった。

 葉佩は、「付いてきて欲しい」とは言わなかった。ただ、一度は失った筈の手に、恐る恐る自分の手を重ねた。永遠の別離を告げたその手を、まるで祈るように両手で包んだ。惜しむようにゆっくりとその手を離し、そのまま往こうとした背中を呼び止めたのは、皆守だった。振り向いた瞳に揺れていたものが、今も皆守を奮わせている。

 あの時と同じ色が、葉佩の瞳で揺れている。
 結局、言葉は何一つくれなかったな。
 地の底で、皆守が遠くない死を思って笑った。

 その横で、葉佩が困難な活路を思って笑った。





















蛇足的なその後