会えるだけでいい、というのは本心だった。しかし、会ってしまえば欲求は際限なく湧き上がった。もっと声を聞きたい。もっと話していたい。もっと近くに。そして、触れたい。だが、不機嫌そうな顔で横を向いた皆守に、何を言っていいのか分からなくなる。葉佩自身、溢れる感情を巧く理解できていなかった。
視線を落としたまま黙ってしまった葉佩に、皆守が言葉を投げる。まるで、落ちた沈黙に困惑してしまった葉佩を助けてくれたようにも思えるが、真相は不明だ。
「お前、仕事は?」
「あ、えっと、やめた」
「やめた?」
「《宝探し屋》はやめてないよ。ロゼッタから足洗ったの」
「へえ、そんな簡単に足抜け出来るのか」
決して簡単ではなかったのだが、葉佩はその言葉に頷いた。醜悪な世界に棲んでいた自分の事を、彼には知られたくなかった。使い捨ての道具ではなく、人間になりたかった。そんな憐れがましい願い、言える筈もない。
「で、戸籍とかちゃんと作って」
「いや、ちゃんとっていうか、偽造だろ」
「まあ、それはさておき」
「おくのか。まあいいけど」
「皆守のそーゆーとこ、好きだぜ」
「そりゃどーも」
「軽いな。赤くなったりしろよ」
「お前は俺に何を期待してるんだ」
「期待っつーか、妄想してる」
「で?」
「で、えっと、あー、言っていいの?怒らない?」
「戸籍を作って、それで?」
「あ、そっちか」
蛇行し続ける会話を、本筋に軌道修正する。
戸籍を(不法な手段で)作り、正式にハンターとして協会に登録した。正当な報酬を得て仕事をこなし、自分を育てる為に費やされただろう金額を協会の幹部に叩き付け、その場で脱会を宣言した。
「小指おいてけとか、言われなかったのか」
「こゆび?小指って、何で?」
日本の極道の作法など、葉佩は知らない。自分の失言を反省した皆守が、無言で先を促した。葉佩は、小指を曲げたり伸ばしたりしながら眉間に皺を寄せている。その爪が割れている事に気付いた皆守が、こっそり眉をひそめた。否応もなく痛みを思い起こさせる存在が、僅かな傷で動けなくなる自分の弱さを露呈させるような気がする。
まだ自分の小指を見ていた葉佩に、今度は声で先を促す。
「小指は気にするな。知らないならいい」
「ん、勉強しとく」
「で、どこまで聞いたっけ」
「あー、えっと、だからね、照れてる皆守とか見たら」
「それは聞いた」
「そーだっけ?言ったっけ?」
「脱会したって事は、お前いまどうやって飯食ってるんだ」
「あ、今は完全に自由契約」
「へえ」
「だから来たんだよ」
「何しに?お前に頼むような仕事なんかないぞ」
「そうじゃなくって、だから、今はもう俺はほんとに葉佩なんだよ」
皆守が、首を傾げて葉佩を見た。無邪気なその仕草に、葉佩が少しだけ笑みを浮かべる。きっと皆守は理解しないだろうと思っていた。当たり前のように名を問うてきた彼は、きっと知らない。そして願わくば、永久に知らないでいて欲しいと思う。酷い傲慢だ。彼は綺麗なのだと勝手に妄想して、人格を無視して在り様を規定するなどと、それは葉佩を育てた協会と同じ思想だ。他者に対する願望とは、相手を見ずに己だけを見る事だ。
彼の前で葉佩は、欲望とはなんとも罪深いものだと痛感させられる。それでも欲求は留まらず、手を伸ばして頬に触れた。にべもなく叩き落された。二人を隔てる炬燵が憎い。叩かれた手を握り締め、葉佩が俯く。それには気を留めず、皆守が視線を上に投げた。
「・・・寝るか」
「は?」
「明日も早いんだ」
「何で?」
「一応だが、俺にも仕事がある」
「仕事?何やってんの?」
「平和で一般的な職業だ。気にするな」
「気になる!すっげぇ気になる!」
「って訳で、お前を居候させる余裕は無い」
「あ、それはだいじょぶ。俺もけっこう稼いでるから」
「それって、具体的に幾らだ?」
「ええっとねー」
と言ってから葉佩が提示した金額に、皆守は目を見開いたまま固まった。人生について考え出した皆守をぼけっと眺めながら、葉佩は隣人の再起動を待った。無遠慮に凝視できる機会は貴重だ。だが、見ていると触りたくなる。手を伸ばし、思いなおして引っ込め、また伸ばす。皆守はまだ動かない。
葉佩が意を決する前に、皆守は再起動を終了してしまった。心の中で自分の優柔不断っぷりを罵倒している葉佩に、至って冷静な言葉を落とす。
「じゃあ働かなくてもいいのか」
彼らしい発言だったが、葉佩はそれを否定した。
葉佩にとって《宝探し屋》というのは、職業である以前に、生き方そのものだった。道具だった頃には知らなかった、謎を解いた瞬間の快感。暗い地の底を這いずり、再び空を仰いだ時の開放感。芳醇な闇が語りかけてくる言葉も、永遠のような時間を経て存在し続けた思いも、全てが葉佩を魅了した。死を振り切り、走り続ける事が、即ち生きる喜びなのだ。
熱く語り出した葉佩に、皆守は煙を吐き出しながら冷めた視線を向けている。
「だから、《宝探し屋》はやめない」
「ふーん」
「そんでね、だからさ、皆守!」
「行かないぞ」
「え、俺まだなんも言ってない」
「俺は慎ましく平凡な人生を送るんだ」
「えええ!そんなん似合わねーよお前には!」
「黙れ。お前に俺の何が分かる」
煙草の灰を弾きつつ、皆守は真っ直ぐに葉佩を見た。揺らがぬ信念を感じるような感じないようなその目に、葉佩が言おうとしていた言葉を飲み込む。唇を引き結んで黙った葉佩を、皆守はもう見ていなかった。
「お前もそんな命懸けの仕事やめとけ」
「だいじょぶ!俺が守るよ!」
「それだけ蓄えがあるんだ。面白おかしく自堕落な人生を送れ」
「お前の願望じゃねぇかそれ!」
「何で知ってるんだ」
「見てりゃ分かるよ!」
「そうか、分かってくれたか」
「あ!違う!そうじゃなくって!」
ただ違うのだろうと、悲しく思った。彼と自分では、あまりにも。悲しく思う葉佩を、皆守は理解しなかった。皆守にとって世界とは、自分と自分ではないもの。極言すればそれだけだった。だが葉佩にとって世界とは、即ち自分自身だった。全ては自分を生かす為の存在であり、理解し得ないものというのは、吸収し、やがて自分の一部となるものだった。
葉佩にとって皆守とは、どこまで行っても自分ではなかった。自己愛ならばずっと昔に形成されている。だが、それではこの心が震える事はないのだと、葉佩はもう知っていた。自分ではない存在が、自分を切なく震わせる。その悦びを、葉佩は知ってしまった。だから葉佩は、その断絶すら甘く感じていた。悲しみさえ、絶望たり得なかった。
だから悲しみを頬に乗せたまま、葉佩は笑って見せた。これは幸福なのだと、自分に言い聞かせるように。
「ねえ皆守」
「寝る」
「えええ!早くね?」
「ベッドは好きに使え」
「じゃあ一緒に寝ようか」
「その図体で?」
「だいじょぶだいじょぶ、何もしないから」
「その発言が既に危ないという事に早く気付け」
「朝方ごろ勃ってても気にしないでね」
「ああ、まあ、それはいいんだが」
「起きたら顔面に白い粘液が飛び散ってても気にしないでね」
「それは気にする」
「下半身だけ剥かれてても気にしないでね」
「上等だ表に出ろ。そして其処で寝ろ」
皆守が炬燵布団を頭まで引き上げた。成る程、寝具も兼ねていたのか。でもこの時分、その布団は暑くないのだろうか。葉佩が座っている方からは、足が出てきた。鬱陶しげに腰を蹴られた。何だこの仕打ち。
細い足首を掴み、力任せに引っ張る。炬燵の内部で、くぐもった声が上がった。同時に、揺れた机の上でカップが踊る。まだ残っていたコーヒーが零れ、布団に染みを作った。構わず引くと、ゴツっという音と共にひときわ激しく炬燵が揺れた。抵抗が無くなったので、布団に手を突っ込み、ベルトと思しき部位を掴んで皆守を引きずり出す。ちょっと脱げていた。頭を押さえたまま、皆守が乱れた着衣を整える。捲れ上がったシャツの隙間から見えた肌に、葉佩の心臓が音を立てて冷えた。
白い肌に、醜い傷跡が刻まれていた。刻んだのは葉佩だ。自身の血に濡れた皆守の姿を、忘れた事はなかった。夢の中で何度も見た。覚めていても、その記憶は不意に浮かび上がって葉佩を苦しめた。思わずその傷に手を伸ばそうとして、寸前で引く。
皆守はもう、炬燵から這い出してベッドに身を預けていた。枕を抱き寄せ、タオルケットを被る。
一つ溜息を吐き、葉佩は炬燵に入ろうと布団を上げた。狭い上に、床は硬くて冷たい。引きずり出したバスタオルの存在を思い出し、その存在意義に思い当たった。シーツ代わりだったのか。座布団が一緒に中に入ってたのも、その為か。氷解した謎に気を取られていた葉佩の背中に、気を抜いていたら聞き逃してしまいそうなほど小さな声が投げられた。
「どうした」
「どうしたっつーか、日本の文化って奥が深いなぁって」
「・・・来ないのか?」
まさか皆守が、本当にただ純粋に同じベッドで眠るだけのつもりだったなどと、葉佩はこの時にはまだ気付いていなかった。
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