葉佩の姿が見えない。
 以前は、皆守が墓の敷地内に足を踏み入れるや否や走り寄ってきた。危険物でポケットを一杯にして、重そうな音を立てて、それでも満面の笑みを浮かべて、皆守に向かって一直線に進んできた。
 教室でふと窓の外を見ると、やはり嬉しそうに手を振っていた。屋上で目を閉じれば、再び目覚めた時にはいつの間にか隣に座っていた。

 思い返し、皆守が漠然とした不安を覚える。いくらなんでも、付き纏われすぎじゃないか?
 最近では寝室は疎か、ベッドにまで侵入されていた。一日に於ける葉佩の割合が、ちょっと異常なまでに多かったような気がする。しかも何だか、これはいわゆる、ストーカーとかそういう類のものを思わせる行為ではないだろうか。
 ではこの状況は、正常に戻ったのだろうか。うん、きっとそうだ。

 結論が出たところで、皆守は足元の焚き火の跡を見下ろした。
 爪先で突付けば、灰に混じって僅かに煙が上がる。恐らく昨夜のものだろう。土を乗せてカムフラージュしてはいるが、一見して分かるほど雑な仕事だった。彼らしくもない。
 そう考えてから、「葉佩らしい」などと言えるほど彼の情報を持っていない事に気付いた。無邪気な子供のように振舞う時も、死地を求める老兵のように銃を構える時も、葉佩は自分が見られている事を知っていた。
 狡猾な子供は、自分を見る目を意識して自分を作る。特に、葉佩は周囲の人間の顔色を窺いながら生きてきたのだろう。相手が望む姿を、無意識に演じているように思えた。
 時々見せる癇癪は、抑圧された精神の救難信号なのかも知れない。仮にそうだったとしても、出来る事など何もないのだが。自分が誰かを救うなどと、皆守は夢に見た事もなかった。

 何度か見た泣き顔を思い出す。苦しそうに涙を落とし、祈るように皆守に触れた。だがその言葉を、皆守は信じていなかった。やがて去り行く旅人が、気紛れに拾い上げた小石。葉佩にとって自分はその程度の存在なのだと、ずっと思っていた。

 墓に降りてみても、葉佩の姿は見えなかった。
 耳を澄まし、神経を張り巡らす。周囲を注意深く見渡し、気付いた。昨日までは確かに閉ざされていた扉の鍵が、開いている。皆守は、躊躇う事なくその扉を開いた。音を立てて足を踏み出す。
 踏み込んでから、皆守は思い出した。ここは、最後の《執行委員》が守る冬の部屋だ。いつもの服装で来てしまった事を後悔しながら、開けていた上着のボタンを留め、ポケットに手を突っ込んだ。それでも隙間から冷気が忍び込む。5分探して見付からなかったら戻ろう。心に決めて歩き出した。
 ここまで深く侵入されるとは、あの初秋の日には想像もしなかった。

 本当に?

 不意に、耳元で声が聞こえた。幻聴だと理解はしたが、心臓が嫌な音を立てて軋む。それが内なる自分の声だと、皆守は察してしまった。
 目を逸らしていた問いが、黒煙のように湧き上がる。本当に、想像していなかったのか。
 葉佩が叫んだ言葉を思い出す。皆守の持ち場まで行く、と、あのとき葉佩は言った。待ってる、と皆守は応えた。その瞬間に感じた昂揚感を、皆守はずっと無視し続けていた。

 ずっと待ち望んでいた。全てが暴かれる日を。全てが崩れ去り、自分という存在の意味が果たされる時を。あの小さな体が、その望みを叶えてくれるかも知れない。そんな望みを抱えたまま、皆守は自分の義務を遂行していた。
 永久に果たされる事のない誓いを、小石を宝物だと信じる子供のように一心に掲げた。

 ご機嫌な猿を一閃で黙らせ、続く部屋で葉佩を発見した。碑文に向かい、独り言を呟いている。時々情報端末に目を落とし、また何事か呟いて虚空を見詰めた。もう一度、同じ言葉を吐き出す。

「何か用?」

無表情な声で落とされた言葉が独り言ではない事に、皆守は暫くしてから気付いた。
 特に気配を消していた訳ではない。近付く足音を、葉佩は先程から察知していたのだろう。ジッポを擦る音にも反応はない。煙を吐き出し、皆守が漸く答えた。

「お前に用じゃない。仕事だ」
「俺の監視?」
「そんなところだ」
「でもお前、あんまりちゃんと仕事してねぇよな」
「・・・お前が消えるからだろ」
「監視って分かってて素直に全部見せる侵入者なんかいねぇよ」
「それもそうか」

頷いた皆守にも、葉佩は振り向かなかった。石碑の前に座り込み、情報端末に何事か入力している。拒絶は感じられなかった。ただ無視されているだけだ。いてもいなくても同じ。小さな背中が、そんな風に主張していた。必死でそう言い聞かせているようにも見える。
 アロマを3本ほど吸い終わった時、葉佩が立ち上がった。やはり視線は合わせず、独り言のように呟く。

「解除スイッチが侵入者の手の届く所にあるってのは、どういうことだと思う?」

 葉佩がかつて見たのは、一瞬の躊躇もなく人を殺傷する機構だった。目の前で紙切れのように吹き飛んで散らばった人間を、見た事がある。侵入者を本当に拒んでいたのなら、罠とはそうあるべきだ。
 それがこの遺跡は、まるで侵入者を導くように作られていた。真実に辿り着く者を、ずっと待ち焦がれるように。
 秘密を抱いて生きるのは、辛く苦しい事だ。

「本当は、暴かれたいんじゃねぇの?」
「ああ、そうかもな」
「お前も?」
「・・・そうかもな」

 一切の予備動作を感知させず、葉佩が唐突に動いた。壁に寄りかかって立っていた皆守の懐に、一息で走り込む。逆手に持ったナイフを、皆守の首に向けて振り上げた。
 薄い刃が、不愉快な音を立てて壁に突き刺さる。同時に皆守の首を掠めて赤い筋を引いた。皆守が目を見開く。敵に刃を突き付けられてなお困惑の表情を見せる皆守に、葉佩が激昂した。

「なんだよその反応!」
「いや、ちょっとびっくりした」
「ちょっとかよ!俺は敵なんだぞ!」
「あ、ああ、敵な。うん、そうだったな」
「忘れるか!そーゆーこと忘れるか普通!」

皆守にとって、敵ですらなかった。完全に見くびられている。彼に一筋の動揺も与える事が出来ない。

 ナイフが音を立てて床に落ちた。小さな体が崩れるように落ちる。服の裾を掴まれたので、皆守も仕方なく一緒に座り込んだ。浅く斬られた皮膚の近くで、葉佩が堪えきれずに嗚咽を漏らす。皆守の服を握り締めながら、溢れる涙を止められない事が悔しくて、その苦痛が更に喉を圧迫した。
 皆守の手が、少しだけ躊躇ってから葉佩の背に触れる。宥めるように、軽く叩く。それがまるで優しさのように感じられて、葉佩は漸く悟った。

 こんな小さな体では、彼を殺す事も、救う事も出来ない。

 浮かんだ言葉に、また涙が溢れた。
 皆守の手が、宥めるように背を撫でる。その腕を斬り捨ててやりたい。二度と自分に触れる事のないように。憐憫を含む優しさが、葉佩を酷く荒んだ気持ちにさせた。非力な己に向かう憎悪を、そのまま皆守に叩き付けたくなる。自分の持つ最も残虐な方法で、彼を痛めつけたい。自分に縋って泣く皆守が見たい。
 だが現実には、葉佩が皆守に縋って泣いている。想像した残酷な映像が決して実現しない事を、葉佩はもう知っていた。
 肩に触れる手を振り払えなかった時点で、葉佩に生き残る術は残されていなかった。

「どうした?」
「うっせぇ」
「腹でも減ったのか?」
「うるせぇっつってんだよ。喋るな」
「・・・怖くなったのか」

声音は、低く優しい。だがその言葉は、葉佩の心臓に深く突き刺さった。風穴の開いた心臓を見下ろし、葉佩はその言葉が真実である事を認めた。
 怖くはなかった。行く手を阻む全てのものを、打ち砕いて進んできた。顔を上げても振り返っても、道などどこにも見当たらなかった。それでいい。今、自分は立っている。それだけで満足だった。足がある。手もある。五感は正常に刺激を感知し、内臓もその役割を果たしている。それならば、もう望みはない。そうやって生きて来た。

「俺を殺すのが、怖いのか」

葉佩は、人を殺した経験などない。障害物を排除しただけだ。
 与えられた命令を遂行できるのならば、それ以外は全て無意味だった。恐怖など入り込む余地はない。ない、筈だった。

「皆守」
「なんだよ」
「墓守なんかやめちまえ」
「お前が《宝探し屋》やめればいいだろ」
「やだ」
「俺だって嫌だ」
「何でだよ!俺の事そんなに殺したいのかよ!」
「殺したくはないが、命令があれば殺す」

 ああ、同じだ。
 少し前の俺と。

 葉佩は皆守と出会って変化した。だが皆守は、出会った頃と何一つ変わっていない。命令を遂行するだけの、空虚な存在のままだ。
 黄昏のような瞳が、じっと葉佩を見詰めている。その色からは如何なる感情も発見できなかった。皆守の膝に乗り上げたまま、葉佩が祈るように額を落とした。
 そのまま動かなくなった葉佩の首筋に、前触れもなく氷のような冷たい何かが触れた。思わず裏返った声を上げて飛び上がる。

「冷てっ!何いまの!心臓とまるかと思った!」
「やっぱ子供は体温高いな」
「手?もしして今のお前の手?死人かお前!」
「一応たぶん生きてるが、寒いんだからしょうがないだろ」
「何でちょっと自信なさげなんだよ!生きてるよお前は!」

跳びすさって、更に距離を取る。鳥肌の立った首筋を撫でながら、葉佩が涙混じりに皆守を睨み上げた。それをさらりと受け流し、皆守が無表情のまま手招きする。その瞳は、無音で「暖房器具発見!」という色を発していた。
 葉佩がもう一歩後ずさる。

「まあそう警戒するな」
「するだろ警戒!何だよその手!」
「寒いんだ。あっためてくれ」
「うわあ!なんだその台詞!ちょっとドキドキする!」
「人の役に立ってこその《宝探し屋》だと思うんだが」
「何でお前が《宝探し屋》について語ってんだよ!」

叫びながら後退した葉佩の背が、壁に当たった。皆守が無表情のまま距離を詰める。
 咄嗟に銃を抜いたが、照準を合わせる余裕はなかった。ポケットに手を入れたまま、皆守が無造作に歩み寄る。壁際でうずくまった葉佩に手を伸ばし、襟首を引っ掴んだ。暴れる体を押さえつけ、溜息と共に独り言を呟く。

「あー寒い。こんな日はやっぱりカレーだよな」
「どんな日もカレーだろお前は!」
「おら、とっとと帰るぞ」
「担ぐな!下ろせ!まだあそこ解除し冷てっ!」
「うお、あったけー」
「手ぇ突っ込むなぁ!冷てぇんだよこのばかっ!」

的確に間接を押さえ込まれ、抱え上げられた。ついでとばかりに服の下に手を突っ込まれる。氷の手が、葉佩の腹を無遠慮に撫で回した。
 滑り込んだ冷気とそれ以外の何かに、葉佩が身を震わせる。葉佩は、先程とは別の理由で泣きそうになっていた。本気でその手を拒絶できない事実を自覚する。何故なら、その手は葉佩を求めているから。たとえそれが絶望の先の終焉に向かっていたとしても、皆守は葉佩を求めている。それが、自分でも気持ち悪いほど嬉しかった。
 ただ一時の慰めとしてでも、彼が触れてくれるのが嬉しかった。

 こんな体勢は本意ではない。立ち向かいたいんだ。俺がお前より強いって、証明したいんだ。俺は強いから頼ってもいいんだって、言ってやりたいんだ。担がれたまま、皆守の背中に爪を立てた。
 もう駄目だ。葉佩の嘆きが、皆守の背中に染み込んだ。

「泣くな。一緒に風呂入ってやるから」
「なんか触り方がエロいぞお前!やばい!俺すっげぇドキドキしてる!」
「安心しろ、餓鬼は嫌いだ」
「俺だってお前なんか大っ嫌いだ!」
「気が合うな。運命か?」
「やな運命だなおい!」
「運命なんて、大概は碌でもないもんだ」
「じゃあ俺とお前も運命かもな!」
「うわ、何をいきなりとんでもないこと言い出してんだこのお子様は」
「お前が言ったんだろぉ!」

 その手を温めたいと言って触れたら、きっと即座に離れてゆくのだろう。皆守のその弱さが、葉佩に耐え難い苦痛をもたらしていた。口に出すつもりはない。彼は知らなくていい。知ってしまえば、この怠惰で臆病な男は逃げ出してしまうだろう。誰かに影響を与えるなど、皆守に耐えられる訳がない。
 だが、秘めたまま生きる事は既に不可能だった。












 その夜、着衣を剥かれて湯船に放り込まれた葉佩が、自分の中の衝動に名を付けた。
 それは美しくもなく、貴重なものでもなかった。
 有り触れた欲望を、葉佩はまるで探し求めた秘宝のように大切に胸に仕舞った。

「ぅあちっ!熱湯じゃねぇかこれ!」
「適温だろ?っておい!水を入れるな」
「だって熱いんだもん!」
「うわちっせぇ」
「見るな!笑うな!ちくしょーお前も見せろよ!」
「立ち上がると丸見えだぞ」
「うわああん!タオル返せよぉ!」

 名付けた想いを、どうやって伝えるか。
 それが問題だ。