天香學園の墓地に子供がいる。
そんな噂が流れ出したのは、9月の中頃だった。夜な夜な墓地を徘徊するというその子供を、夕薙は目撃した事があるという。保健室でたまたま居合わせた取手に、夕薙は怪談でも語るようにそれを話した。そしてその奥のベッドで惰眠を貪っていた皆守も、聞くともなしにその話を聞いていた。
昼休みの鐘と共に、皆守が身を起こした。欠伸混じりに先程聞いた噂話を思い返してみる。
7、8歳ほどと思しきその少年は、暗視ゴーグルと防弾ベストを装着して墓穴に入って行ったらしい。怪談にしても出来が良いとは思えない。だが一つの事実を知っている皆守は、その装備に憶えのある危機感を抱いた。
その噂は、既に學園中に広まっていた。当然《生徒会》の耳にも入っているのだろう。今まで皆守が知らなかったのは、噂話で盛り上がるような友人が存在しなかったからだ。
「あ、皆守君、いたんだ」
「悪いか」
「悪くないよ・・・君、なんでそんなに喧嘩っ早いんだい」
「喧嘩を売ってるつもりはない」
「だったらいいんだけど」
頭痛が治まったという取手と共に保健室を追い出された皆守は、教室に向かう道すがら世間話のつもりで話題を振ってみた。だが残念な事に、皆守は世間話が苦手だった。そして取手は、会話が苦手だった。
「子供だってな」
「は?」
「えーと・・・あの墓荒らし」
「え、あ、ああ、うん・・・らしいね」
「・・・子供には無理だよな」
「そうだね」
「・・・」
「・・・」
そのまま無言で教室の前まで来てしまったので、軽い挨拶を投げ合って別れた。
取手の役職を知っている皆守は、彼が動揺する理由も理解していた。ある者は教員になりすまし、ある者は生徒として、この《學園》に訪れる。その目的を阻止するのが、取手に与えられた役割だ。
子供を相手にして、あの壊れていても優しい男が呪われた《力》を発揮できるだろうか。その思考は、直線的に皆守の心臓も刺激した。ここが高校という場所である限り、そんな事態は想像もしていない。
取手が敗北したという情報を皆守が得たのは、翌日の放課後だった。定期的に(人のいない時を見計らって)顔を出している生徒会室で落とされた言葉を、皆守は思わず聞き返した。阿門は、もう一度ゆっくりと同じ言葉を口にした。
「執行委員が破られた」
「子供って聞いたぞ」
「年の頃は7、8歳だそうだ。性別は男。葉佩と名乗った」
「名乗ったのか!」
「趣味はプリクラ収集。年上が好みらしい」
「8歳で年下が好きとは言わないと思う」
今回の敵は《転校生》ですらない。そう厳かに言った阿門は、どこか呆然としているように見えた。先祖代々守り通してきたものを子供にあっさり暴かれては、抜け殻にもなろう。
なおも取手から仕入れた情報を並べ立てる阿門に、皆守は可能な限り優しくストップをかけた。もういいから。そう言った皆守に、阿門が真顔で向き直る。
「お前の出番が回ってくるかも知れん」
「そんな追い詰められてんのか」
「追い詰められるまで動かないつもりか」
「え、そのつもりだけど?」
「・・・様子見を頼みたいんだが」
「えーめんどくせぇ」
「行って来い」
阿門があまりに必死に見えて、皆守は仕方なく頷いた。何かに逆らう事など、皆守には出来ない。支配される快感は、心地好く抗い難かった。意味など知らない。
夜が更けるのを待って、皆守はその場所に向かった。
踏み入った墓地は、相変わらず嫌な空気を纏っている。それは恐怖にも似ていたが、少し違う。
幼い頃、親に叱られるのが嫌で隠れた時のような気分だ。自分が悪いのは分かっているのだが、それを責められるのは気が進まない。本当は、謝罪をしたいのだ。ただ、それを認める事ができない。許される事を、信じていなかったのかも知れない。叱責を避けたのは、永遠に罪の意識に苛まれるのが相応しい罰だと思ったからではないか。
この場所に立つと、いつもそんな気分になる。
思い出したくない記憶は無数にあったが、それを塗り潰すように幻覚が皆守を襲う。それを振り切る事も出来ずに、皆守は纏わり付く幻と紫煙を見詰めたまま土を踏んだ。
自分のものではない足音に、皆守が顔を上げる。
気配は、目視される事を避けているらしい。巧みにその出所を変化させ、惑わすように皆守を誘う。誘われるままに、皆守はその墓の前に立った。
墓穴が見える。その奥の闇が見える。その更に奥に、チラチラと光が揺れていた。
近くの立木にロープが結び付けられている。見た事もない複雑な結び目を見て、皆守が予感を確信へと意識的に変化させた。それを辿り、皆守が闇に身を投げる。
闇は怖くなかった。
落ちた先は、見覚えのある大広間だった。そこに、見憶えのない人間がいる。身軽に着地した皆守に驚いた様子で、口を閉じて目を見開いていた。
確かに聞いた筈の名前を思い出そうとして、少し考えても分からなかったので本人(とおぼしき人物)に訊いてみた。人に名前があるのは当たり前の事だと、皆守は信じている。
「・・・えーと、なんだっけ名前」
「誰だお前、執行委員とかいう奴?」
「ん、まあな」
「・・・普通の服だな」
「どんなの期待してたんだ」
「なんつーか、皮製の・・・凄い服」
言葉を濁したその少年は、聞いていたとおり子供だった。細い首は片手で簡単に折れそうだ。だがその目は、決して折れる事のない光を宿している。
薄闇の中で、皆守は眩しそうに目を細めた。それを笑みと勘違いしたのか、幼い《宝探し屋》が眼光を鋭くする。皆守が、今度こそ微笑を浮かべた。
「本当に餓鬼だな」
「そうだな、お前よりは短い人生だったぜ」
「過去形?」
「終わるんだろ、俺はここで」
「なんで?」
「・・・お前は、強い」
その少年の言葉を理解するのに、皆守はかなりの時間を要した。
暴くべき遺跡の守人が自分よりも強かった時点で、彼の人生は終わるのだろう。だが、簡単に終わるつもりはない。黒い瞳が、無音でそう語っている。それを無視して、皆守はもう一度先程の問いを口にした。
「なんだっけ、名前」
「一番新しいのは、葉佩」
「ふうん」
「興味ねぇなら聞くな」
吐き捨てながら、葉佩がG26ADを抜いた。抜くと同時に発砲する。躊躇いは見えなかった。正確に、一発目は心臓。二発目は頭を狙って撃たれた。皆守の目には、それが見えた。
葉佩の発砲と同時に、皆守にスイッチが入った。避けた弾道を追う事もなく、5歩で葉佩の懐に走り込んだ。着地した足を軸に、走った勢いを殺さずに爪先を振る。葉佩が腰のナイフに手を掛ける前に、皆守は爪先を彼の眉間に触れさせた。
葉佩は目を閉じなかった。眉間に当たったまま止まった爪先に、葉佩が一瞬だけ戸惑う。だが次の瞬間には、逆手に持ったナイフを突き出した。それを躱す為に後退し、皆守はもう一度笑った。
「容赦ないな」
「そんな余裕、あると思うのか」
葉佩は、真っ直ぐに皆守を見ている。ただ直向に目的を遂行しようとしている。その為に、障害を排除しようとしている。空いた距離をどう使うか。それだけを考えている目だ。
銃弾は躱された。正面から撃っても駄目だ。隙を突かなければ。身を隠す必要がある。生きる為に、葉佩が物凄い速さで思考を回転させている。それを悟った皆守が、ポケットに手を入れた。
葉佩が弾かれたように跳び、物陰に転がり入る。その反応に苦笑を漏らし、皆守は取り出したアロマを銜えて火を点けた。吐き出された煙が葉佩に届く。その甘さに、葉佩は驚愕した。
「・・・なんだそれ」
「精神安定剤みたいなもんだ」
「ペルフェナジンとか?」
「いや、ラベンダー」
葉佩が、警戒もあらわに柱の陰から顔半分だけ出した。皆守に攻撃する意思がない事を確認し、そっと身を乗り出す。
皆守は、ポケットに手を突っ込んだまま上を見ている。慎重に距離を測りながら、葉佩が近付いた。なるべくそちらに視線を向けないように意識しながら、皆守はその気配が警戒を解くのを待った。力の差は見せ付けてある。油断さえしなければ、葉佩が皆守を攻撃する事はないだろう。
皆守の足で20歩ほどの位置で、葉佩は動きを止めた。
「・・・攻撃、しないのか?」
「俺は様子を見て来いって言われただけだ」
「《墓守》なんだろ?」
「まあ、そうだけど」
「守らないのか?」
「持ち場ってのがあるんだよ」
葉佩がその言葉の意味を理解したかどうかは分からなかった。だが、あからさまに警戒を解いたのが皆守に伝わる。それでも皆守が口に手を運ぶ度に、葉佩の小さな体は緊張していた。
野良猫を手懐けるのは、こんな気分なのだろうか。唐突に浮かんだ自分の思考に、皆守は思わず口の端を上げた。正体不明の微笑を侮蔑ととったのか、葉佩が硬い声を出した。
「俺は進むぞ」
「好きにしろ」
「止めないのか」
「止めて欲しいのか」
「お前、駄目人間か」
「・・・ちょっとこっち来い」
皆守が、無表情で手招きした。葉佩の警戒が高まる。
「攻撃しないから、ちょっと来い」
数秒前まで逸らされていた視線が、最短距離で葉佩に向かっている。甘い香りが揺れ動き、柔らかい紫煙が緩やかに流れた。葉佩が後ずさる。皆守が一歩踏み出した。
葉佩が跳んだ。柱の僅かな突起に縋り付き、軽やかに壁を登り、足を乗せられる場所に到達し、恐る恐る皆守を見下ろした。皆守は、溜息と共に紫煙を吐き出している。追跡は不可能と判断したのか、それ以上葉佩に近付いては来なかった。
暫く壁の上で様子を窺っていたが、やがて皆守が動いた。葉佩が居る壁とは反対方向に足を向ける。それを見た葉佩が、思わず声を上げた。去ろうとする背中に呼びかける。
「おい待て!」
「年上だから敬えとは言わないが、礼儀を知らないと無駄に敵を作るぞ」
「うるせぇよ!待てって言ってんだろ!」
皆守の身長の3倍ほどの高さから飛び降り、葉佩が走った。だがやはり近付く事はせず、少しの距離を開けて立ち止まる。振り向いた皆守に、真正面からG26ADを突き付けた。
皆守は無表情にそれを見詰めている。引き金に掛かった指が動く瞬間を見逃さぬよう、視線の向かう先を過たぬよう、じっと見詰める。銃口を突き付けたまま、葉佩が叫んだ。
「お前の持ち場、どこだ」
「最後から二番目」
「そこまで行くからな!」
「そうか」
「行くからな!待ってろよ!お前ぜってぇ泣かす!」
「分かった。待ってる」
そう言って皆守が微笑んだ瞬間、葉佩の目的が変わった。
与えられた命令が跡形もなく吹き飛び、代わりに願いが湧き上がった。葉佩はまだその正体を知らない。だが確かに、命をかけて遂行すべき任務が価値を失った。
持てる全てを、願いの為に。その意味すら知らず、ただ誓った。
翌日、生徒会室に呼び出された皆守の報告は簡潔だった。
「本当に子供だった」
「そうか、ならばそれほど警戒する必要もないな」
「いや、そうでもない」
常になく、嬉しそうな表情で皆守は言った。訝しんだが、阿門はその言葉を疑う事なく警戒を強めた。執行委員が破られたのは紛れもない事実だ。最近の備品紛失の犯人も、おそらく奴だろう。
「暫く続けろ」
「は?何を?」
「監視だ。頼んだぞ」
「・・・マジで?」
「俺が冗談を言った事があるか」
「それが既に冗談に聞こえる」
皆守はその時、友人の正気を疑った。思わず青い瞳を凝視する。だが、期待していた狂気も稚気も見出せなかった。ただ静かに皆守を見詰めている。
少しの間、皆守は無言で思考を働かせた。だが有益な解答は発見できず、諦めて紫煙を吐き出す。皆守にとって命令を疑うという事は、即ち地面を疑う事だった。この国が島国でも、地面が消えるのを恐れて生活している者などいない。もしかしたら、期待している者はいるかも知れないが。
それ以来、皆守は葉佩の斜め後ろでアロマを吸うのが日課になった。初めは訝しげな視線を向けていた葉佩も、数日後にはすっかり慣れていた。
皆守がポケットから取り出したレトルトカレーを葉佩が温め、半分ずつ食べる。「なんでカレー携帯してんだよ」と笑ったその表情は、年相応に幼く見えた。同時に、背筋が寒くなるような冷たい視線で銃器を扱った。淡々と仮初の生命を殺傷するその姿は、皆守に確信を深く突き刺す。
小さな背中をぼんやりと眺めながら、皆守は《墓》が暴かれるのをじっと待っている。
10歳も年下の少年に敗北した執行委員達は、例外なく晴れやかに笑った。そしてその誰もが、彼を子供だと言った。
人工的な欲望は、多分に作為的な印象を残す。要するに、あの墓荒らしは自分の意思では動いていない。ただ命令に準じるだけの機械に過ぎない。そして、彼に生きる意味を与えたのは自分だと、誇らしげに語った。
自分を捧げて生きる理由を得た者達が、誰かを救うなどというおこがましい幻を見た。
約束どおり、皆守は待っている。あの小さな《宝探し屋》が、失くしてしまった涙を取り戻してくれるのを。
そして、皆守は自分もまた子供だと知っている。
皆守は命令を遂行する。
取り戻した涙は、葉佩の屍に捧げられるのだろう。
幻に気を取られた皆守を、葉佩が振り向いた。
「お前、ほんとは暴かれたいんだろ」
皆守の心臓が音を立てて震えた。
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