手始めに瀬戸内の様子を見るという名目で、神鳳が派遣された。懸念していた大和の軍勢も、本腰を入れている訳ではないらしい。吉備の長老軍は既に疲弊していた。瀬戸内沿岸の縄張りと力関係を把握し、繋ぎを取れる場所を探し、神鳳は着々と仕事をこなしている。頻発する吉備長老軍による襲撃も、神鳳は潮流と海人を巧みに使って返り討ちにして見せた。
 長老軍よりも南に拠点を構えていた喪部は、一点突破を可能にする兵力を有しているにも拘らず、小競り合いを繰り返している。何かを待っているのは確実だ。恐らく、大和が出て来たところを一網打尽にするつもりだろう。
「得策とは言えませんね」
「そうかい?」
「吉備の長老を落とせば、大和も手を引きます。
 但馬との繋がりがある大和なら、吉備との同盟に固執する理由はありません。
 深追いはしないでしょう」
「だから?」
「今のままでは、北側の守りが薄すぎる。
 長老方が但馬を引き入れる恐れがあります。
 先ずは北側を制圧して、但馬に対する防御陣形をとるのが得策かと」
「キミ、優秀だね」
「それはどうも」
「ウチに来ない?」
「見縊るな」
喪部の薄笑いに無表情でそう返し、神鳳は席を立った。瀬戸内海を通れるとはいえ、こうも小競り合いが頻発するのでは、流通路としては使えない。神鳳は兎に角、この抗争を終わらせたかった。しかも、海賊まがいの若衆が野放しにされている。それらを一掃する為にも、取り敢えず目の前の危機を取り除くのが先決だ。

 苛々と廊下を歩いていた神鳳の前方を、見覚えの無い男が横切った。部屋のドアから出て来て一度だけ神鳳に目を向けたが、すぐに顔を逸らして地上四階の窓から飛び降りる。不覚にも呆気に取られていた神鳳が、事態を理解しようとして失敗した。何だ今のは。
 男が飛び降りた窓から、身を乗り出して下を見る。誰もいなかった。一応、横と上も見る。やはり誰もいない。神鳳が得意とする領域の住人ではないようだが、人間にしては変わった動きをする。一つ溜息をつき、探索を諦めて窓を閉めた。深く考えるのはやめよう。心に決め、神鳳は再び廊下を踏み付ける作業に戻った。







 出雲は、大陸という強力な後ろ盾を有する筑紫との交流が命綱でもあった。だが実質的には同盟を結んでいる訳でもなく、互いに得意先であるという意識しか無い。逃げ込めば匿ってくれるかも知れないが、応援を頼む事は不可能だ。出雲と大陸の関係も、筑紫なくしては望むべくもない。
 関係を強化しておく必要がある。そう断じた阿門は、筑紫に皆守を派遣する事を決めた。しかし神鳳がいない今、人員を割く訳にもいかない。仕事の多くを個人の能力に依存している出雲は、一人いなくなるだけで行動が制限される。組織としては、あまり洗練された形ではない。
「神鳳が帰還したら出発だ。今のうちに休んでおけ」
「関係の強化っつったって・・・」
「吉備の狙いには北九州も含まれている。
 手を組む必要は無いが、腰を上げさせろ」
「そーゆー駆け引きが苦手だって言ってんだよ」
「・・・悪化だけはさせるな」
「そんなに心配ならお前が行けばいいだろ」
顔を背けて煙を吐き出した皆守に、阿門は嘆息した。皆守の能力は、はっきりいって戦闘以外では使えない。性格的にも、交渉は向かない。だが皆守も、自分の立場を分かっていない訳ではない。気が進まないのは事実だろうが、最終的には遣り遂げて見せるだろう。今までのように。
 座っていたソファに寝そべり、皆守が体を伸ばした。隣に座っていた阿門の膝に頭を乗せ、少し身じろいでから動かなくなる。眠ったらしい。その様子を斜め後ろから見ていた夷澤が、無言で目を逸らした。正面から見る度胸は無い。むしろ此処に居てごめんなさい。去ります。今すぐ消え去るから許してください。
「お前は皆守に付け」
阿門が言った言葉が自分に向かっている事に、夷澤は暫く気付けなかった。足音を忍ばせて部屋を出ようとした夷澤が、聞こえた言葉を何度か脳内で繰り返す。阿門が振り向いた。
「夷澤、お前は皆守の補佐に付け」
「・・・はい?」
「皆守の手助けをしろ」
「噛み砕いて言わなくってもいいすよ。分かりますから」
「それならいい」
阿門が前を見た。正確には、肩越しに後ろを見ていた首を前に戻し、視線を落とした。呆然とその後頭部を見ていた夷澤が我に返るまで、室内は静寂に包まれていた。どうにかして再起動を完了し、自分の膝辺りを見詰める阿門に疑問を投げる。
「え、と・・・何でっすか?」
「不満か」
「はい」
「・・・何が不満だ」
「俺はそいつが嫌いです」
「我慢しろ」
「・・・はい」
夷澤も、そんな言葉で命令が覆るとは思っていない。出雲に後が残されていないのも理解している。
 だが、一つだけ。
「俺には膝枕とか無理っす」
「そのうち慣れる」
慣れたくねぇ。腹の底から思ったが、口には出さないでおいた。夷澤の脳内で渦巻く言葉など知る由も無く、阿門が無表情に続ける。視線はやはり、やや俯いている。背凭れの向こうの様子は、夷澤からは見えない。
「お前は皆守を起こしただろう」
「は?」
「俺には出来ない」
「・・・はあ」
理解できなかったが、阿門が出来ない事を遣り遂げたのなら誇るべきか、と思いなおす。阿門すら手が付けられないほどではないように思えたが、皆守の寝起きが悪いのは容易に知れた。だがそれでも、殴るとか蹴るとか、手段は色々あるだろう。そのいずれも、阿門に不可能ではない筈だ。
 命令を受諾し、その場を辞してから気付いた。
「もしかして・・・惚気られた?」
確かめる度胸など無い。







 神鳳が去ったあとの部屋で冷めた紅茶をすすっていた喪部が、気配を感じて振り返った。窓ガラス越しに、葉佩が手を振っている。一瞬だけ硬直し、立ち上がってカーテンを閉めた。窓を叩く音が暫く響いていたが、やがて静かになる。知らず詰めていた息を吐き出し、喪部が額に手を当てた。どうやって彼を殺そうかと思案し、どうやっても死なないような気がして今度は頭を抱えた。
「どーした喪部」
「どうもしないよ」
背後から聞こえた声に素っ気無く返して気付いた。
「・・・葉佩」
「よお、悩み事ならオニーサンに相談してごらん?」
確かに閉じられていた筈の窓を見る。鍵の近くだけが綺麗に切り取られていた。全室防弾にしておけば良かった。喪部が、後悔と憎悪を込めて葉佩を睨み付ける。
「・・・ある人物を殺したいんだ」
「あ、暗殺なら他当たって。俺そーゆうの苦手」
「葉佩っていう名前の暗殺者なんだけど」
「へえ奇遇だね。俺も葉佩ってゆーんだ」
「そうかい、それは偶然だね」
「そーだねー」
葉佩が視線を虚空に飛ばす為に、喪部の飲みさしのカップを呷った。それを喪部に向かって差し出し、葉佩が当然のような顔をして言った。
「お代わり」
「此処は喫茶店じゃない」
「そんな怖い顔の店員いたら客来ないよ」
「客を呼んだ憶えは無いよ」
「うん、俺は呼ばなくってもお前の傍にいるよ」
「ホラー映画みたいな口説き文句だね」
「口説いてるって分かってくれたんだ」
どす黒いものばかりが溜まってゆく会話を打ち切り、喪部が立ち上がった。その背中に、葉佩が破壊力を有した一言を投げ付ける。逸らされた視線が含み笑いを隠し切れず、陽気に跳躍していた。
「さっき神鳳に会ったよ」
「・・・会った?」
「確かあいつって出雲だったよね。同盟組んだんだ。良かったね、友達増えて」
「・・・葉佩」
「なに?」
「キミの仕事は何だっけ?」
「それは秘密」
「・・・成る程、情報操作か。
 出雲との同盟をぶち壊す為に来たんだね?」
「さっすが喪部クン!いい勘してるぅ!」
拍手までして笑った葉佩に、喪部が銃を突き付けた。言葉はもう必要ない。憐れな男が一人、此処で死ぬだけだ。祈るべき神など、喪部には存在しなかった。ただ、失われる友人の命が安らかであるように願い、トリガーを引いた。同時に、葉佩がナイフを抜いた。その切っ先を見失った喪部が、咄嗟に腕を引く。発射された弾丸が、窓ガラスを割って空に消える。手首の内側を僅かに掠った刃は、喪部の目の前でクルリと反転した。眼球に向かって来る切っ先を銃のグリップで薙ぎ払い、喪部が後ろに跳ぶ。
 薄く笑った葉佩の手に、もうナイフは無かった。無手の掌を見せ、葉佩が破顔する。吐き気がするような満面の笑みだった。
 喪部は、今度は生き続けなければならない命を思って目を細めた。葉佩が笑みを引っ込める。道化師の化粧を落とし、葉佩が底の無い闇から声を発した。
「悪いけど、ぶち壊すよ」
 葉佩は、壊れているのに動いている。欠けた部品はもう戻らない。
「壊れたら、また作り直せばいい」
含まれた侮蔑と憐憫に、葉佩は気付いただろうか。