夷澤の活躍で、一同は予定どおりの時刻に事務所を出発する事に成功した。
現地に到着し、速やかに配置に付く。移動中、何度か不審な車両を目撃した事を神鳳に伝え、夷澤は命令された持ち場で軽くストレッチを始めた。吉備若衆と出雲の同盟を妨害する理由があるのは、吉備長老会が筆頭に上がる。若衆の反乱を察知し、早くも強攻策に出たのだろうか。だとしたら、大和も動く。夷澤の体が昂ぶった。無線越しに、神鳳の声が聞こえる。
「兎に角、人を入れないように」
「うぃーっす」
「返事は?」
「・・・はーい」
「伸ばさない」
「・・・はい」
「宜しい」
うぜぇ。と思わず声に出しそうになり、慌てて口を閉じた。
皆守は阿門の傍を離れない。それを左耳で確認しながら、夷澤は昂揚ではない感情が湧き上がるのを感じた。あんな男にボディガードなど勤まるのだろうか。サシでやり合ったら、絶対に自分の方が強い。夷澤はそう信じていた。
会談が始まった。室外で待機しているのは出雲者だけではない。其処彼処に、奇妙な黒い甲冑に身を包んだ喪部の部下が、直立不動で待機している。なるべく目を合わせないように、夷澤は自分の持ち場を守ることだけを考えた。例え同盟を組んでも、彼等と巧くやっていける自信は無い。
暫くの間、その空間には静寂だけが存在していた。僅かに身動きするだけで衣擦れの音が耳に付く。夷澤は既に、その場に居続ける事が苦痛になり始めていた。退屈は嫌いだ。記憶が浮かんでしまう。錘を付けて沈めた筈の、不愉快な感情が喉元を上がってくる。それを紛らわす騒音と刺激が欲しい。自分の衝動が幼い形をしている事に、夷澤はもう気付いていた。
イヤホンではない方の耳が、待ち望んでいた音を拾う。爆音だ。開戦の烽火が上がった。夷澤の鼓動が音量を増す。俄かに怒号が飛び交い始めた無線から場所の情報を拾い、一直線に走り出した。
現場は、阿門達が居る会議室からは離れた場所だった。消火活動も必要としない程度の小さな爆発だったらしい。僅かに煤けた天井を見上げ、夷澤は安堵ではない溜息を吐いた。無線ではまだ何か言っている。どうやら同時に複数の場所で時限式の爆弾が発見されたようだ。その情報の意味に気付いた夷澤の心臓が、今度は音を立てて冷えた。同じように駆けつけたらしい取手と顔を見合わせ、次の瞬間には再び走り出す。
喪部との会談にこの場所に決めたのは、出発する直前だ。どうやって敵は情報を仕入れたのか。しかも爆弾を仕掛けるなど、そんな時間がどこにあったのだろうか。渦巻く思考を止め、夷澤は走る事に専念した。休むに似たり、などと言って笑ったのは神鳳だ。その諺の意味を知ったのは、つい最近だったのだが。
夷澤が開いていたドアから部屋に入った時には、侵入者が攻撃を開始していた。阿門と喪部は、椅子に座ったままゆったりと構えている。その前で、皆守が跳んだ。
窓ガラスは防弾だ。外からの狙撃は不可能だと、侵入者は知っていたに違いない。その手にあるのは、研き抜かれたナイフだった。素早く、撹乱するようにフェイントを多用して視線を誘う。その動きを、皆守の目は捉えていた。休み無く動き続ける侵入者の進行方向に、無造作にも見える仕草で走り込んだ。無手でどうするつもりだ、と、夷澤が思わず声を上げる。その声に気を向けた者はいなかった。
侵入者が着地すると同時に、皆守の爪先が空を裂いた。侵入者が跳び退る。床で一回転してから、少しの距離を開けて止まった。皆守は、ポケットに手を入れたまま突っ立っている。視線すら向けていない。だがその目は、確かな目的を持って研ぎ澄まされている。夷澤が背筋を震わせた。隙を探して、侵入者が視線を忙しなく移動させる。光の反射を抑えたナイフが、それとは正反対に揺らぎもせずに固定されていた。
静寂を破ったのは、喪部だった。
「殺しておいた方がいいと思うよ。そいつは卑怯な手を使うからね」
「知っているのか」
「まあね」
侵入者が、攻撃ではなく退路を求めて動いた。ドアの向こうには、既に吉備と出雲の兵士達が構えている。窓は開かない構造になっている。皆守が一歩踏み出した。侵入者がポケットに手を入れる。手榴弾を取り出し、居並ぶ兵に向けて放り投げた。咄嗟に兵士達が退避する。その隙を突き、侵入者が走った。それを追おうとした夷澤に、阿門が静止を命じる。
「追う必要は無い」
「でも!」
「下がれ。話は終わっていない。
全員持ち場に戻れ」
特別に大きな声ではなかったが、その命令は確かな威厳を含んでいた。出雲はもとより、吉備者までがその言葉に敬意を表するようにその場を辞した。喪部は、無表情でそれを見ている。
やはり阿門の傍を離れない皆守を横目に、夷澤も部屋を辞した。皆守は既に、いつもの眠たげな気配に戻っている。だがその気配が切り替わる瞬間を、夷澤は確かに見た。擦れ違い様に香った甘さと混じり、その残像が夷澤の心臓を小さく刺激する。持ち場に戻っても残像に気を取られていた夷澤に、神鳳が歩み寄った。
「爆弾は全て処理しましたよ」
「そーっすか」
「僕は人を入れるなと言いましたよね」
「そーっすね」
「持ち場を離れて、君は何処に行きましたか」
「えーと、あっちの部屋」
「・・・持ち場を守るのが、君の仕事です」
「うっす」
「返事は」
「えぁーっす」
「・・・締められてぇのかこの餓鬼」
「締められたくはないっす」
「でしょうね」
いまいち反応の鈍い夷澤を不安げに見遣りながらも、神鳳はその場を離れた。結果として阿門が無事なら他は全て些細な事になってしまうのが、神鳳の悪癖の一つだった。
一件を落とし、喪部は阿門に向かって笑って見せた。
「優秀な部下を持ってるね」
「そうだな。頼もしい限りだ」
「・・・惚気?」
「何だそれは」
皆守は、阿門の斜め後ろで手持ち無沙汰に突っ立っている。その瞳は、夢を映しているのではないかと思うほど無気力だ。その男が燃え上がる様を、喪部もまた見ていた。
「先程の男を、知っていると言ったな」
「誰の事だい?」
「侵入者だ」
「ああ、大和の飼い犬だよ。名前は確か、葉佩だったかな」
「大和か。長老達が動いた、という事か」
「そうだろうね。ボク達が手を組めば、一番困るのはあいつらだ」
「お前の目的は何だ」
「吉備の実権」
即答した喪部に、阿門は鋭い視線を向けた。阿門の問いを予想し、あらかじめ用意されていた答えなのだろう。だが喪部は、それだけで終わるような男ではない。実権を握り、何を為すかが問題だ。
「大和と事を起こすつもりか」
「機会があれば、ね。
・・・キミだってそうだろ?」
「俺は戦争を起こす気は無い」
喪部は何も言わずに口の端を上げた。それを見た皆守が、嫌悪も露に顔を顰める。阿門が居なければ、舌打ちをしていたに違いない。察した喪部が表情をもとに戻す。自分の笑みが歪んでいる事を、喪部は知っていた。そういえば、葉佩は気味が悪いほど真っ直ぐに笑う事がある。思い出したが、それを奥深くに沈める。彼はただ、演技が巧いだけだ。結論を鍵にして、無意味な思考を封じ込めた。
自分の欲望を、喪部は過たず認識している。それが酷く幼い感情に基づくものだという事も、理解していた。
不可侵と戦時の協力を約束し、喪部は用意させた車に乗り込んだ。次に、素早く降車してドアを閉めた。上司の不可解な行動に、部下達が疑問符を浮かべる。窓にはスモークが貼られているので、車中の様子は見えない。部下が事態を把握する前に、ドアが内側から開いた。同時に、強い口調で鋭い声が喪部に向かって吐き出される。
「何だよその反応!」
「・・・帰れ」
「うわひでぇ!さっきも『殺せ』とか言うしさー」
「殺した方がいいって言っただけさ」
「友達は大事にしろよ。それでなくってもお前は友達少ないんだし」
「ボクに友達がいないのは必要ないからだよ。
蜂の巣になりたくなければ早く消えるんだね」
喪部が座る為に用意されていたシートに身を預けていたのは、葉佩だった。こんなところを出雲者に目撃されたら、同盟破棄どころか殺される。兎に角この場を離れようと、喪部は如何にも不本意な仕草で葉佩の隣に腰を下ろした。運転手に発進を命じ、運転席と後部座席を遮断する。
「で、一体何の用?」
「うちまで送って」
「あの喧しい乗り物はどうしたんだい?」
「この前トレーラーに突っ込んじゃって、修理中」
「ざまあみろ、だね。キミも一緒に壊れれば良かったのに」
「ご期待に添えなくって残念だけど、まだ稼動してる」
「ああそれは残念だね。それで?」
「あ、でも鎖骨にひびが」
「どうでもいいよ。何処に送ればいいのか訊いてるんだ」
葉佩が告げた住所を運転手に伝え、喪部は目を閉じた。耳も塞ぎたかったが、それは何となく無様に見えるだろうと思い、やめておいた。仕方なく、雑音を聞き流しながらこれからの事を考える。
吉備若衆と出雲の盟約が、正式に結ばれた。かつて出雲とやり合った但馬は、大和側にいる。吉備の内部抗争が、周囲を巻き込んで大きな戦火を上げようとしていた。
戦いたい訳じゃない。勝ちたいだけだ。
誰も自分を見下す事の無い世界。
喪部が望んでいるのは、それだけだった。
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