いつものように自室で微睡んでいたら、葉佩が音高くドアを開けた。時刻は21時12分。そろそろ皆守にとっては就寝の時間だ。葉佩は、毛布と戯れる皆守に視線を合わせているようにも見えるが、実際はきっと別のものを見ているのだろう。一直線にベッドまで進み、その勢いのまま皆守にぶつかった。それだけでは飽き足らず、皆守を包んでいた毛布に潜り込んだ。その直後に無言で蹴り出され、床に落ちて暫しうずくまり、我に返って言葉という叡智を取り戻した。

「喜べ皆守!出来たぜ!」
「そりゃ良かったな」
「おう!褒め称えろ!崇め奉れ!」
「わあ葉佩君すごーい」
「そんなに褒めるな!恥ずかしいだろ!」

皆守は、どうすればいいのか分からなかったので、黙って取り戻した毛布を体に巻き付けて目を閉じた。だが葉佩はそれを許さず、毛布を引っ張って皆守を呼んだ。愛しの寝具を狂人に渡す事だけは回避したい皆守が、渾身の力でそれを阻止する。皆守が愛してやまない毛布には、葉佩の狂気に対抗する術が無い。俺が守ってやるからな。物言わぬ寝具に心で語りかけ、皆守が必死の抵抗を見せる。

「おい!聞けよぉ!」
「俺は負けない」
「何と戦ってんの?」
「敵と」
「そうなんだ。まあいいや、聞いてよ!」
「分かった聞いてやる。だから手を離せ」

葉佩が手を離した。俺は守り抜いたぞ、阿門。常に無い達成感に浸る皆守を気にも留めず、葉佩が手の中の小瓶を掲げた。「聞く」とは言ったが「見る」とは言っていない皆守は、目を閉じている。一瞬の沈黙の後、葉佩が皆守に乗り上げた。

「見ろよぉ!」
「あーうん、すごいすごい」
「そうだろ!すげぇだろ!」
「ああ、流石は《宝探し屋》だ」
「やめろよちくしょう!嬉しいじゃねぇか!」
「そりゃあ何よりだ」
「じゃ、やってみる?」
「すべからく遠慮したい」
「まあそう言わずに」

皆守の頬に冷たい水が当たった。思わず目を開けると、葉佩が皆守の顔面に向けて小瓶を傾けていた。中の液体が、重力に従って落ちてくる。落下しながら形を変える液体が見えた。雫が頬を打ち、唇に流れる。「あ、顔射っぽい」と呟いた顔は、もうなんだか皆守としては途方に暮れるしかないほど楽しそうだった。

「何だこれ」
「媚薬」
「・・・は?」
「媚薬。【愛】しか入力できなくなる薬」
「入力?」
「俺的にはそんな感じ」
「さっぱり分からないが、だいたい分かった」
「うん、そんなアバウトなお前に【愛】」
「消えろ」
「皆守がコレ一気してくれたら消える」
「この世から消滅してくれるのか?」
「それは無理」
「交渉決裂だな」

葉佩を再び蹴り落として目を閉じた皆守に、葉佩がまたしても乗り上げた。しかし皆守に苦痛を与えぬよう、重心をずらしている。それを察して、皆守が僅かに苛立った。気遣われるのは非常に不愉快だ。狂人に気遣われるなど、屈辱の極みだ。苦痛ではなく屈辱に耐えかねて、皆守は身を起こした。眼光鋭く睨み付けてくる視線を受けて、葉佩が笑う。

「カレーもつけるよ」
「それを早く言え」

ポケットから出されたカレーを見て、皆守が視線を和らげた。

 ベッドの上で、葉佩に見守られてカレーを食べる。認めるのは悔しいが、葉佩が作るカレーは美味い。餌付けという言葉が、皆守の脳裡を掠めて消えた。今はそれどころではない。カレーを食べるのなら、その全てを味わう覚悟をしなければならない。つまらない思考を追っている暇など無いのだ。
 米の一粒すら残さずに平らげた皿を返却し、皆守は満足して息を吐いた。

「美味かった。お前が葉佩じゃなかったら嫁に貰いたいほどだ」
「褒められたような、人格を全否定されたような、不思議な気分だ」
「褒められた事にしとけ」
「あ、うん、そうだね。そうしよ」
「じゃ、おやすみ」
「待て!約束が違う!」
「あ?ああ、ソレか」
「コレだよ!」

鼻先に、小瓶を突き付けられる。先程の葉佩の説明は全く理解できなかったが、媚薬という言葉を、皆守は知っていた。そんな物が実在するとは思わないが、皆守は数ヶ月前まで《宝探し屋》なる職業が実在している事も知らなかった。葉佩と名乗る不可解な生物の存在も知らなかった。ならば、知らないという根拠だけで、気分だけで楽しむ為の物ではない媚薬が存在する可能性も、決して否定は出来ない。
 ぐるぐると廻る思考をぼんやりと見上げ、次に葉佩を見る。薄ら笑いは既に消え失せ、葉佩は挑むような強い瞳で皆守を見ていた。射抜くような視線に晒され、皆守の中の怠惰と、それに付随する絆され易さが刺激される。絆され易い性格とは、即ち抵抗が面倒臭いからこそ形成された皆守の一面だ。流され易いともいえる。情に厚いのとは根本的に異なる資質だろう。
 要するに、皆守は少しだけ躊躇った後、それを口に入れた。

「どう?どう?」
「・・・別に」
「別にぃ?何だよ、俺見て勃っちゃったりしない?」
「しない」
「あ、ほんとだしてない」
「触るな」
「まだ触ってないよ」
「触ろうとするな」
「くっそー失敗かぁ」

悔しそうに顔を歪めた葉佩を見ても、何も感じない。いつもどおり、踵を落としたい。正直、少しだけ安堵したのは秘密だ。そんなまさか、とは思ったが、万が一にも葉佩の言うような効果があったら、きっと一生立ち直れないだろう。葉佩の言う【愛】が何を意味するのかは判じかねたが、ギリギリのところで、皆守は賭けに勝ったのだ。

「満足したか?」
「いや、ちょっと不満」
「そうか、じゃあおやすみ」
「うーん、何がいけなかったんだろ」

呟く葉佩を今度こそベッドから追放し、皆守は漸く取り戻した静寂に身を預けた。












 その夜、皆守は夢を見た。