彼の首から垂れ下がる檸檬色のマフラーが、まるで尻尾のように見えた。彼の動きに合わせてひらひらと踊り、風に揺らされてはくるりと舞う。ぼんやりとそれを目で追っていた緋勇がふと手を伸ばしたのは、自分でも説明の難しい衝動からだった。
 喉に巻きついたマフラーを引っ張れば、当たり前だが首が絞まる。ぐえっと情けない声を上げて、何事かと彼が振り返る。なんでもないと無表情に言って、捕まえた檸檬色のマフラーを解放した。本当は手放したくなかったなどと、意味が分からない。どうしてそんな事を思うのか、まったくもって分からない。

 明確な意味もなく背後から首を絞められた彼は、しかし軽く肩をすくめただけでその行動を許容した。檸檬色のマフラーが、肩の動きに合わせてふわりと揺れる。「さみーな」と白い息とともに吐き出された声は、緋勇には独り言に聞こえた。ので、反応はせずに歩き出す。

「お前は寒くねーの?」
「寒い」
「じゃあもっと寒そうな顔しろよ」
「夏は反対の事を言った」
「なつ?」
「もっと暑そうな顔をしろと」
「意味はおんなじだろーが」
「そうなのか?」
「もっと、なんつーか、分かりやすい顔しろって事だよ」
「俺は分かりづらいのか」
「まあ、見ただけじゃ分かんねぇな」
「そうか」

 自分でもよく分からないのだから、それも仕方のない事だ。なるべく檸檬色を視界に入れないよう留意しながら、無言で呟く。どうしてこんなにも、あの檸檬色のひらひらが気になるのだろう。邪魔ではないのだろうか。端が余るほどの長さは、はたして本当に必要なのだろうか。首筋の防寒だけならば、もっと短くてもいいのではないか。

 ひゅうといかにも冷たそうな音を立てて、寒風が吹きぬけた。大袈裟に身をすくませた彼の背中では、やはり檸檬色がどこか楽しげに揺れている。冬の寒風をも楽しむ気質は、持ち主とよく似ていて微笑ましい。

「さみーな」
「そうだな」
「嘘だ」
「?」
「お前は寒いとか思ってねぇだろ」
「いや、寒い」
「ぜってー俺の方が寒い!」

 そう言った彼の手の平が、閃くような速さで緋勇の首筋にすべり込んだ。冷え切った手はまさに氷のようで、触れられた部位がぞわりと粟立つ。
 反撃したいところだったが、彼にどう思われていようが緋勇も寒いので、ポケットから手を出せない。仕方なく、脛を蹴り上げておいた。檸檬色が嬉しそうに跳ねまわる。

「いてーな、何しやがる」
「先に仕掛けたのはお前だ」
「やっぱお前の方があったかいな」
「末端と首筋を比べるな」
「じゃあ、手」
「断る」
「なんでだよ」
「寒いから」
「ぜってー俺の方が寒い!」
「いや、俺の方が寒い」
「じゃあ手、出せよ」

 愛用の得物を持っていない方の手の平が、緋勇に向かって差し出される。
 戦い慣れた硬い手が無防備に差し出されるのを、緋勇はどこか現実離れしたような気持ちでじっと見詰めた。親指の先が少しだけささくれている。数時間前に、血が滲んだと言って彼がそれを口に含んだのを、緋勇は見ていた。

「血は止まったのか」
「は?」
「よかった」
「何が?」
「お前は、小さな傷だとうるさい」
「なんの話だよ」
「大きな傷は隠すのに」

 彼はもう忘れているようだ。あるいは、忘れたふりをしているのかも知れない。彼の傷を、それがどんな些細なものでも、できるだけ記憶しておきたいと、緋勇は思っている。彼が忘れてしまっても。どうしてそんな事を思うのかは、分からない。

 差し出された手が引かれるより早く、緋勇は敗北したような気持ちで自分の手をそれに重ねた。瞬間、彼が悲鳴のような声を上げた。驚いて引こうとした緋勇の手を、逃がすまいとでも言うような勢いで握り締める。そして叫ぶ。

「なにこれ冷てぇ!」
「おい、放せ」
「うわ、なんでポケット入れててこんな冷てぇんだよ!」
「だから寒いとさっきから何度も」
「お前、あれか、あの、ほら、あれ」
「ああ、それだ」
「マジで?」
「すまん、どれだ?」
「えーと、あの、手足が冷たいやつ」
「それだな」
「末端冷え性か」
「寒い時に動かさないと冷たくなる」
「それ、普通じゃね?」
「じゃあ違うな」
「そっか?」

 曖昧な情報だけで結論を出し、それでいて断定してしまうのが緋勇の悪癖のひとつだった。そして、緋勇の言う事なら明確な根拠を示されずとも、なんとなく信じてしまうのが彼の悪癖だった。
 お前の方が寒かったかも、とまるで非を認めるような口調で、彼が眉を下げる。












 隣を歩いていた彼が、ふと思い立ったように何も言わずふらりと脇道に逸れた。仕方なく、用もないのに緋勇もあとに続く。気紛れのように進む歩は、やがて地下への階段を踏んだ。入口の看板を見ただけでは、そこがいかなる施設であるのか予想もできなかったが、彼がドアを開いて「ここ、よく来るんだ」と振り向いて、やっと理解した。有体にいえば、古着屋だ。

 色とりどりの衣服に囲まれているのは、なんともなしに落ち着かない。店員が「いらっしゃいませ」と慇懃に告げる声を聞き流しつつ、慣れた足取りで店内を進む背中を追いかける。
 彼は在庫売り尽くしセールと記された売り場の前で立ち止まり、何やら物色を始めた。ニット帽だとか手袋だとかセーターだとかマフラーだとか靴下だとか、冬用の衣類が無造作に放り込まれたようなカゴを、これまた無造作に引っ掻き回す。

 手持ち無沙汰に店内を見回して、ふと気がついたのだが、どうやら売り物の主流は春用の衣類らしい。淡い色の薄手の上着を羽織ったマネキンが、やがて来る春を信じて疑わず、奇妙な姿勢で佇んでいる。
 外ではまだ寒風が吹きすさび、天気予報では雪だるまのマークが毎日のように記されているのに、衣料業界はこんなにも遠い未来の事を考えているのかと、不思議な気持ちになった。

 ほどなくして、彼が買う物は決まったようだ。手にとって、ちらりとこちらを窺って、満足げに頷き、レジに向かった。なんとなく、あとに続く。丁寧に包装しようとする店員に「そのままでいいから値札だけ取ってくれ」と告げる横顔を、ぼんやりと眺める。

 彼が購入したのは、濃い藍色のマフラーだった。その首にまとわりついている檸檬色の毛糸で編まれた細長い物は、同じ名称で呼ばれる物だ。つまり、彼はもうマフラーを持っている。
 内心で首を傾げつつ、彼を追って店内を出る。とたんに冷たい風が吹き抜けて、思わず身をすくませた。その横で、彼は今まで首に巻いていたマフラーを取り去って、買ったばかりのマフラーを巻きつけている。そうしてから、檸檬色のマフラーを、さも当然と言わんばかりに緋勇へと押し付けた。

 マフラーぐらい買えよな、見てるこっちが寒くなる。

 ひょいと首にかけられた檸檬色のマフラーが、気道を圧迫したように感じたのは、たぶん錯覚だ。なのに、息が苦しいのは何故だろう。あと顔が熱いような気がするのだが、たぶんこれも錯覚だろう。
 彼がやけに嬉しそうに、たとえるなら鬼の首を取ったかのように微笑んでいるのが、何故なのかさっぱり分からない。













檸檬色のマフラーの行方