爪先が冷たくなって、まだ寝ていたいのに目が覚めた。カーテンが開けっ放しで、そういえばゆうべ閉め忘れたまま眠ってしまったのだと思い出す。失敗した、と口中で苦く呟く。気付かなければ、きっとまだ眠っていられた。

 起きなければ、叩き起こされるだろうという予感がする。
 それが月でも雪でも花でも目に入ったら最期、あの男は綺麗だと言ってこちらの都合も考えずに走ってそれを教えにきてくれやがるのだ。今日の空をあの男が目にしていたら、前例に違わず走ってくるに違いない。

 太陽は見えなかったが、代わりに灰色の空が見える。鳥は見えなかったが、ちらちらと落ちてくる雪が見える。しばらく寝そべったまま薄暗い空をぼんやりと眺めていたが、やがて目眩がしてきたので目を閉じた。
 今頃、あの男は喜び庭を駆け回っている事だろう。そしてふと鼻先を上げて、まるで天啓を受けたかのように走り出す。脳内で勝手に作られたその映像が、真実と大きく乖離していない事を、緋勇は確信していた。

 ストーブを点けて部屋をあたためて、上着を用意する。
 朝食をとっている時間は、果たして残されているだろうか。いや、もしかしたら、朝食を用意しておく事で彼の意識をそちらに向けられるかも知れない。だからといって、二人分の食事を作る必要はない。人が食べているところを見ると空腹を思い出すのが人の常である。さりげなく、あくまで彼自身から欲したように仕向けなくてはいけない。何がいけないのか、などと考えている暇はない。












 そうして手早く朝食を済ませても、待ち構えていた来襲はなかった。空から落ちてくるものは、雪というよりも霙に近くなってきている。不意に、緋勇の脳裡にある仮説がひらめいた。まだ寝ているとしたら、彼は今日の空を見ていない。
 窓の外の、彼がやってくるであろう方向を見詰めながら、緋勇はふと我に返った。なんだかこれでは、待ちわびているようではないか。

 室温と外気温の差が大きくなってきたようだ。窓が真白に曇ってきた。窓をこすって視界を得る。
 ざらざらと鳴るのは、雨混じりの霙が落ちる音だ。見上げても、彼が喜びそうな雪片はもうどこにもない。地上に落ちたかつて雪だったものは、見る影もなくただの水溜りに成り果てた。
 明け方の雪は、眠っていた者は信じないほどあっけなく消え失せてしまった。

 無性に悔しくなって、緋勇はコートを着て傘を差して外に出た。
 どうして来なかったと問うのは、理不尽だろうか。しかもそれでは、待っていたと誤解されそうだ。それは面白くない。ポケットの中で指を開いたり閉じたりしながら、濡れた道を歩く。もうすっかり雨だ。

 要するに、あの男が横で笑っていないと、何を見ても価値がないように感じてしまうのだ。もっと平たく表現すれば、あの男が隣にいないと、つまらないのだ。
 冷たくなった唇を噛む。これは悔しい。どうしようもなく悔しい。どうしようもなく、救いようがない。救われたくもないのが、どうしようもない。堂々巡りの自嘲を小さく吐き出す。どす黒くても不思議ではないと思ったが、吐き出されたものは淡く白く、ふわふわしていた。

 あの男の部屋の窓を見上げてから、さてどうしよう、という疑問にぶち当たった。今更ながらに自分の行動が悔やまれて、ポケットの中で拳を握ってきびすを返す。まさにその瞬間、どうして窓が開いたのだろう。そんな疑問は、湧いてこなかった。

 雪どころか雨もやんでいて、緋勇がここにいる理由はなくなってしまった。理由がなくなってしまったのにまだ寒い道の上に突っ立っていたのは、新しい理由ができたからだ。

 空はもうすぐ晴れるらしい。