闇に降り立ち、周囲に満ちた気配を感知する。葉佩の斜め後ろで皆守が口角を上げた。目視した訳ではない。彼の纏う芳香が、そのように揺らめいた事を察知して推測されたに過ぎない。つまり、それは葉佩の妄想でしかない。本当は笑ったのではなく、ただ冷たく覚悟を確かめただけだったとしても、葉佩にそれを確認する術は無い。
ふう、と、吐息のような音が聞こえた。香りが強くなる。彼が発するものは、いつだって葉佩を堪らない気持ちにさせる。それが芳香でも、本気の踵落しでも、眠たげな微笑でも、葉佩は同じように歯を食い縛った。
「成る程、暗闇で待ち伏せか。ま、お前ならワケないだろ?」
嘲るような口調で落とされた言葉に、葉佩が動きを止めた。暗闇の中で異形がうごめく。愚かな侵入者に永遠の眠りを捧げようと、奇怪な音を立てて迫ってくる。それを無視して、葉佩は堪え切れなかった衝動を言葉にして背後に叩き付けた。
「いきなりなに言い出すんだこのばか!」
「え?いや、お前こそ」
「ばか!皆守のばか!外道!鬼畜!」
「おい葉佩!前見ろ前!敵きてる!」
視線も向けずにHGを投げつけて、並んだ化人を黙らせる。爆音が轟いて欠片が飛んできた。一直線に皆守へと歩み寄り、手探りで襟を掴む。思いっきり身を引いた感触があったが、構わず顔を近付けた。
「なんなんだお前!さては《生徒会》の一味だな!」
「え、ええと?」
「俺を動揺させて前後不覚に陥れて殺そーってんだな!」
「おーい葉佩?」
「そんなんで俺が萌えると思ったか!」
「ええと、たぶん思ってない」
「俺は萌えない!萌えないからな!」
「むしろ燃えて欲しいんだが。物理的に」
爆風に煽られて吹き飛んだ化人が、取り留めた一命を握り締めて葉佩に向かってきた。やはり視線は皆守に固定したまま、葉佩のハンドガンが正確にその間接を打ち抜く。進む術を失い、憐れな生命の紛い物が事切れた。異形の殺戮と皆守への罵倒を同時にやってのけた有能な《宝探し屋》が、掴んだ襟を引き寄せて尚も叫ぶ。
「わけないわけないだろ!」
「ちょっと落ち着け。純粋に言葉の意味が分からなかった」
「わけありだっつってんだよ!」
「そ、そうか」
「俺をいくらだと思ってんだこのばか!」
「50円ぐらい」
「傷付いた!せめて10円にしろ!」
「安くなってるぞ」
「50円玉は穴あいてるじゃねぇか!」
「じゃあ1円」
「それならばよし!」
「いいのか」
「瑣末な問題は片付いた!本題だ!」
「本題こそが最たる瑣末事の予感がする」
「お前は俺をなんだと思ってんだ!」
襟を掴んだまま喚き散らす葉佩に、皆守が「手を離せ」というメッセージを込めてその肩を押す。伝わらなかったのか、伝わったのだが無視したのか、葉佩の手が力を込めた。ほぼ同時に、喉元を締め上げられた皆守の忍耐が限界に達した。突き放すのは諦め、引き寄せるように葉佩の腕を取る。容易く落ちてきた頭に、左拳を打ちつけた。小指がゴーグルに当たって予想外のダメージを受けたが、それは渾身の精神力で押し留める。二人が痛みを堪える為に、暫しの沈黙が降りた。
無駄な体力を消耗した、と葉佩が深く息をつく。主にお前の所為だがな、と皆守も同様に息を吐いた。
「ったく、唐突にスイッチ入るのどうにかしろよ」
「それはお前だばか!」
「いくら温厚な俺でも、そろそろ殺したくなるぞ」
「やっぱり!俺を殺そうとしてたんだな!」
「あーもうそれでいい」
「《生徒会》を陰で操る真のラスボス!それがお前の正体だ!」
「ああ、まあ、だいたいあってる」
「マジでか!」
「いや、嘘だが」
「嘘かよ!」
どうしようもない虚脱感と共に、皆守がもう一度甘い溜息を吐き出す。葉佩が発するものは、いつだって皆守を追い詰める。それが無邪気な疑問でも、信頼のような言葉でも、あまりに唐突な感情の爆発でも、皆守は同じようにパイプに歯を立てた。
葉佩が立ち上がったら自分も立ち上がろう、と皆守は考えていた。しかし、身動きする気配すら感じられない。皆守の発言の、何がここまで彼の理性を打ち砕いたのだろう。手探りで壁を発見し、それに背を預けて座り込む。葉佩はまだ動かない。時々、この状況には関連の無い(ように皆守には感じられる)言葉だけが闇に響いている。
「ここは、やっぱあれだな」
「・・・」
「軟体動物の触手」
「・・・」
「そうだ、それしかない。頑張れ俺。負けるな俺。暗闇は俺の味方だ」
「・・・」
「そうだ、【愛】と勇気だけは俺の【友】達なんだ!そうだよ俺!勇気を出すんだ!」
「・・・」
「なあ皆守」
「なんだ葉佩」
「脳が沸騰するから無意味に名前を呼ぶな」
「・・・分かった」
「よし、いい子だ」
「あ、いま殺意を覚えた」
「そんな告白は聞きたくねぇんだよ」
「俺だって言いたくなかった」
「本題は、お前が俺をどう思ってるか、だ」
「そうだったのか」
無表情に返ってくる相槌に、葉佩が少しだけ身を起こした。暗闇に浮かぶ火に向かって手を伸ばし、思いなおして床を掴む。流れてくる甘い香りに、頭を抱えてうずくまった。こんな精神状態で先へ進んだら、遺跡か自分のどちらかが破壊し尽くされるまで撃ち続けてしまいそうだ。どうして自分がこんなに動揺しているか、葉佩は正確には理解していなかった。
「だって!『お前ならわけないだろ』って!」
「すまんが本気で分からないんだが」
「お前なら!わけないだろ!」
「お前の中で何かが起こったのは分かった」
「俺をなんだと思ってんだ!」
「改めて真顔で問われると困るな」
「困るな!答えろ!でも困ってるお前ってちょっといいな!」
「そんな目で俺を見るな」
にじり寄った葉佩が、皆守の制服の裾を引っ張る。その手を叩き落しながら、皆守は自分の発言の迂闊さを呪った。深く考えずにからかうような心境で、彼のプライド(?)を踏み躙ってしまったらしい。葉佩があまりに軽やかに殺戮を行うので、それがまるで容易な事なのだと錯覚していた。葉佩が視線も向けずに虐殺するので、それがまるで彼の本能であるかのように思っていた。本当は諦観にも似た覚悟を終えて、葉佩は此処に居るのかも知れない。皆守が発したのは、それを軽んじた言葉だったのではないか。
葉佩、と呼ぼうとして、脳が沸騰したら拙いな、と思い口を閉じた。どうして脳が沸騰するのかは分からない。逡巡する皆守に、先程よりはいくらか落ち着いた声が届いた。
「ちょっと整理しようか」
「出したのも散らかしたのもお前だ」
「『お前ならわけない』ってのは、つまり、その、あれだよな?」
「どれだ」
「だから、その、ほら、ええと、あの、ねっ?」
「そんな期待に満ちた眼差しで俺を見るな」
「俺を、その、ちょっとは、ほんの少しぐらいは、もしかしたら」
「ああ、なんとなく分かったからもう黙れ」
「たったたた頼りに、してたり、なんかしちゃったりして?」
「・・・いや」
「お前は俺の事、なんでも出来ちゃう完璧にして冷静沈着、温厚篤実、剛毅木訥、神出鬼没」
「まあ落ち着け。ガムやるから落ち着け」
「完全無欠の凄腕《宝探し屋》だと思ってる、と。ありがとう貰っとく」
「それで?」
「え、それって俺の科白だよね?」
「そんな無邪気な顔で難解な愚問を発するな」
「俺なら出来ると思った?」
事実、葉佩はやって見せた。まさに瞬殺。「わけない」どころではなく、皆守に詰め寄る片手間にやってのけた。何か重大な思い違いをしているような気がして、皆守が落としていた視線を上げる。暗闇に慣れた目に、ちょっとそれはどうかと思うほど嬉しそうな葉佩の顔が映った。
「思ったんだよな?」
「・・・」
「俺ならわけないって」
「・・・まあ、そうなるか」
バン!と音を立てて、葉佩が床を叩いた。銃のグリップで細かく床を連打しつつ、喉の奥で低く笑っている。正直いって気持ち悪い。皆守が素直にそれを口に出すと、葉佩は動きを止めて顔を上げた。何故か勝ち誇ったような表情で、勝利宣言のような言葉を吐き出す。
「わけないよ。だって俺は《宝探し屋》だから」
どうやら嬉しかったようだ。
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