青白い炎を一閃で散らし、蓬莱寺は一つ息をついた。背後から歩み寄る気配を感じつつも振り向かず、次なる獲物を求めて辺りを見回す。視界に入るのが見知った仲間ばかりだと確認し、すぐ後ろまで接近していた男に向きなおった。
 右手の札をもてあそびながら、村雨が口の端に薄く笑みを浮かべて立っていた。この男の笑みは、なんだか莫迦にされているようで気に食わない。松の札を指先で弾き、村雨が歪めたままの口を開いた。

「食らったのか?」
「誰に言ってんだよ」
「へえ、じゃあそいつぁ旦那の趣味かい?」
「ああ?」

自分に向けて発せられる言葉が理解できず、蓬莱寺が目付きを鋭くして村雨を睨む。片頬だけだった村雨の笑みが、更に深くなった。中指と薬指の間に札を挟んだまま、村雨がついと手を伸ばす。攻撃性を含んだ動作ではないと分かってはいたが、蓬莱寺は無手の左手で無造作にそれを払った。

「何がしてぇんだお前は」
「触らせろよ」
「は?」
「痛くしねぇから、ちょっとじっとしてろ」
「え、なに、なんだよ!」

抵抗しようにも、目的が判ぜられないのでは有効な手立てを講じられない。蓬莱寺の払いのける動作をあっさりと躱して、村雨は手の平をそれに触れさせた。瞬間、蓬莱寺がびくりと体を震わせた。
 剣呑にじゃれ合う二人に歩み寄った如月と壬生が、無表情にそれを見詰める。

「如月さん」
「なんだい?」
「帰ってもいいですか?」
「奇遇だね、僕もそう言おうと思ってたところさ」
「気が合いますね」

闇に乾いた声を響かせて、如月が笑った。その後ろでは緋勇が唇を引き締め、鋭い眼差しで蓬莱寺を見据えていた。その視線に気づいた蓬莱寺は、しかしまだ自分の状況を把握できずにいる。村雨に先端を引っ張られても、何がどうなっているのか分からない。戸惑いと僅かな恐怖を浮かべて、助けを求めるように緋勇を見た。

「な、なあひーちゃん」
「・・・」
「いって!」
「あ、わり、痛かったか」
「いてーに決まってんだろ!」
「いや、どうなってんのかと思ってよ」
「どーなってるも何も」

と言いかけて、蓬莱寺はふと自分の頭部に手を当てた。そこに存在する物に指先を触れさせ、しばし動きを止める。村雨を見て、如月と壬生を見て、緋勇を見て、そうしてから上を見た。本当に見たかったのは自分の頭部なのだが、それは不可能だ。蓬莱寺でも、それくらいは分かる。

「・・・ひーちゃん」
「・・・」

すがるような視線を向けられ、緋勇が一歩後ずさった。どうすればいいのか分からないのは緋勇も同じだ。こんな状態異常は知らない。それを見てどこからともなく湧き上がった感情の名も、緋勇は知らない。
 無表情のまま後退した緋勇から、蓬莱寺は目を逸らした。手頃な位置にいた村雨に、うなだれて訴える。

「・・・こっち見んなって顔された」
「いや、先生はだいたいいつもあんな顔してるぜ?」
「それはつまり、だいたいいつも『こっち見るな』って思ってるんだね」
「壬生、追い詰めてやるなよ泣きそうになってるぞ」
「ふうん、それは愉快だ」

口を挟んだ壬生が、一寸たりとも愉快だとは思っていない口調と表情で呟く。普段ならば食って掛かっただろう蓬莱寺は、しかし予想に反して視線を落とした。小さく舌を打ちはしたものの、それ以上は何も言わず唇を曲げる。
 蓬莱寺の頭部でしょんぼりと下を向いた物に気を取られつつ、実は村雨も戸惑っていた。時折ピクリと向きを変えるその物体は、決して見慣れない物ではない。それが在るべき場所に存在していたら、きっとこのような違和感は生じなかっただろう。好奇心という誘惑に負けて、触れてしまったのもまずかった。生あたたかく淡く柔らかい感触が、いつまでも消えないのだ。これはまずい。もう一度といわず、何度でも触りたくなる。

「ええと、まあそう落ち込むなよ」
「触んな!」
「お、おお触ってたか」
「なあひーちゃん!」

呼ばれて、固まったように突っ立っていた緋勇がはっと顔を上げた。蓬莱寺を真正面から見据え、直後に堪えきれなくなって目を逸らす。右手で顔を覆い、俯いて首を横に振った。

「なんで目ぇ逸らすんだよひーちゃん!」
「すまん無理だ」
「何が!」
「それ以上近づくな」
「ひーちゃん!?」

頑なに視線を上げようとしない緋勇が、じりじりと壁際に追い込まれる。抑え込まれているその氣が、解放を欲して彼の身の内で暴れ回っているのが傍目にも察せられた。人はあまりに嬉しすぎると、思わず暴力的なまでに強く相手を抱き締めてしまうものだ。しかし大声で笑いながら肩を叩き合った記憶など、緋勇は持たない。この衝動がどこから来るのか、どこへ行くのか、緋勇には想像もつかなかった。自分が喜んでいるのか恐れているのかも判ぜられず、緋勇はただ衝動を持て余して立ち竦んだ。

「なかなかシュールな状況ですね、如月さん」
「ふむ、まあ超現実的ではあるけれど」
「なんで日本語に言いなおすんですか」
「おそらくは呪詛の一種だろう」
「では、早く解呪を」
「・・・」

何故か凍ったように無表情の二人が、同時に辺りを見回した。次いで手持ちの道具を確認し、自分たちが解呪の術を持っていないのだという事実を悟る。
 緋勇に全力で拒まれ、蓬莱寺はしょんぼりと耳を垂れていた。村雨は、その肩を叩きながらそれを撫でようとして鋭く叩き落されている。このままでもいいのではないかと、二人が同時に考えた。しかし口には出さず、白々しく打開案など出してみる。

「美里さんでも呼びましょうか」
「こんな夜中に女性を呼び出すのかい?」
「じゃあ、ええと」
「待て!言いふらすな!」
「そうは言っても、その状態で外に出る気かい?」
「まあ、通報されるような異常さではなさそうですが」
「あ、俺が御門に連絡してやろーか?」
「だから!広げるんじゃねぇ!」
「いやいや、これはすべからく共有すべきだろ」
「触るなっつってんだよ!」
「お、なんだ感じるのかぁ?」
「本気で刺すぞおっさん」

 なごやかな(?)一同から少し離れた位置で、緋勇は頭を抱えてしゃがみ込んでいた。本当は、緋勇はとても触りたかったのだ。あの薄い皮膚に、柔らかそうな毛並みに、彼の動作に合わせて垂れたり立ったりするあれに、どうしても触れてみたかった。緋勇は取り立てて動物が好きな訳ではない。一般的に愛らしいと表現される小動物にも、特に感情を動かされる事はなかった。それなのに、この狂おしいまでの衝動はなんだ。
 震える指先が何を欲しているのか、緋勇は正確には把握していなかった。把握していなかったがしかし、指先は確かに欲して震えている。緋勇は、渾身の精神力でその衝動を抑えた。この欲求に従うのは敗北のような気がしたのだ。意味など分からない。分かりはしないが、負けてたまるか、と緋勇は小さく呟き、決然と立ち上がった。その瞬間、緋勇は敗北した。

「ひぎゃあ!」
「!?」
「おいこら龍麻てめぇ!」
「す、すまん、痛かったか」
「いや、痛くは、ねーけどさ」
「そうか?」
「いきなり触られっとびっくりするから」
「そ、そうか」
「あんま、その、不意打ちはやめてくれ」
「分かった」

しゃがみ込んで何事か低く呟く緋勇を案じて、蓬莱寺が恐る恐る覗き込んでいたのだ。接近にも気づかなかったとは、なんたる不覚。しかも想像していたとおりに、それは柔らかかった。あたたかかった。なんという幸福な敗北だろう。手に残る感触に打ちのめされて、緋勇は抗う事を諦めた。不意打ちはやめてくれという訴えを尊重して、触るぞと言ってから手を伸ばす。蓬莱寺は物凄く嫌そうな顔をしつつも明確な拒否はしなかったので、了承と断じて遠慮なくそれに触れた。
 どうやら敏感な器官らしいので、そっと指先で撫でる。蓬莱寺が唇を噛んで痛みに耐えるような顔をしているのが少々心苦しかったが、耐えられるなら問題はないと結論づけた。

「・・・先生も男だったんだな」
「男は関係ないと思いますが」
「一応言っておくが、僕も男だ」

 卯年の最初の夜に起きたそれは、誰の見た夢だったのか。