先に潜入しているというロゼッタ協会のハンターを、喪部は一目で看破した。否。看破という表現は不適当だ。彼は隠していなかった。教室中の羊達が彼の職業を知っていた。自分を羊飼いだと信じている教員すら、彼の夜遊びを黙認していた。訊かれれば答える。誇らしげですらあった。
 喪部の目には、まるでそれが絶対の自信のように見えた。自分を誇れるのは、強大な力を知らないからだ。奪われた事も、蔑まれた事も、憐れみの目で見られた事もないのだろう。それならば、教えてやろう。一人呟いた言葉は、夜に染み込んで闇を震わせた。

 健康的な青空の下、葉佩は嘲笑を浮かべた。それはもう、『嘲笑』というタイトルをつけて人間の表情図鑑に載せたくなるような分かり易い嘲笑だった。

「蟻をわざわざ踏む必要なんてないと思うよ。
 俺は蟻って怖くないし」

お前は怖いんだ。疑問形ですらなかった。喪部がそれを屈辱だと認識したのは、葉佩が会話を終了してからだった。そのまま立ち去るかと思った葉佩は、喪部から少し離れた場所で寝転んでいた級友の隣で薄気味悪い笑顔を浮かべている。眠たげに応える男は、葉佩がたった今喪部に向けた表情を見ていなかったらしい。白々しい笑顔を貼り付けた葉佩に、まるで忠告のような言葉を発している。その目が見覚えのある色を湛えているのに気付き、喪部は本気で吐き気を催した。確かその色は、「信頼」とかいう名で呼ばれていた筈だ。隠し事の上手な狂人に信頼の目を向けるとは。喪部は、その眠たげな瞳に憐憫を投げた。
 なんて愚かで、憐れな囚人なのだろう。

 この《學園》は、喪部が想定していたよりも複雑だった。《宝探し屋》と《生徒会》は敵対関係にあるとばかり思っていたのだが、どうやら一筋縄ではいかないらしい。明らかに監視の為の目を持つ皆守は、葉佩に信頼を向けている。しかしそれは一方的なもののようだ。皆守を見る葉佩の目は、決して友人を見るものではない。
 葉佩は、何故か喪部に接近したがった。少しでも情報を得たい喪部にとっては都合の良い事だったが、目的が判断出来ない接近は危機感を募らせた。身の危険など、久しく忘れていた感覚だ。昂ぶる血を意識する。解放を、血は待ち望んでいる。

「皆守君は、キミが好きみたいだね」
「ん、そうみたいだね」
「キミは?」
「・・・聞きたい?」
「いや、聞かなくても分かったよ」
「そりゃ優秀だ」

 葉佩は、喪部のベッドで雑誌を眺めていた。今日は葉佩が自分で決めた休日らしい。喪部記念日だ、と言っていたが、意味は分からない。葉佩も、通じるとは思っていない。自分が理解されるとは、初めから思っていないのだろう。意味の分からない言葉を落とし、時には沈黙し、葉佩は喪部の部屋で過ごした。
 訊いてみた事もある。

「どうして僕の部屋に来るんだ」
「くつろげるから」
「ここで?」
「うん、ここで。喪部は俺が好きでも嫌いでもないでしょ?だから」

意外と繊細だ。つまり葉佩は、例えば級友が向ける視線に、何らかの感情を抱いていたのだ。それに気付き、喪部は唇を歪めた。まるで、人間みたいじゃないか。恐れを知らない狂人ではないのか。少しだけ失望したが、興味は湧いた。そこから崩すのでは、ありきたり過ぎるだろうか。

「ほら、俺って優しいから」
「そうだね、意外だったよ」
「感情とか、面倒臭い」
「自分が嫌いなのかい?」
「好きだよ。むしろ愛してる。でもきっと俺は死んだ方がいい」
「複雑なんだね」

完全な自己否定など、人間には不可能だ。葉佩はそれを知っている。口に出す自己否定の言葉は、それが否定される事を期待して発せられる。要するに、自己肯定を他者に依託しているのだ。葉佩は、決して自分を否定するような言葉を吐かない。死んだ方が良いのは、誰が見ても真実だろう。そもそも、死んではいけない生物など存在しない。世界には、生きている物よりも死んだ物の方が多い。多数派が正義だと信じる羊達は、その事実を知っているのだろうか。

「何事にも例外はあるよね」
「じゃあ全ての分類は無駄だね」
「そうかもね」

無駄じゃない事なんてあるのか、とは、葉佩は言わなかった。無意味な会話が楽しい。何も生み出さない空虚な時間が、迫るその時までの退屈を紛らわしてくれる。開いていた雑誌を閉じて、葉佩は大きく伸びをした。欠伸混じりに「眠くなってきた」と言い、そのまま何も言わずに部屋を出て行った。流石の《宝探し屋》も、敵対組織の前で眠るのは怖いらしい。翌朝その事を揶揄してみたら、あっさりと肯定を示した。

「怖いよ。だって痛そうでしょ」
「痛くないようにやってあげようか?」
「それは悔しいからヤダ」
「難しい人だね、キミは」

しかし喪部は、簡単なものよりも難しいものを好んでいた。容易く理解出来るものなど、理解する価値も無い。
 昼前になって登校して来た皆守を見て、葉佩が笑った。「おはよー」などと言いながら、奪う事しか知らない手を振っている。それに寝言のような不明瞭な声を返し、皆守は喪部を見た。葉佩の真似をして「おはよう」などと言ってみる。笑顔も浮かべてみたが、あまり巧くなかったようだ。皆守はあからさまに顔を顰め、自分の席に座った。それに近付いて行く葉佩の背中を見ながら、喪部は自分が期待している事を悟った。
 葉佩は自分を肯定してくれる。汚れた血が欲する世界を、彼も望んでいる。自分よりも劣った存在に囲まれて、理解など望みようも無く生きてきた。気紛れに踏み散らかし、無聊を慰めていた。時折現れる同類も、この血の真の価値を発揮するには至らなかった。自分が孤独だった事に、喪部は初めて気付いた。

 早く、あの狂人の素顔を見たかった。級友といつものようにじゃれ合う葉佩を横目に、喪部は空を見上げた。此処は退屈だ。眠たげな監視の目も、見るに耐えない笑顔も、もう飽きた。必要な情報は既に手中にある。厳重に守られた過去の遺物は、この身の根拠を語ってくれるかも知れない。そして病んだ《宝探し屋》は、自分の血を欲している。
 この血が欲するものを、必ず眼前に現してくれる。

 夜の屋上で、喪部は葉佩と無意味な時を過ごす。胡散臭い笑顔は形を潜め、空漠と激情の混在する表情で葉佩は語る。

「人同士の繋がりで、一番拘束力が強いのって何だと思う?」
「分からないな。そもそも僕は人同士が繋がる、なんていう妄想はしない」
「共犯者なんだよ」

共犯者にならない?そう言って、葉佩は笑った。彼や彼女の前で浮かべていた、薄ら寒くなるような笑顔ではなかった。もっと強くて傲慢な、例えば自分の快楽を表現する為の笑みだった。
 此処をぶち壊す。出来れば根こそぎ。そう言って、葉佩は愉悦で顔を歪ませた。協力してよ。そのままの表情で、言葉を続ける。墓なんて、本当は必要無い。呪いなんて存在しない。集団妄想で悦に浸ってる莫迦共を踏み潰して、一緒に世界を見よう。あいつらは病んでる。俺よりはマシかも知れないけどね。葉佩が目を細めたが、それは自嘲ではなかった。俺を理解出来ないのは、愚図だからだよ。その感情を、喪部は知っていた。
 ねえ、俺と、この場所を壊そう。

 繰り返す葉佩に、喪部は溜息を吐いた。その情熱が無自覚とは、呆れる他に為す術を見付けられない。壁など、葉佩にとっては無きに等しい。飛び越えて、向こう側に着地すれば良い。たったそれだけの事を、葉佩は不可能だと思い込んでいる。この場所に縛られている証拠だ。或いは、それは人なのかも知れない。喪部にとってはどちらでも良かった。離れる事が出来ないから、手放す事など想像も出来ないから、葉佩は破壊に走ろうとしている。急速に、喪部は冷めた。
 真夜中に人を呼び出して、自分がどれだけあのカレー男を好きかを語った《宝探し屋》に、喪部は心底からの侮蔑を放った。