クリスマスの思い出







二種類の葉佩

この世には二種類の葉佩がいる。
ひとつは【皆守を殴る】葉佩。
ひとつは【皆守を殴らない】葉佩。

わたしの葉佩は前者だ。
ぶん殴って「もうお前なんか知らねーからな!ばーか!」と涙目で叫んで走り去る途中で振り向いて「…ばーか」とかぼそっと呟いてからダッシュする葉佩。
ちょっと言いすぎたかも知れない。気分しだいでは【殴らない】葉佩にもなり得るのだ。厄介だが。







【殴る】という行為について

まず、皆守は怒られてもしょうがない事をしたのが前提である。

【殴る】は、報復または制裁という意味が適当かと思われる。
報復=皆守の行為で深く傷付き、同等の痛みを与える事でチャラにする。
制裁=今まで積み上げてきた(と葉佩が信じてる)ものを壊したペナルティ。

どちらにしろ、葉佩に対する罪科を軽減もしくは帳消しにする行為である。
【皆守を殴らない】葉佩には、それが耐えられないのではないか。拳固ひとつで帳消しになるような安い【怒】ではない。そんな気持ちもよく分かる。







【皆守を殴る】について

皆守に葉佩の【怒】は通じない。殴り損だ。
殴ったあとに語られる皆守の言葉は、葉佩にとっては見当違いなのだ。

葉佩が皆守を許せないのは、皆守が死んだら悲しいからではない。差し出した全てのものが、皆守にとって価値のないものと判断されたからだ。
死よりも葉佩の【愛】や【友】が価値あるものだと思って欲しくて、葉佩は【カレー】を皆守にあげた。だが、葉佩の返事が【愛】でも【寒】でも【カレーラーメン】でも【もちろん行く】でも、皆守の選択に影響はなかったのだ。

結局、葉佩は何ひとつ皆守に与えられなかった。
葉佩はそれが悔しかった。







皆守の願望

あるいは、望んでいた救いと葉佩の差し出したものが一致しなかったのかも知れない。
ならば皆守は、何を望んでいたのか。それについてわたしなりの意見を述べる前に、「友情イベント」(公称)から引用したい台詞がある。

1
「変化なんてのは鬱陶しいだけだ。
 そこに平穏があるのなら、
 そのままであって欲しいと願うのは
 間違いじゃないだろう?」

【愛】

2
「わかってる。
 お前が差し伸べてくれている
 手を取ってしまえば、
 俺はきっと楽になれるんだろう。
 他の奴らのように。
 だが、本当にそれでいいのか?
 俺は自分の弱さのせいで
 ここで大切なものを失った。
 そんな俺が、この學園から解放される事が、
 本当に、許されていいってのか?」

2だけ読むと、罪の意識で苦しんでるようにも思える。
「本当は救われたいんだけど、それは許されない」と言ってるように思えるだろう。
でもちょっと待て。問題は1だ。

つまり、「ここが楽だから出たくないだけじゃね?」と、ふと思ってしまったのだ。
そう思って聞くと、2は動かない言い訳のようにも聞こえる。
俺ここに永久就職する。邪魔すんな。それが無理なら死んだ方がマシ。そのように解釈できる。

つまり皆守が望んでいたのは、「変化しない事」ではないか。







なんだったのさ

でも、だったらこの3ヶ月間は、なんだったんだ。
「お前なら」とか「悪くないな」とか「ワケないだろ?」とか意味ありげな語尾の「…」とか。

なんだったのさ。

お前それは期待するだろ。期待するよ。わたしはした。本当は欲しいけど欲しいって言えないものを、葉佩ならあげられると、勘違いした。

そう、勘違いなのである。それで皆守を責めるのは理不尽だ。
でも殴らせろ。せめて殴らせろ。そしたら許すから。もう二度とお前に顔見せないから。
だからわたしの分身である葉佩は、【皆守を殴る】葉佩なのだ。







違う葉佩

でも時々、違う解釈をする葉佩もひょいと出てくる。

本当は、皆守は逃げ出したかったのではないか。でも諦めてしまったのではないか。
許されたい、解放されたいけど、まだ罰は終わっていない。だから、本当は葉佩の手を取りたかったが、取らなかった。生き残ってしまったら、葉佩はきっと性懲りもなく手を差し伸べる。
きっと自分は、その葉佩の手を拒絶できない。そうしたら、自分の所為で死んでしまった人は永遠に救われない。

そんな皆守を想像して泣きたくなる葉佩も、確かに存在する。
そして、どちらの葉佩も皆守が好きすぎて困っている。

二種類の葉佩には、これ以外にも多くの解釈が可能だ。
さて、あなたの葉佩はどんな葉佩でしたか?