この男にとって、重要なのは意思だった。突き詰めて言えば、好嫌だった。欲するべきものと拒むべきもの。それを決定する自分の感情と思想。それだけが、彼の生きる根拠だった。

「結局さぁ、どうしたいの?お前は」

膝を付いたまま、男が問う。銃弾は尽き、立ち上がる力すら失った《宝探し屋》が、真っ直ぐに視線を向ける。皆守はその視線が逸らされる事を期待し、それが無意味だった事実に気付く。問いを発したこの男は、答えを得るまで諦めない。しかし、皆守の中にはその答えが存在しなかった。

「逃げたいんじゃないの?」
「どうせ逃げられやしない」
「そんなコトは聞いてないよ。お前は、どうしたいの?」

 血に塗れ、地に伏した《宝探し屋》が、それでも強く言葉を発する。消してしまえば良い。言葉も視線も、自分の前から消してしまえば。その力が、皆守にはある。

「もう黙れ。お前はここで死ぬんだ」
「黙れ?ふざけんなよ。黙らせればいいだろ」

 死を眼前にして、男は恐怖を見せなかった。生殺与奪の権は皆守が握っている。皆守がもう一度でもその破壊力を行使すれば、男は永久に沈黙するだろう。たった今見せた《魂》と引き換えに得た力では、この男を殺す事は出来ても、屈服させる事は出来ない。
 苛立ちが募る。壊れてしまえ。俺のように。心が叫ぶのを、いつものように紫煙に溶かして吐き出す。そんな無様な自分を、この男には知られたくなかった。

「死ぬのが怖くないのか?」

いつだったか、同じ言葉を投げた記憶がある。その時の彼は何と答えたのか、明確には覚えていない。ただ、酷く悲しかった気がする。ああ、やっぱり。そう思った事だけは覚えている。
 こいつは、俺とは違うんだ。

「お前とは違うんだよ」

 笑みすら浮かべて、《宝探し屋》は皆守に絶望を突き付ける。
 まるで逆の立場だ。傷付いた男は真っ直ぐに、強い眼差しで皆守を見ている。優位に立っている筈の皆守が、まるで刑の執行を待つ死刑囚のような表情をしていた。
 執着と欲望に塗れた男が、思い通りに行かない現実に歯を立てる。動かない脚。ぼやけた視界。得られない解答。力が及ばない相手。子供が駄々をこねるように、その全てに怒りをぶつける。

「殺す度胸も無いクセに、何人殺した?
 言われたからやっただけ、とか思ってんじゃねぇよ。
 俺はお前を死んでも許さねぇって、分かってんの?
 俺を殺して、お前に生きる権利なんかあると思ってんのかよ!」

皆守を傷付ける為に、悪意に満ちた言葉を放つ。折れた肋骨が痛むのだろう。胸を押さえ、荒い息を吐きながら、負け惜しみのように男が吠える。

「壁の中が好きなんだろ?
 誰かが守ってくれないと、お前は息も出来ないもんな。
 嘘でもいいから『生きてていいよ』って言われたいんだろ?」

 彼の頬を伝うものが、彼自身の血液だけではなくなっていた。透明な涙が、汚れた皮膚を洗い流すように溢れては落ちる。鮮血と混じり、濁った涙が皆守の目を奪う。
 皆守の為に流された涙ではない。そんな事は分かっていた。

「死にたくないのか」
「死にたくないよ」

叫びたかったのだろうが、彼の体にそれだけの余力は残っていなかった。辛うじて上半身を支えていた左腕が崩れ、男は床に突っ伏した。噛み締めた唇に、濁った涙が流れ込む。
 この時を、皆守はずっと待っていた。今眼前に広がる光景を、繰り返し想像しては湧き上がる感情を持て余した。感情の名など知らない。ただ、何処か甘美なその映像だけを、何度も噛み締めた。
 夢の中では美しかったその光景が、現実では目を逸らしたくなるほどに醜い。考えてみれば、この男は安らかに死を受け入れるような人間ではなかった。知っていたのに、夜毎浮かべた映像は、滑稽なほど静かだった。
 立っているだけの体力も無いのに、男の手は武器を握り締めている。有り得ない方向に曲がった足が蠢いている。床に額を擦り付けるように、男が足掻く。無様に這いずり、存在しない筈の活路を探す。

「生きてて、いいことあったか?」
「なかった。でも死にたくない」
「なんで?」
「くやしいから」

 皆守が右足で床を撫でる。左足を、ゆっくりと振り上げる。彼は、まだ諦めない。












 一人で地上に戻った皆守を迎えたのは、青い瞳の男だった。まるで痛みを感じているように眉を顰め、無言のまま皆守を見詰める。責められているような気がして、皆守は視線を伏せたまま歩き出した。
 擦れ違い様、花の香りに混じって硝煙の匂いが阿門の鼻を突いた。立ち去る皆守を呼び止めようと声を発しかけ、全力でそれを拒絶する背中に気付き、途方に暮れる。

「・・・《墓》は、必要ない」

届く事など期待していないような声で、皆守が呟いた。もしかしたら、聞いてはいけなかったのかも知れない。
 皆守は解放される事など望んではいない。現状への不満はあるだろうが、具体的に希求するほど外を知らなかった。夢を見ていただけだ。あの男が、あまりにも強い瞳をしていたから。
 風を受け、雨に打たれ、星を読み、道を行く。その男が携えていたものこそ、皆守が夢に見たものだった。ずっと押し殺していた憧憬を、あの男が呼び覚ました。しかし憧れていたその世界を生きるには、皆守はあまりにも脆弱だった。突き付けられた現実に打ちのめされるほど幼かった。

 報告を受けた阿門は、皆守の呟いた言葉の意味を漸く悟った。
 《転校生》は、皆守の攻撃を掻い潜り逃走した。詳しい経緯については、後日改めて確認する必要がある。しかし、阿門には一つの確信があった。
 あの男の能力は、決して低くはなかった。《墓》を暴き、《守人》を解放し、人間が本来持つ能力だけで異形を破壊した。皆守に与えた能力には及ばなかったが、結果的に生き延びたのは事実だ。
 《生徒会》は、事実上破綻した。《執行委員》は例外なくあの男に惹かれている。排除するべき対象ではなく、自分を解放した一人の人間として認識している。彼の目的に手を貸した者さえいた。《墓》とそれを守る自分自身の存在に疑問が生じたのだ。疑心は、やがて解答を導き出すかも知れない。
 自分達が犯し続けて来た罪を、暴き出すかも知れない。

 控えめなノックの音と同時に小さな声がした。阿門の招く声に応じて部屋に入った女は、既に《生徒会》の目的とは相反する行動をとっている。《転校生》に力を貸し、扉を開く事を選択したのだ。しかし、何故か阿門自身から離れて行く素振りは見せなかった。以前と何ら変わる事なく微笑みを向け、阿門の悲哀を憂いた。

「《転校生》は排除した」

唐突に発せられた阿門の言葉に、双樹は目を見開いた。あの男の手で、全てが解放される事を期待していたのだろう。聞き取れないほど小さな声で「そうですか」とだけ呟き、顔を伏せた。

「お前の願いは叶わなかったな」
「阿門様、私は・・・」
「もう一度、やり直さなければならない」

何かを訴えようと口を開いた双樹を黙殺し、阿門は続ける。

「再び《転校生》が現れた時、《生徒会》が機能している必要がある」
「私は・・・まだ、貴方のものです」

《転校生》に手を貸したのは、貴方の悲哀を取り除きたかったから。そう言おうとして、双樹は気付いた。自分が認識する阿門の悲哀とは、取りも直さず彼の生きる理由でもある。結果的に、双樹の取った行動は、阿門から生きる理由を奪う事になってしまった。
 阿門の安らぎを望む事は、彼から存在理由を剥奪する。その事実に、双樹は愕然とした。

「今回の《転校生》に関する記憶を、全て消去しろ」
「え・・・」
「不可能か?」
「・・・いいえ、出来ます」

阿門の言葉が、依頼ではなく命令だった事に、双樹は深く安堵した。
 必要とされたい。そんな根源的な欲求すら、彼女にとっては憎むべき弱さだった。かつて捧げた縫いぐるみを、もう一度だけ強く抱き締める。自分の弱さの象徴が、何故こんなにも愛しいのか。

 《抱香師》としての技術と知識を駆使して、双樹は取り戻した全てを闇に返した。
























 そして黄昏の《學園》に、一人の男が降り立つ。繰り返す為ではない。実を言うと、何の為に此処に立ったのか、彼自身も理解していなかった。
 《學園》を包む甘い香りに、男がふと唇を歪める。

「・・・面白いことになったな」

一人呟いた声は、何者にも届かず風に攫われた。同時に微睡と黄昏と芳香が、同じ風に揺らされる。
 黄金が黄昏に降り立った事を、住人達は未だ知らない。