やばかった、今のはやばかった。ほんとにやばかった。胸中で同じ言葉を何度も呟きながら、葉佩はアサルトライフルに銃弾を補填した。これは戦闘後の習慣のようなもので、どれだけ動揺していても手が無意識に動くのだ。
 耳のすぐ近くで空気を切る音がして、脳漿を撒き散らして吹き飛ぶ自分を想像したのは、ほんの数秒前の事だった。以前の自分なら、このような戦い方はしないだろうと、葉佩はライフルを担ぎなおしながら思う。

 もう終わっちまったのか、などと、背後で眠たげな声がする。まだ恐怖で強張っている頬で振り向くと、重たそうなパイプを唇でもてあそぶ皆守が見えた。普段ならどうとも思わないだろう皆守のその仕草が、この時に限っては内蔵に灼熱を落とした。
 いっそ惨めたらしく顔面を潰されて死んでいたら彼の目も覚めるだろうと、吐き捨てるように考える。考えてから、どうして彼の目を覚ます為に自分がそんな犠牲を払わねばならないのか、と理不尽さにはらわたが煮える。

 命知らずの無法者、向こう見ずの情熱家、それはたしかに格好いいだろう。誰しもが憧れるだろう。禁忌など鼻で笑い飛ばして、血を流しながら唯一を目指してひた走る《宝探し屋》。うん、格好いい。でもそれ、俺じゃないから。と、どうしても言えない自分が恨めしい。

 右足に体重をかけると、分かっていたがとても痛い。見下ろすと、まだ止まらない出血がブーツまで濡らしていた。痛い。物凄く痛い。へたり込みたい。歩きたくない。甘い物が食べたい。泣きたい。それら表層に浮いてきた欲求を、しかし葉佩は無視して歩き出す。何故なら、皆守がそう望んでいるから。望んでいると、葉佩は思っているから。

「皆守、怪我してない?」
「怪我してるのはお前だ」
「うん、俺はへーき」

 そう言って笑うと、皆守は小さく舌打ちして、さも不機嫌そうに目を逸らした。殴りたい。
 ブーツの中で血が固まり始めていて、その感触がひどく不快だった。泣きたいような怒鳴り散らしたいような、とにかくひどい気分だった。最近は、だいたいいつも酷い気分ばかりだった。












 翌朝、葉佩はいつもどおり笑顔で「おはよう」と言いながら席に着いた。八千穂と白岐が同じ言葉を返してくれたのが嬉しくて、しかし気分は昨夜に引き続き青天には程遠く、それでも微笑む自分に嫌気が差す。
 授業が始まっても、皆守は姿を見せなかった。昼間なら微笑んであげられるのに、カレーも惜しまずあげられるのに、【愛】とか【友】とか言ってあげられるのに、どうして彼とは夜にばかり会うのだろう。

 昼休みの探索を終えて、特にさしたる理由はなかったが屋上に行ってみた。もう一度いっておくが、理由はない。皆守が屋上にいるかも知れないなんて考えてもいない。理由はないが、葉佩は屋上に行ってみた。

「あ」
「よお、俺になんか用か」
「ねぇよお前に用なんか」
「そうか?」
「なんで教室にいなかったんだよ」
「むしろお前はなんで教室にいたんだ?」
「だって、学生だから」
「どうせ嘘だろ」
「嘘だから、本物っぽく振舞わなきゃ」
「そうか」

 《宝探し屋》も大変だな、などと欠伸混じりにうそぶく彼は、葉佩を排除する役目を負っている。《生徒会》と呼ばれる機構が何を守ろうとしているのか、葉佩はそんな事は知らないし、必要ならそのうち知れるだろうから、知ろうとするのも無駄だと思っている。ただ、皆守は《生徒会》に所属している。副会長だそうだ。会長の次に偉いのだろうという程度にしか葉佩は認識していないが、それで今のところ問題はない。

「皆守は?」
「カレーにする」
「ここはマミーズじゃねぇ」
「持ってないのか?」
「軟体動物の触手なら持ってるよ」
「出すな、いらないから」
「皆守は?」
「俺は、そうだな、じゃあカレーにするか」
「ほんっといい加減にしろよお前!」
「モップを振り回すな!」

 彼のあまりの察しの悪さに焦れて、思わずポケットからモップが出てきた。漂白したての綺麗なやつだ。それなのに皆守は大袈裟に身を引いて、まるで非難するような目付きで葉佩を睨んだ。闇雲に汚れを忌避するその様は、無知をさらけ出しているようで実に無様だ。自分だけは綺麗なつもりで、汚泥に身を浸す者を、何も知らずに見下しているのだ。自分の立つその道が、何でできているかを考えもせずに。
 だるそうに、それでいて身軽に、ひょいとモップを躱して皆守が眉をしかめる。問いすら知らず、誰かが出した答えにすがって生きるなどと、葉佩には堪えられない。だから葉佩は、一心に問うた。

「皆守は、なんで、教室にいなかったんですか!」
「最初からそう言え」
「言っただろ!」
「お前、その致命的な会話下手をどうにかしてから転校しなおしてこい」
「寿司まで作ってやったんだぞ!」
「俺の為に?」
「ふざけんな俺が食う為に決まってんだろ!」
「ええと、なあ葉佩」
「な、なんだよ」
「いや、そんな期待した目で俺を見るな」
「き、期待なんてしてねーよ!」
「いや、あのな」
「お、おう、なに?」
「だから身を乗り出すな近いんだよ顔が!」
「うるせぇな早く言えよ!」

 結局、問いに答えは返らず、皆守は言葉を続けなかった。もやもやする。痛み止めが切れかかって、痛みとも表現しがたい不快な感触がずくずくと傷の辺りを這いまわる。気持ち悪い。
 教室にいない時、皆守ははどこにいるのだろう。保健室にも屋上にもいない時は、いったいどこで何をしているのだろう。そんな事を考える度に、葉佩は吐き気にも似た不快感に襲われる。

 今日も夜が更けた。葉佩はいつものように墓に潜り、皆守はいつものようにそんな葉佩の背中をぼんやりと眺めている。
 汚れた英雄が、何もかも都合のいいように破壊して自分を自由にしてくれる。そんな事を考えて、皆守はうっとりと目を細めるのだ。本当は望んでなどいないくせに。役目を与えられて喜ぶような幼稚な精神で、自由を求めるなんて100年早い。餓鬼は箱の中で管理されていればいいのだと、葉佩は侮蔑をこめて思う。思いながら、彼の夢見る英雄を、つたないながらも演じてみせる。

「皆守、怪我しなかった?」
「いや、むしろお前、痛くないのか?」
「痛いに決まってんだろ」
「なんで頭から突っ込むんだ」
「だってあいつ、急所が分かんない」
「まだ分からないのか」
「え、知ってんの?」
「見れば分かるだろ」
「なにその羨ましい機能!欲しい!ちょうだい!」
「つまりそれは、俺が欲しいと」
「皆守はいらないから、機能だけちょうだい」
「もれなく俺もついてくるぞ」
「えええ、じゃあいらない」
「本気で嫌そうに言うな、傷付く」

 それが本当だったら、本当に彼が傷付いたら、と葉佩は夢想する。そうして、皆守が夢見る無法者ではない自分に、どうしようもなく失望するのだ。臆病で、卑怯で、狭量で、いつだって言い訳したくてたまらない。そんな自分を隠したくて、でもいっそ知られてしまえば楽になれるのに、などと考えて途方に暮れる。

 まったくお前はばかだな、と言って甘ったるく笑うその頬が、死んでしまいたいほど不快だ。
 煩わしい鎖を引き千切り、囲いを打ち砕き、どこまでもその脚で走ってゆく獣のような《宝探し屋》でなければ、皆守はきっと見向きもしないだろう。それなのに、望みどおりに壊してしまえば、きっと彼は生きてゆけない。檻も絆も失って、この愚かな男が生きてゆける道理はない。思考はいつもそんな結論に辿り着き、葉佩はいつも立ちすくむ。

「おい、ちょっと待て葉佩」
「なんだよ」
「さすがに死ぬぞ」
「死なないよ、だって俺は《宝探し屋》だから」
「いいから、ちょっとここ座れ」
「え、説教?」

 警戒するふりをしつつも無防備に歩み寄ると、ポケットに手を入れられて思わず叫んだ。響き渡ってこだました叫び声には一切の関心を寄せず、皆守はいたって冷静に葉佩のポケットから救急キットを取り出して、もう一度「ここに座れ」と言って床を指差した。
 綺麗な白い指が傷口を消毒して包帯を巻くのをおとなしく見下ろしながら、こんなの痛くないよ、と嘘をついてみる。さっきは勢いで「痛い」と言ってしまったが、どうせ皆守は忘れているだろうから気にしない。

「ねえ皆守」
「動くな」
「いや、動いてないけど」
「巻きにくいんだよ」
「それ俺が動かなくっても巻きにくそうだったよね」
「慣れてないんだ」
「昼間、どこにいたの?」
「お前には関係ない」
「傷の手当てって、した事ない?」
「ああ、あんまりないな」
「怪我したら、どうしてた?」
「さあ、憶えてない」
「怪我した事ある?」
「なくは、ない、と思う」

 普通に生きていればこんな怪我はしないと、まるでそれが正当な主張であるかのように皆守は言った。自分は普通だと、それ以外が異常だと、そんな無邪気な傲慢が苛立たしい。それでいて平凡ではない自分を誇る、なんとも矛盾したものだと、葉佩は嘲笑をこめて思う。
 不器用な手が包帯を巻き終えて、するりと離れてゆく。傷ではない部分が傷んだような気がしたが、それが錯覚であると葉佩はもう知っていた。腹の辺りがじわりと熱くなって、締め付けられるように痛いが、これも錯覚だ。痛いのは傷であって心ではない。

「さて、じゃあ行こっか」
「まだ行くのか?」
「眠いんだったら先に帰れよ」
「俺がいなかったら、誰がお前を止めるんだ」
「お前がいたって止まんねぇよ」
「だろうな」

 嘘だ。もう帰って寝たい。傷も痛い。泣きたい。すがりたい。もっとなんでもない時に、理由もなく触ってもらいたい。ゆるやかな昼下がりに、空の下で笑って欲しい。慎重にじっくりと謎を解いて、熟考してから行動したい。誰も泣かないように、誰も傷つけないように、ちゃんと理解してから扉を開けたい。でもそれは、皆守の望みではない。彼が夢見る無法者でなければ、存在する価値もない。本当の葉佩では、生きる価値もない。
 下手くそなのにやけに丁寧に巻かれた包帯が鬱陶しい。吐き出される甘い息が気になってしょうがない。皆守が何を見ているのか、いちいち振り返って確認したくなる自分がもう我慢できないほど面倒臭い。切り捨てたい。彼の望みどおり、前も後ろも見ないでただ秘宝だけを求めて熱狂したい。痛い。悲しい。泣きたいのに泣けない。ひどい気分だ。
 彼が隣に立つようになってからずっと、葉佩はだいたいいつも酷い気分だった。