なんだか変な夢を見た。息苦しさを感じつつ目を開けると、蓬莱寺が胸の上に乗っていた。暖を取ろうとしたのだろう。そう判断したが、しかし緋勇は無情にも布団から出ようと身を起こした。
 蓬莱寺が薄く目を開けて、何事か不明瞭に呟きながら拘束を強くする。「さむい」と聞こえたので、緋勇の判断は間違っていなかったらしい。

 絡みつく腕をほどこうとして、しかしその動作が困難であると、緋勇はようやく気が付いた。引き剥がそうとすると、本当に眠っているのかと疑いたくなるほど強くしがみ付いてくる。覚醒を促して声をかけても揺さ振っても、一向に離れようとしない。
 しかも緋勇の手が触れると、それは幸せそうに蓬莱寺の頬が緩むのだ。それを認識した時点で、力尽くで放り出すという選択肢は緋勇の中から消え去った。

 途方に暮れて、緋勇はのどかな朝に自分が無力であると痛感した。












 学校に遅刻する、と発した声は、自分でも分かるほど空虚だった。ぬくまった布団の中でいつまでも眠っていたいという退廃的な願望は、たしかに緋勇の中にも存在する。抗いがたく、目蓋が落ちる。腹の上では幸せそうな寝顔が誘っている。
 だが緋勇は怠惰を払い、決然と立ち上がり、かけて強く腰を引かれて再び布団に戻った。

「どこ行くんだよ、ひーちゃん」
「学校に」
「いーじゃねぇか学校なんて」
「よくない」
「ひーちゃんは俺より学校が大事なんだな」
「そうだな」
「マジで!」

 跳ね起きた蓬莱寺は、それでも緋勇と毛布を手放さなかった。「ああそうかよ」と呟き、再び毛布にくるまって緋勇の腹に顔を埋める。
 心が傷付いたから今日はずっと寝てる。そう言って、蓬莱寺はそれきり押し黙った。為す術もなく、緋勇が嘆息する。どうする事もできない。蹴り飛ばして身を起こす事もできない。緋勇の完全なる敗北だ。しかし緋勇は、一度の敗北で折れるような精神は持ち合わせていない。
 毛布を跳ね上げ、上体を起こす事に成功し、やっと見出した勝利への糸口を放すまいと、蓬莱寺の頑なにしがみ付く腕を掴んだ。それは拘束を解く為の動作であり、蓬莱寺を引き剥がそうという決意の表れである。
 蓬莱寺が顔を上げた。眠たげな目で緋勇を睨み、すぐに突っ伏す。しかも、床に落ちた毛布を足で引き寄せるという離れ技まで見せてくれた。

「おい、放せ」
「やだ」
「遅刻するぞ」
「いいよ」
「卒業できなくなるぞ」
「俺を起こしたかったら、殺す気で来いよ」
「分かった」
「分かるな!」
「どうしろと」
「疑問に思えよ、なんで朝っぱらから殺し合いなんだよ!」
「それもそうだな」
「分かってくれたか!」

 頷き、緋勇は掌に氣を集めた。冷厳なる雪片が、きんと音を立てて具現化する。察した蓬莱寺が、毛布ごと緋勇に体当たりした。もろとも布団に倒れ込み(緋勇はちょっと床にはみ出した)、上になった蓬莱寺が勝ち誇るでもなく冷静に問う。

「ひーちゃんは、そんなに俺を起こしたいのか」
「いや、俺が起きたい」
「俺は起きない。だって寒いから」
「それは構わんから、放せ」
「だってひーちゃんがいなくなったら寒い」

 真直ぐな瞳で訴える蓬莱寺に、自言を譲る気はなさそうだ。ぬくもりも睡眠も、同時に手に入れようとしている。なんたる強欲。いっそまぶしい。思わず目を細めた緋勇に、蓬莱寺が全体重でのしかかった。

「おい京一、重い」
「だろーな」
「どけ」
「なんで」
「俺は起きたいんだ」
「そうかよ、俺は起きたくない」
「そうか、残念だ」
「ん?」

 つどった凍氣が、一点に収斂される。緋勇の意思に反応して、それらは自然現象から逸脱し、邪悪を退ける力と成る。ちなみにこの場合の邪悪とは、執拗に眠りへと誘う蓬莱寺に他ならない。
 邪悪とは、かように変容しやすいものなのである。ならば邪悪とは、または正義とは、いかなるものであろうか。

 それはさておき、緋勇は無表情のまま、冷徹なる掌で蓬莱寺の首筋を撫でた。悲鳴を上げて跳ね起きた蓬莱寺は、それでも緋勇と毛布を放さなかった。緋勇の腰にすがったまま、涙ながらに訴える。

「何しやがる!」
「安心しろ、手加減はした」
「心臓麻痺で死んだらどうしてくれる!」
「お前はそんな事で死なないだろう」
「そ、そりゃあ、死なねぇけど」
「じゃあ問題ないな」
「俺がお前を嫌うってのは、問題じゃねぇのか?」

 拗ねた目付きで睨まれて、緋勇が言葉に詰まった。
 しかし蓬莱寺という男は、芯から人を嫌うという事があまりない。緋勇から見えないだけなのかも知れないが、彼が人を嫌悪するという場面が、あまりうまく想像できない。あんなにも嫌いだと言って憚らない犬神でさえ、傍から見ればどこか楽しそうにじゃれ合っているようにも見える。
 つまり、彼に嫌われる事で、さしたる問題はないように思えた。出てきた結論を告げるべきか否かと迷いながら、蓬莱寺を見下ろす。

 蓬莱寺は、自分の一言が相手を沈黙させたのだと解釈して緩やかに口角を上げたが、緋勇の腰は両腕でしっかりとホールドしたまま、固定した大腿から腹にかけての部分を枕としている。
 膝にも体重をかけられて、苦しくはないが重たい。それ以上に、なんとなく、どことなく、そこはかとなく、落ち着かない。

「ひーちゃん、固くなってるな」
「朝は固くなるものだ」

 同じ体勢で眠っていれば、間接も固くなる。だから朝は入念にほぐす必要があるのだ。間接の柔軟性は、すべての動作に影響を与える。柔らかくほぐしておけば、稼動域も増える。つまり行える動作が増える。選択肢が増える。
 而して、緋勇はいたって真面目に頷いて、蓬莱寺を引き剥がすという本来の目的を遂行せんが為、無防備にさらされた後頭部に手刀を落とした。

「いいからどけ」
「やだ」
「なんで」
「寒いから」

 と言いながら、蓬莱寺が再び目蓋を落とし始める。毛布を肩まで引き上げ、母の胸に包まれた幼子さながらの安心しきった表情で、緋勇の腹に顔を埋めた。
 燃やすまでせずとも、殴るとか蹴るとか投げるとか、手段はあったはずなのだ。しかしいずれの手段も行使せず、緋勇はただ無為に、安穏と朝寝をむさぼる緩みきった顔をぼんやりと眺めた。

 やはりこの男には勝てないのかと、緋勇が敗北に打ちひしがれる。日が高くなって体があたたまったら、この屈辱は必ず返してやる。心に決めて、緋勇も毛布にくるまって目を閉じた。