最初は、すぐに死ぬだろうと思っていた。知覚から動作への移行が遅すぎる。対象の動きを予測すらできず、しかも知覚してからその位置に向かって発砲しているので、当然ながら弾は対象に当たらない。そうして敵の接近を許し、防御すら反射神経だけで行われる。たしかに平凡な高校よりは多少なりとも優れているが、それだけだ。
 いつからだろう。暗澹たる期待ではなく、鬱陶しいほどの高揚を覚えるようになったのは。

 葉佩が音を立てて床を蹴った。同時に放たれた弾丸が、過たず異形の急所に命中する。透かさず距離を詰め、振りかざしたナイフを胴体と頭部の接続部位に突き立てた。
 ふ、と息を吐き出し、こちらを見る。怪我しなかった?と問われ、見れば分かるだろ、と返す。もう何度目のやり取りだろう。葉佩は満足そうに笑い、扉へと歩き出した。その背中を見詰めながら、皆守はポケットの中で汗ばんだ手を持て余す。

 葉佩は、強くなった。敵に囲まれてもパニックを起こさなくなった。それは、ただこの《墓》に慣れたというだけの事なのかも知れない。未踏の区域に入る時、当初はどこか及び腰だった姿勢が、隙のない構えになった。撃ち出す銃弾に無駄が少なくなり、踏み込みに躊躇が見られなくなった。
 それを認識し得る自分の視力に、皆守は後ろめたさすら感じる。その能力は、自分のものではないと考えているからだ。《魂に等しいもの》を捧げ、代わりに与えられた呪い。その目が見詰める中、葉佩は感嘆すべき速さで成長している。
 誰かを羨むなどと、無駄だと思っていた。欲しても得られないものは無数にあり、得られないのなら欲しがるだけ無駄だ。皆守はそれが真実だと思っていたし、また周囲にそれを否定する者はいなかった。今までは。

「皆守、腹減らない?」
「それより眠い」
「あ、ハンバーグ食べたい」
「俺はカレーが」
「よし!戻ろう!」
「おお、そうしろ」
「こっからだと、こっちだな」
「来た道を戻る方が早いと思うが」
「戻ってどーするよ」
「飯にするんじゃないのか?」
「肉がないんだよ!」

そう言って葉佩が足を向けたのは、地上へと続く道ではなかった。訝しみつつもその背中を追って階段を上り、隧道を抜け、獲物を発見して嬉しそうに飛び掛る葉佩を、ぼんやりと眺める。
 葉佩は手に入れる。栄誉も信頼も勝利も真実も食材も、欲しければ手を伸ばす。どうしてそんな風に、諦めずにいられるのだろう。これで終わったと、皆守はもう何度も思った。化人の攻撃に、墓守の呪詛に、凶悪な罠に、葉佩は何度も膝を折り、その度に皆守は絶望した。
 命知らずの墓荒らしなら飽きるほど見てきた。狂的な情熱なくして、この場所に踏み入ろうなどと、ましてや奥に進もうなどとは考えない。皆守が処断した者は、例外なく自分の勝利を信じてやまなかった。それはもう見苦しいほどに。












 目当ての肉をゲットして、葉佩は背後を振り向かずに窺ってその気配を確かめると、胸中で舌打ちした。全速力で走ったのに、彼は息も乱していない。眠たげな目で、こちらを見ているかどうかも判然としない。
 気づいたのは、最近だった。出会って間もない頃から、運動神経は悪くないのだと思っていた。ぼんやりとした仕草が、ふとした瞬間に恐ろしいほど鋭くなる。存外に軽やかな身のこなしも、しなやかな体も、気づいてしまえば呆れるほどにあからさまだ。
 隠す必要さえ、感じていないのだろうか。それは正しい判断だ。葉佩はずっと気づかなかった。自分の事だけで精一杯で、背後に立つ彼の気配など気にしている余裕はなかった。硬く冷たい石の床にしたくもないキスをして、与えられた激痛に転げ回り、迫り来る死から逃げ惑うのに忙しかったから。

 皆守が大きな欠伸をした。今度は振り向いてその顔を見る。涙の滲んだ眠そうな目が、さも億劫そうにこちらに向けられ、すぐに逸らされる。

「皆守、眠い?」
「いや、眠くない」
「なんで嘘つくの」
「ばれたか」
「涙目になってるよ」
「泣きたい気分なんだ」
「俺の胸で泣いていいよ」
「おお、助かる」

と言って本当に凭れかかってきた体に、葉佩は自分で言っておきながら慌てふためいた。ごめんなさい俺が悪かったもう不用意な発言はしません、などといろいろ叫んで、どうにか皆守に自立してもらう。愛用のパイプを口に運ぶのも気だるげに、皆守は唇の端で少しだけ笑った。
 葉佩の手には、まだ愛用のライフルがある。照準を合わせ、トリガーを引く。指先が震えさえしなければ、1秒以下の速度で行える動作だ。以前よりも速くなった。きっともっと速くなる。彼にも感知できないほど。
 葉佩が銃口を上げたのと、皆守がまたしても欠伸をしたのは、同時だった。偶然だろうかと楽観的に考えそうになった思考を、冷静に引き締める。銃を仕舞う動作と構える動作、彼の目が判別できない訳がない。あー眠いだるいと寝言のような口調で繰り返す皆守に、いつかその目を見開かせてやる、と声には出さずに宣言した。












 この男も、他の《転校生》と同じ道を辿るのだろうか。倒れ伏し、進む術を失い、自分に死をもたらした男へ憎悪を吐き捨てるのだろうか。
 目を開けたまま夢現にそんな事を考えていると、葉佩から殺気が飛んできた。高速で上空に引っ張り上げられるような、暴力的な高揚感が皆守を襲う。それを誤魔化す為に、わざと大きな動作で欠伸をして、間接を伸ばした。葉佩が笑みを抑えるような奇妙な表情で目を逸らす。
 すぐに死ぬと思っていた。世界を憎みながら、嘆きながら、あたたかい墓土の下で。

 葉佩が無造作に扉を開けて、振り向かずに言った。

「皆守はなんにする?」
「カレー」
「あ、ごめんカレー切らしてる」
「なんだとてめぇ!あれだけ人の部屋から持ち出しておいて!」
「しょーがねぇだろ!辛さを求めんが続いたんだよ!」
「なんで俺を呼ばない!」
「むしろなんで呼ぶと思うんだよ!」
「お前なんかの腹に入ったカレーが可哀相だと思わないのか!」
「どっちかっつーと俺はお前の方が可哀相だよ!」
「空き巣に入られてカレーを盗まれた俺は確かに可哀相だ!」
「う、うん?」
「という訳で、慰謝料を請求する」

だからカレーを出しやがれこの窃盗常習犯。今なら地上最強カレーで我慢してやる。そうは言ってみたものの、持っていないのならば仕方ない。一つ貸しだからな、と告げて爪先で脛を小突き、なんだか腑に落ちない顔をしつつも葉佩が頷くのを確認する。
 ところで、地上最強という事は、地下では最強ではないのだろうか。しかし地下では最強というのも、そこはかとなく退廃的な語感だ。逸れてきた思考は逸れるままに遊ばせて、今は遠い空を思い、皆守は深く溜息をついた。

「疲れた?」
「人生に疲れた」
「もうちょっとで終わるから」
「人生が?」
「あと少しだけ頑張れ」
「人生を?」

 硬い靴音を鳴らしながら、葉佩が人の話は聞かずに扉に向かう。待ち構えていた化人に銃弾を叩き込み、最初の夜は泣きそうにさえなっていたグロテスクな異形に、とどめの手榴弾を投げた。踊るような足捌きに、ためらいは見えない。不意の死角からの攻撃にも、即座に的確に反応する。
 重たい目蓋の奥で、皆守の瞳に火が点いた。今ここで、この身が誇る最強の武器を振り下ろしたら、葉佩は同じように冷静でいられるだろうか。あの暗く燃える目で、獣のような素早さで、応を反してくれるだろうか。
 空想に気を取られた皆守の眼前で、葉佩がくるりと身をひるがえした。人型の化人が、壊れた機械のような動きでそれに歩み寄り、腕を振り下ろす。半身に構えた葉佩が、銃を持ったままの手でその腕を掴み、自分の腰に引き寄せた。化人の肘に右腕を絡ませ、それを支点にして、力を加える。ごきんと嫌な音がして、化人の動きが止まった。透かさず手の中にあった短銃でその頭部を打ち抜く。

 あの相手が自分だったら、と、皆守は思考が勝手に映像を作り出すのを止められない。葉佩の反応速度は当初から目を見張るほどだったが、最近になって更にそれが研ぎ澄まされた。真正面から対峙して、隙を探して睨み合って、見つけた一瞬の揺らぎを貫く。彼はそれにも反応するだろう。絡め取られる前に、彼よりも早く、次の攻撃を放たなければ。それには重心を持ち直しておく必要がある。彼の攻撃は、どこから飛んでくるのだろう。
 幸福な空想を、耳障りな声が遮った。

「おーい皆守ー」
「ああ、うん、起きてる起きてる」
「お前、立ったまま寝るのやめろよな」
「あー腰いてー」
「分かった任せろ」
「ってうわ!触るな!」
「皆守の弱点は腰、と」
「H.A.N.Tに情報を追加するな!」
「俺さ、強くなったろ?」
「ん、どうだろうな」
「もっと強くなるぜ?」
「ほお」
「お前よりも」

上等だ。早く来い。もう待ちくたびれた。空想で遊ぶのも、熱を押し殺して背中を見詰めるのも、もう飽きた。俺を満足させてくれ。誰も届かなかったこの俺に、お前の手は届くと証明して見せろ。
 溢れた感情が、自然と笑みの形になった。

 待ち焦がれた夜が、もうすぐ訪れる。