ひぐらしの鳴き声をどこか遠くに聞きながら、少女と二人で夕焼けの中を歩いていた。ゆったりと気だるげに、空気は夏の匂いを含んでいる。それを深く吸い込み、彼女は遠慮がちに、それでいて拒絶など想像もしていないように、子供のような無邪気な仕草で希望を告げた。

「あのね、手を繋いでもいいですか?」

 傾いた日が、微風に遊ぶ彼女の髪と全身を染め上げる。この夏の夕暮れのように優しく在りたいと、不意に思った。こんな風に穏やかな黄金色で、彼女や彼を包めたら。
 無言のまま差し出された手に、彼女は恐れるようにそっと触れた。少し汗ばんだ手の平の熱が心臓をざわめかせる。握るというほど強くなく、指先を絡めただけで少女は嬉しそうに微笑んだ。道の先に待つ慟哭さえも、彼女が微笑むのなら怖くない。
 薬指の腹を、彼女の丸い爪がかすめた。小さな刺激に反応して、思わず手が震える。それを知られたくなくて、誤魔化す為に細い指を握る手に力をこめた。そうすると、彼女は驚いたように顔を上げ、斜陽を映した瞳を向ける。その瞳に映る自分が、この夕暮れと同じ色ならいいのに。

 オレンジ色に染まった少女の頬を直視できずに、雲を眺めるふりで顔を逸らした。ぬるい風が吹き抜けて、彼女の香りが鼻先をくすぐる。ふと、自分の手が傷だらけだったのを思い出して、急にそれを恥ずかしく感じた。誇らしくさえ思っていた傷跡が、酷く醜いものなのだと気づいて悲しくなった。この体を見たら、優しい彼女はなんと言うだろう。

 振り返ると、長い影が二つ伸びていた。頼りなく繋がれた手と手が、今にもほどけそうに触れ合っている。
 こんなところをあの男に見られたら、きっとからかわれるに違いない。大袈裟に目を見張って、次に猫のように目を細める。そんな姿がたやすく浮かんで、しかしすぐに消え去った。彼女が手をほどいたからだ。するりと熱の余韻だけを残して離れていった手が視界に入り、顔を上げて少女を見る。

「一緒に、行きましょうね」

微笑んで、まるでそれが真実のように彼女は語る。

「絶対に勝ちましょうね」

 果かなげな頬に不似合いな、力強い笑みだった。同じように笑いたい。そう思ったが、表情筋はうまく動いてくれなかった。せめてと頷こうとするが、彼女から目を離したくなかったのでそれも叶わなかった。これでは何も伝わらない。早く何か言わなければ。気が急いて言葉も出てこない。
 手を伸ばしたのは、それでも伝えたいと願ったからだ。

 細い肩に触れると、彼女が小さく声を発した。我に返って自分の握力を思い出し、慌てて手を離す。背中を汗が伝う感触に、そういえば日中は随分と汗をかいたのだと思い出す。彼女の香りは果実のように魅力的だが、自分の匂いはきっと彼女を不快にさせてしまう。大きく空けた距離を、彼女は軽やかに飛んできた。
 胸にぶつかった重みがそれでも怖いほど軽くて、痛みを与えないよう注意しつつ慎重にその肩に手を置いてみる。背中に回された手の平が、湿ったシャツをきつく握った。淡い色の髪が鼻先でふわりと揺れて、夏の匂いと彼女の匂いが交じり合って肺を満たす。何故か鼻の奥がつんと痛んだ。たまらなくなって華奢な体を力いっぱい抱き締めようとして、寸前で自制する。そっと優しく、ゆっくりと彼女の背を両手で包んだ。

 時間は止まらないが、きっとこの瞬間は死ぬまで消えない。
 それは夏の夕暮れだった。