まだ夕暮れではなかったが、日は傾き始めていた。そんな時間に、葉佩はいつもの屋上にいた。少し遅い昼食の為ではない。新作のおやつを披露する為でもない。
隣には、いつものように皆守がいる。でも、もう、葉佩はいつものようには笑えなかった。唇を噛み締めたまま、何も言えずにただそこに立っていた。夢のようなゆるやかな記憶が、やさしく空へと消えてゆく。
自分が愚かだったのだと、知らない訳ではないと思っていた。しかし自分で思っていた以上に、葉佩はずっと愚かだった。
皆守が微笑んだ。白々しいと、心で呟く。握り締めた拳が、小さく音を立てた。それにも気付かず、皆守は語る。まるで全ての憂いから解放されたかのように、晴れやかに。
ぶん殴ってやろうと、直前まで思っていた。言葉にならぬ全てをこめて、拳をその顔面に叩きつけてやろうと。
うすく笑んだまま、皆守が語る。葉佩を肯定するような、まるで称えているかのような、空虚な言葉を。
深く傷付く。皆守はそう言った。事実、皆守は傷付いた。親しい人の死に、その死に関わった事で、取り返しのつかないほどの傷を負った。お前もそうだろうと、やけに穏やかな瞳が葉佩を見詰める。葉佩はその瞳を見返せない。目をそらしたまま、葉佩は口にした。
「お前が殺さなければ、今頃は、その人も」
生き返っていたかも知れない。と言えずに、葉佩は口を閉じた。皆守は微笑んだまま、瞳に空を映した。それがまるで空洞のように見えて、葉佩は言葉を失った。
後悔ばかりが押し寄せる。葉佩は《宝探し屋》で、それが誇りだと疑いもしなかった。誰も知らない場所でひそやかに眠る真実を、他の誰よりも早く理解する。それだけが望みだった。かつては、それだけだった。それだけで満足できたのに。
葉佩と呼ぶ声があまりにも甘くて、そのように感じる自分が信じられなくなる。その声に呼ばれるだけで、心が喜ぶのだ。望んでいないと何度も言い聞かせたが、心はやはり救いようもないほどに喜んでいた。「葉佩」と繰り返すその喉を、引き裂いてしまいたい。
「お前だけだ」
「そうかな?」
「ああ、お前だけだ」
「そうでもないんじゃない?」
「いや、お前だけだ」
「それはさ、きっとお前がそう思い込んでるだけだよ」
いくら否定の言葉を重ねてみても、反論にはならない。何故なら、皆守が発するのは理論ではないから。狂っているのだと、漠然と思う。彼も、自分も。
何もかも投げ出してしまおうかと、できもしない空想を浮かべながら皆守を見る。皆守はまだ微笑んでいた。ありったけの心すら、彼には届かない。
「葉佩」
涙が出そうになって、奥歯を食い縛る。声を出したら間違いなく震えているだろうと思うと、何も言えない。もしこのまま黙っていたら、きっと皆守は酷い事を言うに決まっている。葉佩がこっそり抱いていたささやかな誇りすら、無造作に踏みにじる。
「葉佩、俺を許すなよ」
皮製のグローブが、きりと小さく鳴った。
あの人を殺したのは俺だ。それが俺の罪だ。それを断罪できるのは、お前ではない。俺を許すのは、あの人だけだ。でも、あの人はもういない。俺が殺してしまったから。
だから、と続ける声が聞こえなくなった。自分が声を発したのだと、少しの間をおいて認識する。
「でもそれって、お前が楽だから、だろ?」
予想していた事だが、声は無様に震えていた。心はもっと無様に打ち震えていた。自分には関係のない事件が、ここまで自分を追い詰めるとは、なんという理不尽だ。怒りすら覚えた。
皆守の罪悪感をやわらげる為に、その業の一端を背負う。ふざけるなと冷笑して、立ち去ってしまえばいい。それで全ては完結する。しかしそんな簡単な動作すら、今の葉佩には困難だった。声すら思うように出せない。涙が邪魔で彼の顔も見えない。でも、これをこぼす事は許されない。曇った視界のまま、葉佩は固く唇を引き結んだ。
お前だけなんだ、俺を許さないと言えるのは。本当に言える人は、もう死んでしまったから。
許さないでくれ。他には何もいらないから、俺が死ぬまで、お前だけは、どうか。
「そうしたら、お前は救われるの?」
「救われない為に」
「でも俺は、お前を救いたかった、今も」
お前の罪悪感なんて知らない。お前が救われるかどうかも、本当はどうでもいい。涙をこらえていたので、それは言葉にはならなかった。
泣いてはいけない。声を出してもいけない。それらは心のかけらである。発すれば、心は減る。それは思考や想像ではなく、葉佩にとっての事実だった。だから、泣けない。恐怖のように、葉佩はそう信じていた。
葉佩は自分が愚かだったと知っていたが、自分で思っていたよりもはるかに愚かだった。
ただ彼に愛されたかっただけだなんて、今更どうして伝えられよう。
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