久し振りに生徒会室に顔を出すと、阿門は少しだけ唇の端を歪めて(笑ったのかも知れないが、たぶん違うだろう)、また来たのか、とささやくような音量で言った。悪いか、と問いではないアクセントでそれに返すと、阿門は「良い事ではない」と、やはり吐息のように言った。
阿門が何やら机に向かっている横で、ソファの座り心地を確かめて、最適なポジションを模索するのに腐心する。ようやく落ち着いて目を閉じたところに、阿門がふと呟いた。独り言だと思ったが、目を閉じたまま耳を澄ます。
まだ、待っているのか。
独り言ではなく問いであると、気付きはしたが気付かぬふりで、耳を澄ましたまま耳をふさいだ。彼の声は沈黙とよく似ている。深く眠りを誘う声は、穏やかでほの暗く、死の淵から響いているような心地がした。それが、密かに好きだった。
返らない答えに何事かを求めるでもなく、阿門は言葉など初めから存在していなかったかのように沈黙を続けた。
俺はもうすぐいなくなる。
そうしたら、お前はどうするのだ。
いつまでもここいいるのか。
あの男を、待ち続けるのか。
春の雨のようにやさしく、音もなく、声が降りそそぐ。雨音に聞き入るようにそれに聞き入る。
以前は毎夜のように見ていた悪夢を、最近はあまり見ない。知らぬ間に旅立った友人が、ついでに持ち去ってくれたのだ。彼は今、どうしているのだろう。相変わらずでいるといい。こっそり微笑んだ頬に、やさしい雨が降りそそぐ。
ふと、細雨に雹が混じった。なまぬるく濡れた頬に、硬い欠片がぶつかった。名を呼ばれたのだと、少しの間をあけて理解する。そういえば自分にも名前があったのだと、遠い記憶のように思い出す。
お前は、まだ
続く言葉はなく、部屋は騒音で満たされた。耳鳴りのような、悲鳴のような、気味の悪い騒音に耐えかねて、顔を上げる。
夜明けの空のような色の瞳が、ひたりとこちらを見据えていた。さわがしい。頭痛がする。これでは眠れない。銃声でも爆音でもいいから、静寂を。
何も言わずに呆然と青い瞳を見つめていたら、幕が下りるようにその目が伏せられた。後悔のような、悲哀のような、慈愛のような、望郷のような、断絶だった。終わったのだと、訳も分からずそう思った。
後悔などあまりにも無意味で、悲哀など自己満足でしかなく、慈愛などというものはそもそもが幻想で、望むべき郷など初めから存在しない。それを認識すれば、すなわち断絶しかあり得ない。ここに、居場所はない。それが少しだけ寂しくて、諦めるのは少しだけ、ほんの少しだけ苦しかった。
すまなかったと、瞳は伏せたまま阿門が言った。小さな痛みは、それで霧散した。お前は何も悪くない。本心から、そう応えた。阿門はわずかに瞳を上げて、それでは俺の気が済まない、とあふれてこぼれたような声で言った。
心地よいソファから立ち上がって、机に歩み寄り、手を伸ばして阿門の髪に触れる。真冬の朝の霜のようだと、他愛ない事を思った。あの日も、冬だった。
老木の幹のような皮膚を、指の腹で撫でる。あの頃にはなかった皺が、柔らかく指をくすぐった。そうか、こんなにも永い間、と口に出そうとして、やめた。それを知らなかった自分が、あまりにも愚かしくて、恥ずかしくなった。自分の手だけが、止まったままだ。
自分だけが、あの頃のまま。
それが阿門を苦しめているのだと、ようやく理解した。
そうか、ともにゆく事は、叶わなかったのか。
やっと後悔して、皆守は朝が来る前に待つのをやめた。
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