1.初めての始まり

 命ですらないものが闇の奥でうごめくこの空間で、彼は不自然なほどに自然だった。まるでここが故郷であるかのように。
 この人はもう正常な生物ではないのだと確信して、葉佩はそれを少しだけ寂しく思った。




2.火

 カチリと音がして、小さな火が彼の頬を映した。一呼吸の間をおいて、甘い香りが鼻腔に届く。
 いっそ燃え尽きてしまえと、葉佩は銃を握り締めて思う。彼も、自分も。




3.指先

 ここのやつだけ何か違うぞ。そう言って、白い指先が破損した女神の像を撫でた。不用意に触るなと言うより先に、葉佩はその指先に見蕩れた。
 同時に、強く空腹を覚えた。自分が飢えているのだと、葉佩は今まで知らなかったのだ。




4.鉄格子越し

 浮遊する化人をよく見ると、腹の辺りに格子があると気付いた。無数のおぞましい小人がその中でうごめき、まるで無実の罪人のように外へと手を伸ばしている。
 もしかして、あれ壊すとわらわら出てくるのかな。そう呟くと、斜め後ろで盛大に咳き込む音がした。




5.餌付け

 どうやらこの人は、カレーライスが大好きらしい。それを知って以来、葉佩はカレー作りに勤しんだ。具材を吟味し、スパイスの最適な割合を模索し、ついに到達した至高のカレーは、「まあまあだな」の一言で評された。
 地上最強のカレーを作ってやる。そう心に決めた葉佩は、そろそろこの學園に来た理由を忘れつつある。




6.茨

 棘を有した蔓性の植物を発見し、葉佩は落胆した。この植物は、花がとても美しいのだ。
 今が花の季節なら、摘んであの人にあげられたのに。野菜しか食べないあの人も、きっと花なら喜んでくれる。




7.震える目蓋

 保険医の留守を見計らって保健室に来て、無音の室内で棚を端から端へと眺めていると、何かがそのガラスに映り込んだ。青白い人の顔のように見えた。
 慌てて振り向くと、目に入ったのはいかにも済まなそうに大きな体を小さくしている友人の姿。どうやらベッドで眠っていたらしい。先に謝られてしまったので何も言えなくなってしまった。だから黙っていただけなのに、その心優しい友人は目蓋を震わせ、邪魔をして申し訳ないと言い募る。
 どうしたらいいのか分からなくて、葉佩はとりあえずその肩を抱き締めておいた。だって他にどうしろと。




8.眼球

 葉佩は反射光が好きだった。鉱物や水面のような、本来それ自体は発光しない物がきらきらと色を変えるのを見るのが、とても好きだった。
 あの黒い瞳が光ったら、さぞかし綺麗だろうと考えた。あのいつも重たそうな目蓋が上がったら、それが陽光に照らされたら、きっと素敵だろうと思った。思っただけで、どうすればいいのかは、相変わらず分からなかったのだが。




9.ブラックホール

 太陽くらい?
 もっとだよ。もっと大きな星が、自分の重さに負けて沈み込むんだ。大きければ大きいほど、質量つまり重力は増す。いつか耐え切れなくなって、自分で自分を潰しちゃうんだ。
 可哀相だね。
 星に感情なんてないよ。
 でも、あたしは悲しいよ。宇宙って、なんか寂しいね。

 彼女と話していると不意によぎるこの気持ちは、どう表現すれば伝わるのだろう。




10.合わせ鏡

 あの人の瞳に映る自分が、あの人みたいだったらいいのに。
 葉佩は優しくなりたかった。小さな痛みをすくい上げて、それに綺麗な名前をつける、あの人のようになりたかった。




11.罪

 窃盗(まあね)、器物破損(それはしょうがないだろ)、傷害致傷(殺してないからセーフだよ)、銃刀法違反(だって俺には武器が必要なんだよ)、名誉毀損(もしかしてカレーに対する?)、安眠妨害(お前が寝てない時っていつだよ)。
 指を折りながら罪状を並べられても、葉佩に罪悪感は湧いてこない。それどころか、なんだか嬉しくなってくる。何故なら、彼の声に自分を糾弾する響きは含まれていないから。
 彼の口から自分の事が語られるのは、なんだかとても嬉しい。




12.蜜の味

 大広間の二回を意味もなくうろうろしていたら、唐突に腕を掴まれて体重をかけられた。何事かと振り向けば、気まずそうに手を離して目を逸らす彼が見えた。どうやら足を踏み外しそうになったようだ。
 彼の迂闊なところを見るのは、どうしてこんなにも楽しいのだろう。




13.幸福の白旗

 寝言のような声で名を呼ばれて、尊大な態度でここに座れと言われた。説教でも始まるのかと若干わくわくしながら近付いてみたら、断りもなく大腿に頭を乗せられた。思わず変な声が出た。
 動くなと不機嫌な声で叱られながら、なんで自分はこんなにも喜んでいるのかと、葉佩は油断すると緩みそうになる口元を苦労して引き締めつつ首を傾げた。




14.汎神論

 どこかに俺の願いを叶えてくれる神様はいないもんか。
 いねぇよと心の中で呟きつつ、物欲しそうにしている彼にガムを差し出してみた。落胆するよりびっくりされて、むしろこっちがびっくりだ。そう言って笑ったら、機嫌をそこねた。
 願いを叶えてくれるのが、お前にとっての神様なのか。それは確かに信じられないだろうな。そんな事を考えつつ、頭まで毛布にくるまった後ろ姿を横目に、葉佩はカレーパンの包装を破った。




15.赤い靴

 俺はきっと、足を切り落とされても逆立ちで踊るよ。
 それは別に構わんが俺には近寄るなよ。




16.プライベート懺悔。

 正直に告白して反省すれば許されるのだと、どこかで聞いたような気がしたので、正直に告白して反省したふりをしてみた。踵落としを食らった。しかも床に落ちた頭を踏まれて、これでもかというほど蔑んだ目で見下ろされた。
 世界は欺瞞に満ちている。知ってたけど。




17.呪いのような祝福を

 おめでとう!
 …ありがとう帰れ。
 これ、誕生日プレゼント!
 いらん帰れ。
 部屋に置いとくと運気が上がるんだって!
 きもい帰れ。
 あと、夜のうちに髪が伸びるんだって!
 持って帰れ。
 好きな人の名前つけて大事にすると恋が叶うんだって!
 じゃあ葉佩と名付けてやるから早く帰れ。
 な、なんだよお前、俺が好きなのかよー!
 釘とか、なんか尖ったもん持ってないか?
 ナイフならあるよ!
 髪の毛も一本くれそして帰れ。
 髪の毛、どうすんの?
 知らないのか。
 あ、おい、何すんだよ!
 …痛くないか?
 い、痛くはない、けど?
 大した呪いじゃないようだな。
 いや、呪いじゃないよ、お祝いだよ。
 似たようなもんだろ。
 ところで、皆守の誕生日っていつ?
 今日じゃないのは確かだな。




18.手を取りあって

 目の前で八千穂がつまずいた。慌てて手を差し出そうとして、葉佩は自分の手が汚れていると気付いた。墓土と埃とカビと火薬と血と、なんかよく分からない粘液。
 差し出そうとしてためらった手に、八千穂が両手ですがりつく。掴まってごめんね、支えてくれてありがとう。彼女はそう言って笑ってくれたのに、葉佩は喉が詰まって何も言えなかった。




19.酔生夢死

 誰も知らなくていい。賞賛なんていらない。弔いすら、なくていい。誰にも知られず、ひっそりと朽ち果てるのがいい。
 俺が為した事は俺だけが知っていればいい。この記憶さえあれば、俺はきっと誇らしく死ねる。




20.難問

 将来について訊かれて、葉佩は途方に暮れた。
 自分に明日があるなんて、葉佩はその時まで想像もしていなかったのだ。




21.迷宮

 未知の道は、どうしてこうも心躍るのか。
 脳内で地図を描きながら、暗い隧道を歩く。時に這いつくばって全身を汚泥に浸し、腐敗の匂いを嗅ぎ、流水の音に耳を澄まし、毒をもった生物を靴底で踏みつけ、やがてかすかな光りを見出して狂喜する。
 産まれた瞬間はきっとこんな気持ちだったのだろうと、いつも思う。




22.もつれた糸

 シャツの袖がほつれたので繕っていたら、八千穂が背後から覗き込んで「じょうずだね!」と褒めてくれた。嬉しくて、ちょっと調子に乗って「繕い物なら俺に任せろ!」などと言っていたら、斜め後ろで欠伸する声が聞こえた。
 なんでこいつが不機嫌になるんだよ、と胸中で毒づきながら、何故か自分が悪いような気分になって、危うく詫びる言葉が出そうになった。まったくもって理不尽だ。




23.嘆きの予兆

 それは赤かった。夕焼けのように、血のように、熟れた果実のように、どこまでも赤かった。実際のところ、その赤を作り出しているのは唐辛子だと、葉佩は知っている。彼も、おそらくは知っていたのだろう。
 それでも、彼はそれがカレーライスであるという事実に抗えなかったのだ。一瞬だけ覚悟を決めるように眼差しをきつくして、彼はそれを口に入れた。
 その後の事は、想像してくれ。




24.同床異夢

 やけに甘ったるい夢を見ていたような気がするが、思い出せない。そんな事をぼんやり思いながら目を開けると、友人が同じベッドで寝ていた。寝惚けた頭に、その事実がゆっくりと染み込んでくる。じわじわと音量を増す心音を聞きながらも、眉間に皺を寄せる寝顔から目を離せない。
 葉佩が見た夢は漠然と柔らかく甘い匂いがしたのだが、彼の夢はどうなのだろう。




25.子守唄

 眠れないのか。
 いや、朝までぐっすりの予定だから、気にしないで。
 人が寝てる横でごそごそするな。
 き、気をつけます…
 子守唄うたってやろうか。
 いや、ほんとお構いなく。
 添い寝してやろうか?
 寝た子を起こすな。
 永眠させてやろうか?
 できるもんならやってみやがれ。

 彼は薄く笑って目を閉じた。やがて聞こえてきた寝息を数えながら、どうか明日が今日の続きであるようにと願う。それが祈りによく似ていると、葉佩はまだ気付かない。




26.透き通る飢餓

 なんだか空腹を覚えたような気がして、ポケットを探ってみた。出てきたのは、牡丹鍋と天香定食。夜食には重すぎる。そう判断して、再びポケットに仕舞う。同じようにポケットから出てきた霜降り肉もレトルトカレーも根菜も軟体動物の触手も、口にする気は起きなかった。
 餓死しそうだ。呟いたら、涙が出てきた。このままでは水分まで不足してしまう。
 どうしたらこの飢餓が満たされるのか、葉佩はこの期に及んでまだ知らなかった。




27.晩餐

 腹が減ったとどちらともなく言い出して、放課後に二人で食堂へと向かうのが、いつしか日課になっていた。
 これが最後かも知れない。明確な根拠もなく、漫然と、葉佩は毎回そんな事ばかり考えていた。




28.ウロボロス

 心地好い疲労に包まれながら、仮のねぐらへと急ぐ。まだ紺色の東の空は、来たる朝を遠ざけている。
 ふと視界の端に入ったのは、ゆらゆらと踊る黒い影。通過させた視線を戻し、影を視界の中心に入れる。

 こちらに気付いて薄く笑い、眠れないんだと影がささやく。昼寝のしすぎではないか、と言ってみたら、それもそうだなと影はあっさり頷いた。夢の中にいるように、ゆるやかにその肩が揺れる。奔放な毛先がふわりと月影に舞う。

 夜に眠れないから、昼に眠くなるのだろうか。それとも昼寝をするから、夜に眠れないのか。
 どちらにしろ、薄気味悪いから深夜の散歩はやめて欲しい。しかしそれを口にしたら、こんな彼の姿をふと目にする機会も失ってしまうかも知れない。そう思うと、なんだか惜しい気がしてくるから不思議だ。




29.殺し文句

 見切れるか、だと?
 随分と自信満々じゃねぇの。上等だ、俺を誰だと思ってやがる。自慢のその脚へし折って引き千切って今夜のオカズにしてやるよ。あ、オカズって変な意味じゃないからね。うん、分かってるんならいいけどさ。
 さて、始めようか。お前こそ、俺の動きが見切れるのかよ?




30.最後の最期

 そんな顔、初めて見た。




猟奇リリカルな30のお題