「うーん、来ないなー」
「ますます警戒しちゃってるわね」
「力ずくで捕まえるか?」
「簡単に言うな。相手は龍麻だぞ」
「つっても所詮は餓鬼だろ?」
「あ、おい待て京一!」

赤毛が動いた。まるで闘う事など意識していないような、雑にすら見える不思議な足運びだ。体格差は否めない。狙うのは足元か。間合いに立ち入ったら、まずは発剄で砕く。
 爪先が俺の間合いに入る一瞬前に、その足がふと止まった。

「うわすげぇ、ビリビリくる」
「京一のばかー!思いっきり警戒してるじゃないかー!」
「龍麻、怖がらないで」
「京一、戻れ。怖がられてるぞお前」
「うっそ、ひーちゃんに怖がられるとか、楽しすぎる」
「楽しんでる場合か!」
「困ったわねぇ」

髪の長い女が溜息をついた。攻めあぐねているのだろうか。他の奴らは殺すが、あの女だけは生かしてもいい。どこか俺の知らない場所で、生きていて欲しいと思った。赤毛は殺す。なんとなく気に入らないから。心に決めて、走り出す。
 二歩目で赤毛が察した。奴の間合いに入る直前に、上体を低く倒して速度を上げる。耳の横を通過していった木刀は気にせず、がら空きの脇腹に発剄を叩き込んだ。しかし手応えはなく、赤毛が跳びすさって衝撃を逃がしたのだと悟る。発した剄も、奴の氣にほとんど相殺されたようだ。
 剄とは、刀を強く真直ぐに通す、という意味だ。刃はこの身だ。薄汚れた矜持など、首から断ち切ってやる。
 赤毛が唇を歪めた。瞳の奥が高温を発しているのが分かる。心が沸き立つ。空洞に、忌々しいあの黄金ではないものが満ちてゆくような気がした。
 デカいのが立ち方を変えた。弓の女が表情を変えた。髪の長い女は、悲しそうに眉根を寄せている。どうしてそんな顔をするのだろう。悲しませているのは誰だ。お前を悲しませる奴は、俺が一人残らず殺してやる。だからそんな顔をするな。

「この餓鬼、殺る気で来たぜ」
「待って京一くん、きっと怯えてるのよ」
「ああ、まあそーなんだろうな」
「龍麻、ねえ落ち着いて、怖くないのよ」
「って言ってる横で、物凄く怖い顔してる人がいるんだけど」
「おい小蒔、それって俺の事じゃねぇよな」
「他に誰がいると思ってんのさ」
「京一、お前はちょっと下がってろ」
「心臓ぶち抜かれそうになって、黙ってろって?」
「子供相手に何を言ってるんだお前は」
「美里、どいてろ。俺がやる」
「やるなって言ってんだろ!」
「じゃあどーしろってんだよ!ほっといて帰るのか?」

赤毛が俺から目を逸らした。ためらう理由はない。一息で走り込み、首を狙って手刀を突き出す。間に滑り込んだ木刀の刀背が、灼熱のような氣を発してそれを叩き落した。ほぼ同時に、腹に重たい衝撃を受けた。奴の爪先が水月を打ったのだと、少し遅れて認識する。髪の長い女が悲鳴のような声で叫んだ。喚くな、こんなの痛くない。
 地を蹴り、手の平に氣を集める。デカいのが舌を打ち、弓の奴が距離を取った。腹の底で何かが渦巻く。

「来いよ、俺が相手だ」

集めた氣を、更に練り上げる。もっと鋭く、もっと強く、あいつを貫けるぐらいに。
 木刀が振り下ろされた。刃となって眼前に迫った剣氣を、同質の氣で押し潰す。拳の熱は、まだほどかない。握り締めたまま走り、剣風をかいくぐって突き刺す場所を探す。目を凝らし、耳を澄まし、全身であいつの氣を感じる。
 清らかな剣氣が辺りに満ちて、まるで陽の氣に包まれているような気分になった。逆らわず、自分を溶かし込むように解放する。隙はまだ見つからない。そうか、こいつもずっと自分を削っていたのか。鋭く尖って、一振りの刃になる為に。












 真横から膨大な氣がぶつかってきた。同時に鋭い女の声も、高らかに貫くような強さで。

「いい加減にしなさい!二人とも!」
「な、なんで俺まで」
「こんな小さい子になんて事するの!」
「いや、ちーせーけど、これひーちゃん」
「龍麻!あなたもよ!」
「!?」
「みんなが困ってるのが分からないの?」
「お、おい美里」
「いい子だから、一緒に戻りましょう」

 黄龍の氣を、相殺どころではなく打ち消した。たしかに俺の許容量では、龍脈に流れる氣のほんの一部しか使えない。とはいえ、並みの人間では認識する暇もなく蒸発している威力だ。なんだこの女。しかも、なんで赤毛は俺の陰に隠れようとしているんだ。表面積を引き合いに出すまでもなく無理だろう。そんなに怖い奴なのかこの女は。もしかしてこいつが「ひーちゃん」か。などと呆気に取られつつ考えていたら、一緒に吹き飛ばされた赤毛が俺に向かって「ひーちゃん」と呼びかけた。まさか、俺なのか?

「大人しく聞いとけ、これ以上怒らせるとめんどくせぇ」
「そうそう、葵って怒らせると怖いんだよ」
「まあ、今まさにそれを目の当たりにした訳だが」
「まったく、どうして貴方たちはそうやってすぐに」
「あーほら、説教が始まった」
「聞いてるの!二人とも!」
「わーったよ!悪かったって、ほら」

と言って、赤毛が俺に手の平を差し出した。何もない、空の無骨な手だ。差し出されたまま動かない手が何を意味するのか判じかねて、疑問を含んで赤毛を見上げる。害意は感じられないが、では俺は何を求められているのだろう。肉刺だらけの手をじっと見詰めて考えていたら、その手が俺の腕を掴んだ。咄嗟に弾き返してしまってから、俺はその行動が間違いだったと気づいた。
 赤毛が少しだけ唇を曲げて、小さく舌を打つ。たった今まで俺に差し出されていた手は、無造作にポケットに入れられた。心臓が引き絞られたように痛い。何か重大な物を失ってしまったような気持ちになる。
 デカいのが笑いながら赤毛の肩を叩く。鬱陶しげに振り払う手は、ほんの数秒前には俺に向かって差し出されていたのに。

「嫌われたな、京一」
「るせぇ」
「ほら、ひーちゃん」
「一緒に帰りましょう」

髪の長い女が、たおやかな手を差し出す。しかし俺はどうするのが正解なのか分からない。じっと様子を窺っていたら、白い手がゆっくりと俺の肩に近づいた。躱すのも振り払うのも不可能ではないが、その動作を誘っているのだとしたら危険だ。こいつらの能力は、俺を遥かに凌駕している。どんな死線をくぐり抜けて、奴らはここに立っているのだろう。
 もしかしたらこの行動は無駄なのかも知れない。俺では絶対に勝てないのかも知れない。脳の片隅でちらりとそんな事を思ったが、抵抗を諦めるのは無理だった。全力で、差し伸べられた手を振り払う。同時に地を蹴って距離を取る。赤毛がうんざりした顔で溜息をついた。

「餓鬼だと思って手加減してりゃあいい気になりやがって」
「お前がいつ手加減した」
「思いっきり本気だったよね」
「うるせぇ!」
「困ったわねぇ」
「とにかく、穏便にってのは無理だろ」
「でも京一くん」
「俺が仕掛けたら、お前ら挟み込め」

どうやら連携しようという魂胆らしい。単独ならば防げたが、これはまずい。活路を探して視線を走らせた瞬間、赤毛が跳んできた。同時に俺も地を蹴る。降りかかる斬撃を掻い潜り、チラチラと誘うように見え隠れする間隙を目指して走る。