皆守がその部屋に駆け込んだ時には、葉佩はもう動かなくなっていた。勝者である喪部が、珍しく息を切らせた皆守をちらりと一瞥して、きびすを返す。
 赤い床に倒れ伏して動かない葉佩が小さな声でうめいたのを聞いたような気がしたのだが、それを確認するより皆守は走り出した。しかし喪部に辿り着くより早く、黒い防具の男たちが立ちはだかる。首と胴体の接続部位を爪先で強打するだけで、男たちは床に倒れた。生きているかどうかは、皆守にも分からない。
 歩き出していた喪部が、足を止めて振り向いた。

「成る程、キミがこの部屋の主か」
「だったらどうした」
「守るべきものを放り出して、何をしていたんだい?」
「お前には関係ない」
「ああ、彼に知られたくなかったのかな?」
「どうでもいい」

 今度こそ、はっきりと葉佩が声を発したのが聞こえた。彼が生きている。たったそれだけで、皆守は脱力するほど安堵した。危うく涙ぐみそうになって、慌てて奥歯を噛み締める。
 それを見透かしているのか、あるいは見出すほどの興味もないのか、喪部は薄笑いを浮かべたまま皆守を見ている。

「よかったね、生きてるみたいだよ」
「当たり前だろ」
「そうか、これが恋は盲目ってやつか」
「頭だいじょぶか?」
「《宝探し屋》に恋をするなんて、可哀相に」
「言ってて疑問を感じないか?」

 冷めた目で言いつつ、皆守は自分の心臓の音を聞いていた。ひどくゆっくり脈打っているように感じるのは、錯覚だ。時間が伸縮する事を証明した学者がいたらしいが、皆守にそんな理論は必要ない。心臓がひとつ脈打つ時間に、どれだけの事ができるのか、それが問題だ。伸縮しているのは、時間ではない。自分自身だ。
 自分がどう在るか、それだけが問題だ。

「ボクらは《宝探し屋》だ」
「らしいな」
「彼は負けて、ボクが勝った」
「見れば分かる」
「賤しい墓守の分際で、ボクに挑もうとでも?」
「いや、挑むつもりはない」

 本心からそう言って、皆守は炎を呼んだ。挑むのではない。そんな心はどこにもない。この身体のどこにも、心など。
 黒い砂が、まだこの身の内にある。捧げた秘宝も、神の贋物も、まだここにある。喪部が片目を見開いた。髪に隠された方の目は、どうなっているのか分からない。

「ここが墓だと、本気で思ってるのか?」
「違うのかい?」
「ふん、葉佩より鈍いなお前」
「それは心外だ」

 炎の魔神が咆哮を上げた。産まれ落ちては母を焼き殺し、父に憎まれて殺された子供。憐れな迦具土は、産まれた事が罪なのだ。胎児が踊るのは、母親の心が分かって恐ろしいからか。
 心が一色に塗りつぶされるのを、恍惚として受け入れる。

 喪部が銃を構えた。そんな物で、この狂った炎を砕けるとでも思っているのか。ふたりの男を同時に嘲り、皆守は地を蹴った。呼応するように、迦具土が慟哭のような声を発する。
 燃やし尽くしてやる、俺を殺したこの世界の全て。












 それは戦闘ではなかった。虐殺でもない。罪を犯した者が、罰を受けた。それだけの事だ。

 異形のものに成り果てた男が、膝を付いて血と怨嗟を吐き出した。苦悶に顔を歪ませながらも、喪部は毅然と瞳を上げる。その誇り高い所作に、皆守は思わず目を細めた。そうだ、これは正義ではない。間違えてはいけない。これは、罪を隠蔽する卑劣な行為だ。本当に誇り高いのは、彼らのように恐れぬ者だ。今は伏したふたりの男のように。

 鬼の血を引く男が、憎悪に光る瞳で皆守を見た。
 鬼とは隠、見えぬ事。在るのに見出されなかったもの。しかし確かに在るのだから、その呼称こそが欺瞞の証明だ。この世は偽りに満ちている。世界を憎む鬼が、本当の罪人は誰かと無音で詰問する。皆守は答えを持っていない。

「殺せよ」
「どうして」
「キミの勝ちだって言ってるんだ」
「俺は勝ってない」
「ああ、勝負ですらなかったと?」
「そうだ、お前は裁かれただけだ」
「笑わせるな、略奪者が」
「早くここから出て行け、俺は追わない」
「憐れだね」
「殴るぞ」

 せめてもの矜持でそう言ってはみたが、否定できないのが分かっているのでどうしようもない。自分が非力だと嘆くのも、あまりに無意味なので最近はしていない。していないが、心の中ではずっと嘆いていた。それこそ無意味なのだが。

 喪部が闇に吸い込まれるように姿を消しても、皆守はしばらく立ちすくんでいた。実のところ座り込んで泣きわめきたかったのだが、そうもできない理由がすぐそこで寝転んでいる。
 葉佩が寝ている所までゆっくり歩いて行って、爪先で軽く突付いてみた。小さくうめいて身じろいだのを確かめて、そっと傍らに膝を付く。

「おい、生きてるか?」
「・・・残念ながら」
「動けるか?」
「たぶん、内臓、やられてる」
「立てるか?」
「あいつは?」
「逃げた」
「どこに?」
「そんなの俺が知るかよ」
「皆守」
「なんだよ」
「ごめん」

 葉佩が泣いているのだと気付いて、顔を覗き込むのはやめた。本当は見たかったのだが、葉佩は見られたくないだろうと考えての事だ。誰かが自分の為に泣いているところを一度でいいから見てみたかったのだが、仕方ないので皆守は我慢した。

「負けたんだ、俺」
「そうだな」
「で、皆守が勝った」
「まあ、そうなるな」
「ごめん」
「何がだ」
「まもれなくて」

 今度こそ、やり過ごすのに相当な労力を要する衝動が皆守を襲った。怒りにも似て、悔恨のようでもあり、慙悸とも近いが、悲哀じみてもいる。恐慌の少し手前でどうにか踏みとどまり、葉佩の涙が落ちるのをじっと見詰めた。
 誰に謗られようと、詰られようと、憐憫を受けようと、皆守はなんとも感じなかった。精神はすでに混沌としていて、世界と自分の区切りも判然としない。魂すらも差し出して、ほんのわずかに残った自我も、砕けて溶けて失くなった。
 そんな混濁した世界に、ただひとつ、清らかなものがあった。

 この男だけには、知られたくなかった。

 その清らかなものは、そんな願いでできていた。
 それだけ叶えば、あとはもう何もいらなかったのに。