明かりの少ない遺跡だった。堅牢なる石の壁は分厚くて、陽光の一筋すら排除している。明確な拒絶を感じはしたが、しかしそれが探索を断念する理由になるはずもなく、むしろ葉佩は大いに奮い立った。
斜め後ろでは、相変わらずやる気の欠片も見せずに皆守が大きな欠伸をしている。だが、見せないだけでやる気がない訳ではないのだと、少なくとも葉佩は信じていた。その秘されたやる気が、いつ発動するのかは分からないが。
かつての盗掘屋が爆破したとおぼしき穴から遺跡に這入って、5時間ほどが経過した。皆守はすでにゆらゆらし始めている。独り言も少なくなった。葉佩が立ち止まるたび、皆守の機嫌が傾いてゆくのが察せられた。察せられたが、葉佩はもう何度目か立ち止まり、熟考の姿勢をとった。こちらももう何度目か、皆守が欠伸をする。
「今度はなんだ?」
「ん、これ、文字かも」
「ほお」
「あ、やっぱ違うかなぁ」
「眠くなってきた」
「寝ないでね」
「約束はできないな」
「約束はしなくていいから、寝るなよ」
「どうせお前と約束なんかしても無意味だ」
「そうだねー」
上の空で相槌を打つと、何故か背後から蹴りを入れられた。前傾していた葉佩の額が、壁と衝突して鈍い音を立てる。暗視ゴーグルを額ではなく首にかけておいてよかった、と考えてから、どうして蹴られたのだろうという疑問が浮上して、しかしそれも一瞬で流れ去り、すぐに意識は壁の装飾とも文字とも判ぜられない曲線に引き寄せられた。背後で舌打ちの音がしたが、それすらも雑音として意識の深奥に沈んでゆく。
左手のライトで眼下を照らし、曲線に誘われるままくねった道を夢中で進んでいると、不意に線が途切れた。夢から覚めたような心地で顔を上げ、周囲を見渡す。皆守が小さく鼻を鳴らした。
「流れてるな」
「うん、北西から、南東に」
「二つある」
「でも暗いよ」
「深いからな」
交わす短い言葉は何事かを伝える為ではなく、ただ思考の断片を声にしただけの無為なものだった。空気が流れている。外に繋がっている部位が、二箇所ある。しかし陽光は差し込まないほど、ここは深い場所である。二人が同時に認識した事実を、二人が同時に口にした。それだけだ。
途切れた線を丁寧に照らし、やがて葉佩は得心した。これは壁ではない。扉だ。
「開くのか?」
「開けるんだよ」
「あ、こんな所にHGが」
「お前さ、そのなんでも壊して解決しようとするのやめない?」
「本当に壊したいものは、まだ壊せない」
「なにそのちょっと怖い告白!」
「早く壊れろ」
「それって、もしかして俺だったりする?」
「そういうのを自意識過剰というんだ」
「うわあ殴りたい」
背後から声がかかる。気安くそれに応える。いつから当たり前になったのだろう。闇の奥で、葉佩は一人ではない。それがどのような意味を有するのか、葉佩はまだ知らない。きっと、知らぬまま死ぬのだろう。葉佩はそう信じていた。
よく見れば曲線は左右対称で描かれており、やがて一点に集約されているのが分かった。その一点に、大きな緋色の鳥の顔がある。曲線は翼で、壁は空だったのだ。影さえ落ちぬ地の底で、あざやかに大空を飛翔する鳥が、扉を守っている。
なんて美しいのだろうと、葉佩は知らず息を呑んだ。冷たい石の壁に触れながら、まぶしく晴れ渡った空を思う。左右の目の色が違うのは、月と太陽を表しているのだろうか。穿たれた銅青は、驚くほど正確に夜空の星を再現していた。
ここには全てがある。そう呟くと、眠たげな声が返った。
「まがい物だけどな」
「同じものがあるんなら、本物なんて必要ないよ」
「じゃあ今日からお前の飯は食品サンプルでいいな」
「そういう話じゃない!」
「だいたいそういう事だろう」
「お前、変わったよね」
「そうか?」
「昔はもっと詩的な奴だったよ」
「お前が俺を変えたんだ」
「人の所為にすんな!」
葉佩がそう言って振り向くより早く、皆守は気だるげに見えるのに素早いという不思議な足捌きで背を向けた。ぼんやりしているようで隙のない彼の背中を見るのは、もう何度目だろう。癪に障るほど長い脚が、ゆったりと床を踏んで音もなく攻撃の意思を含んだ。
少し遅れて、葉佩も銃を手にする。一人だったら、もっと早く気付いていただろう。
葉佩が発砲すると同時に、皆守が床を蹴った。人の頭を持った巨大な鳥が、弾丸に貫かれて甲高い声を上げる。おぞましい外見に反して、春鳥のさえずりのような声だった。茫洋とした瞳が、ぎろりと葉佩を睨む。その視線を遮るように、皆守が走り込んだ。勢いを殺さず、右脚を軸にして左足を振り抜く。
間違いなく胴体と頭の接続部分を強打されたにもかかわらず、人面鳥身の異形は揺らぎもせず、鋭い爪と石の床をこすり合わせた。皆守が舌を打つ。
「堅いな」
「俺の方がかたいよ!」
「どこが?」
「何を言わせたいのお前は」
「むしろお前が何を言いたいのか分からん」
「俺の方がかたいよって言いたい」
「だから何が」
「ナニって、お前、いきなり何を言い出すんだよ」
皆守が額を押さえたのを横目に、葉佩がトリガーを絞る。
この生命によく似た異形のものは、通常の生物とは別に急所を持っている。それがどこなのか、実際に当ててみなければ分からないのだ。眉間、腹、脚部は外した、翼、首、1発ずつ。リロードして、再び脚部にぶち込む。耳障りな悲鳴が上がった。
葉佩がそれを口にするまでもなく、皆守が走った。そこに到達すると同時に右脚を折り、上体を深く沈める。
爪先がゆるやかな弧を描き、グロテスクな鳥の脚にぶち当たった。化鳥が喉から空気を搾り出す。細い気管を通った空気が声帯を震わせて、人間の可聴域ぎりぎりの高音を発した。それを間近で聞いた皆守が、さも不愉快そうに眉をしかめる。
「おい葉佩、早くしろ」
「分かってるよ」
とどめを刺すのは、葉佩の役目だ。約束した訳ではない。いつからか、葉佩はそう決めていた。優しい彼が、もう何も傷つけなくて済むように。その代わり、皆守は身を挺して葉佩を守る。そういう事なのだと、漠然と思っていた。彼は守り、自分は殺す。本当は守ってもらわなくてもいいなんて、思っていても口には出さない。
鳥が完全に消滅するのを待たずに、葉佩は再び扉に向きなおった。「敵影消滅」と、少ししてからH.A.N.Tが告げた。そうしてから、やっと皆守がこちらに視線を向けたのを気配で察する。
化鳥の消滅と同時に扉が開錠されたのを確認し、扉に手をかけた。背後で皆守が、寝言のような声で呟いた。
「やっぱり、墓か」
「死んだら空に行くって、誰が言い始めたんだろう」
「知るか」
「鳥に運んでもらうとか、よく考えたよね」
「どうでもいい」
「日本では、死後の国は地下だよね」
「そうか?」
「根の国」
「ふうん」
「でも神様は、高天原にいる」
「なんか高い所っぽいな」
「上から見下ろしたい願望は、万国共通だよね」
「なんとかと煙ってやつか」
気のない返事は、特に葉佩の必要とするものではなかった。しかし皆守は、興味もないのに律儀に相槌を打つ。カチリと音がして花の香りが鼻腔をくすぐっても、気が散らなくなったのはいつからだろう。
棺には、土塊と化した墓の主が横たわっていた。かつては豪奢に見えたであろう玉石や金属の装飾も、積もった歳月に埋もれてくすんでいる。葉佩は《宝探し屋》であって盗掘屋ではないので、磨けば再び輝くであろう貴金属には目もくれず、まずは壁に貼り付いて魅力的な情報はないかと目を凝らした。
見上げれば、まがい物の星が見える。前の部屋に描かれていた空の続きだった。これほどに正確な星図があれば、年代を特定できそうだ。H.A.N.Tを開いた葉佩の横で、皆守がやはり興味なさそうに壁を眺めている。
「北極星ってどれだ?」
「たぶん、トゥバンかな」
「だからどれだよ」
「龍座のアルファ」
「これか」
「それは今の北極星、ポラリス」
「あってるじゃねぇか」
「だからあってねぇんだよ」
地球の自転軸は規則的に向きを変えるので、天極も変化する。いわゆる歳差運動だ。本気で理解していないのか、葉佩をからかっているのか(そうだと思いたい)、皆守が不機嫌そうに鼻を鳴らして視線を逸らした。彼が動くと空気も動く。花の香りがゆらりと揺れて、葉佩に疲労を自覚させる。
地下に潜ってから、9時間ほどが経過していた。
おおよその年代を割り出して、顔を上げる。細かい検証は帰ってからでいいだろう。H.A.N.Tを閉じると、皆守が「もういいのか」と言って唇の端を上げた。
「うん、だいたい分かった」
「そうか」
じゃあ帰るか。そう言って、皆守が歩き出す。
自分のものではない靴音が聞こえる。闇の中で名を呼ばれる。声を頼りに歩み寄って、並んで歩く。小さな段差でつまずくと、間髪いれずに「ばか」と笑われて、襟首を掴まれる。そんな事をしなくても転ぶほどの段差ではなかったし、引っ張られて喉が苦しいだけだ。
「カレーが食べたい」
「俺はチョコバナナが食べたい」
「じゃあ帰りは別行動で」
「あ、嘘ですごめんなさいカレーが食べたいです」
「つーか、なんでチョコバナナ」
「うわ、皆守が言うとなんかエロい!」
「幸せそうだな、お前の脳」
必要性は、まったく感じない。いなくても困らない。むしろ時々邪魔になる。
約11時間ぶりに本物の空を見上げる。まがい物ではない星が、網膜をするどく刺激した。何度かまたたいて、目蓋の裏の星を追い払う。そうしてから、少し傾いで立つ皆守を見た。皆守は何も言わず、いつもの眠たげな目で空を見ていた。
どうして彼がここにいるのだろうと、葉佩はずっと疑問に思っていた。まどろみとカレーを愛する彼に、この場所は相応しくない。カビと埃と硝煙の匂いが、花の香りと混じり合う事はない。
皆守がうすく微笑むと、花の香りがふわりと漂った。異国の風と混じったそれは、葉佩の髪を優しく撫でて、どこへともなく消えてゆく。まるで懐かしい故郷のように、それは葉佩を切なくさせる。
こんなものは必要ない。
それなのに、どうして。
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