二人が地下に潜ってから、約72時間ほどが経っていた。どこからか差し込む星明りが僅かな視界を照らしている。地上が近いのだろう。
 最奥に隠された石碑を記録し、一部を持ち帰る、というのが二人に命じられた仕事だ。往路は決してなだらかな道ではなかったが、復路は拍子抜けするほど平坦だった。危機が迫れば精神も昂ぶる。刺激が少なければ五感は鈍くなる。その例に漏れず、葉佩は往路でのはしゃぎっぷりが嘘のように淡々と復路を歩いた。

 珍しく、「休憩しよう」と言い始めたのは葉佩だった。皆守の返事も聞かず、荷物を下ろして座り込んだ。小さなチョコレートを二つに割り、片方を皆守に差し出す。それを受け取りながら、皆守はこの奇妙な《宝探し屋》という生き物の行方を案じた。

「動けないのか?」
「はい?」
「ちょっとそこ座れ」
「え、もう座ってるけど?」
「正座だ」
「え、と、説教でも始まる感じ?」

怪訝そうな顔をしつつも、葉佩が居住まいを正す。その瞬間、皆守は温存していた攻撃力の大部分を行使した。つまり、葉佩に向かって全力で踵を落とした。なんでだよ!と叫びながら、葉佩が苔むした床に身を投げる。そのまま転がって壁に頭を打ち付けて暫し沈黙し、そうしてから疑問と諦観と恐怖が入り混じった表情で皆守を見上げた。

「あの、皆守さん?」
「よし、動けるな」
「え、いや、あのね」
「少し寝るか」
「いや、でも俺あんまり眠くない」
「俺は眠い」

 まさかこんな硬いベッドで眠る日が来るとは、あの頃は想像もしなかった。その横では、諦める事に慣れすぎた《宝探し屋》が「どうして俺はこんな訳の分からん奴と一緒に仕事してんだろ」と無言で虚空に問うている。

 葉佩が寝転がったまま膝を抱えた。胎児のようだと思ったが、口には出さないでおく。
 母親の胎内の様子など、皆守は憶えていない。羊水に包まれたそこは、本当に安らぎの場所なのだろうか。意思などどこにも存在せず、ただ生かされるだけのその場所は。
 浮遊を始めた思考を止め、皆守が肩越しに振り向いた。葉佩はまだ床に転がっている。ポケットを探り、独り言にしては大きな声で呟いた。

「あ、煙草が切れそう」
「それは我慢しろ」
「えええやだぁ!ニコ切れで気ぃ狂う!」
「アロマでも吸うか?」
「甘ったりー煙なんてやだ」

そう言いながらも、葉佩は差し出されたパイプを銜えた。深く吸い、甘い香りを吐き出す。そうして不味そうな表情で一本を灰にした後も、唇でパイプを弄んでいた。上下に揺らし、いつも皆守がそうするように歯を立てる。何度かそんな動作を繰り返し、ふと皆守に視線を流した。パイプは口から離さず、「皆守食ってるみたい」と言って笑う。皆守が睨むと、視線は即座に逸らされた。

 短い眠りにつき、皆守が再び世界を認識した時、葉佩は床で自身を抱き締めるようにうずくまっていた。振り上げた足を重力と慣性に従って落とす事はせず、葉佩に接触する瞬間に制動する。ごつんと音を立てて肩に落ちてきた硬いブーツの爪先を見て、葉佩が虚ろな表情で視線を動かした。それを見下ろし、簡潔に疑問を投げる。

「痛むのか?」
「ん、もう治った」
「お前、薬やめろ」
「でも俺、これがないと死ぬ」
「自業自得だろ」
「違うよ、皆守の所為だよ」

その言葉が腑に落ちなかったので、皆守は肩に乗せたままだった足に重心を移動させた。痛いと早口で7回ほど言ってから、葉佩が漸く皆守を見る。しかし非難がましい視線を向けているばかりで口を開こうとはしない。皆守が足を床に下ろし、殊更に苛立たしげな表情を作って問う。

「なんで俺の所為なんだ」
「だって皆守が悪いよ」
「俺は悪くない」
「いーやお前が悪い」

 葉佩の体は、もう取り返しがつかないほど傷んでいた。常に疼くような痛みを発し、皮膚の上からでも確認できるほど骨が歪んでいる。どうしてそんな事になったのか、皆守が察したのは最近になってからだった。

 出会ったばかりの頃、葉佩は骨折は歩くと治るのだと主張した。
 折れた骨を固定もせずに、ただ痛みだけを取り除いて「治った」と言っていたのだ。結果、骨は歪んだまま癒合し、変形治癒や過剰仮骨形成を起こした。それが血管や内臓を圧迫し、慢性的な疼痛をもたらす。
 骨折はずれないように固定して、繋がるまでは安静にしていなければならない。《宝探し屋》でなくとも、普通その程度の知識はあるだろう。それなのに葉佩は、一切の治療行為を行わなかった。歩けば治る、カレーを食べれば治る、などと笑いながら嘯いていた。
 考えもしなかったのだろう。10年後も自分が生きているなどと。「死にたくない」なんて思う日が来るなどと。

 期せずして長らえてしまった体を、葉佩は尚も酷使していた。冷たい石の上で眠り、防御を考慮せず敵に突っ込み、怪我が治る前に次の依頼を受ける。痛みを誤魔化し、精神を昂揚させるのは、小さな瓶に入っている錠剤。彼自身の言葉どおり、これがなければ生きる事すら危ういのだろう。彼が《宝探し屋》である限り。

 葉佩が振り返った。そんな動作はもう何度も見た筈なのに、皆守はその度に自分の心臓が震える音を聞く。
 背後に誰かが立っている事を、葉佩はずっと信じていなかった。皆守が、冷静さを失った葉佩に攻撃された事も数え切れないほどある。その度に、彼は皆守を突き放そうと無駄な努力を繰り返した。時には冷徹に、時には涙を流しながら、孤独である事を頑なに望んだ。探索中に攻撃が目的ではなく振り返るようになったのは、いつからだったか。

 もう一度「お前が悪い」と言って、葉佩が横たえていた身を起こす。呼ぶ為ではなく「葉佩」と言うと、呼ばれたのではないと過たず判断した葉佩は下ろしていた荷物を担いで歩き出した。
 その背中は、皆守にとって疾うに見慣れたものだった。暗い地の底で、抜けるような空の下で、いつだって皆守はその背中を見ていた。その背中は、かつて皆守に幻を見せた。大地を寝床に、空を鏡に、情熱を糧に生きる、そんな幻を。そして、いつか見た幻は現実となった。

「葉佩」
「るせぇ。呼ぶな」
「そんなに俺が好きか」

硬い靴音がやみ、葉佩の動きが止まった。無表情で、肩越しに皆守を見る。自分に向かう視線からは敢えて目を逸らし、皆守が口元からパイプを離した。甘い煙を吐き出し、上段蹴りに適した間合いで足を止める。それを察した葉佩が、銃を抜いた。ピタリと一寸の躊躇もなく向けられた銃口に、皆守の心臓が心地好く軋む。

「そんなもんで、俺が殺せると思ってるのか?」
「殺さないよ。お前を殺すのは諦めた」
「・・・マジで?」
「なんでビックリしてんだよ」
「そうか・・・」
「なんでガッカリしてんだよ!」
「いや、俺を殺すのはお前だと思ってたから」
「ぜってぇやだよ!お前はどんだけ俺をもてあそぶ気だ!」

葉佩が発砲した。だが初めから照準など合わせていなかった銃弾は、皆守の背後の壁にめり込んだ。硝煙の匂いが辺りに満ちる。皆守はそれを深く吸い込み、目を細め、そのままの表情で葉佩を見詰めた。静かな微笑を向けられた葉佩が、獣のように唇を上げる。

「殺してなんか、やんねぇぞ」
「それは残念だ」
「・・・死にてぇの?」
「さあな、もう分からない」
「お前は、俺が死んでも生きるよね?」
「・・・さあな」

言う間にも、皆守は距離を詰めていた。手を伸ばさずに届くほどの距離まで接近し、少し低い位置にある葉佩の顔を見下ろす。先程から、皆守の胸には銃口が触れている。しかし皆守は、それが発射されない事を知っていた。恐れるのは銃弾などではない。この身を震わせるのは、そんなものではない。皆守はもう気付いていた。葉佩も、きっと知っているのだろう。その証拠に、葉佩は笑みを浮かべている。皆守の死を目前に、この男が笑える訳がない。
 息が触れるほどの距離で、皆守が嘲るような笑みを浮かべた。

「おいおい、ついに降伏か?」
「え?あれ?これって据え膳?」
「どっちが?」
「・・・腹減らない?」
「減らない」
「あ、俺、宿題やんなきゃ」
「手伝ってやるよ」
「それは俺の為にならないよ」
「お前の為なんてどうでもいい」
「えっと、あの、俺、塾がある、から」
「サボれ」
「・・・」

胸に押し当てられていた銃が、音もなく引かれる。壁と皆守に挟まれた葉佩が、笑ったまま銃口を下ろした。微笑を浮かべて見下ろす皆守から視線は外さず、銃口だけが逸らされる。至近距離で見詰め合いながら、葉佩はそれ以上の接近を拒絶した。これでも、以前と比べれば格段に距離は縮まった方だ。

「さて、そろそろ脱出しようか」
「切り替えやがったな甲斐性なしが」
「あのさぁ、お前はどうしたいの?」
「お前が生きてるなら、それでいい」
「・・・俺が死んだら?」
「さあな、その時になってみないと分からない」
「早く出よう!一刻も早く出よう!」

皆守の顎にグリップをぶつけながら、葉佩が逃げるように身を離した。皆守としても心中は勘弁して欲しいところだったので、それ以上は追わずに顎をすりつつアロマを銜えなおす。

 生きている限り欲望は尽きない。満たされぬ欲望を慰めあう相手が同じ想いでいるのなら、それは恋愛と呼ぶに相応しかったのだろう。だが皆守の持つ最も御し難く凶暴な欲望は、実にいびつな形をしていた。その自覚があるからこそ、皆守はそれを口に出す事を自身で禁じている。同じように歪んだ欲求を持つ葉佩の前では、特に。












 久し振りに仰いだ空は、まだ夜明け前だった。星明りに照らされて、葉佩が産まれなおしたように幸福そうな顔をする。それを見ながら、皆守はこの奇妙な《宝探し屋》という生き物の行方を案じた。

「湿度たけーな」
「雨季が近いんだろ」
「空気が湿ってると痛むんだよね」
「寒いと痛いんじゃないのか?」
「寒くても湿ってても風が吹いても痛い」

そんな事を訴えられても、皆守には何もできない。愚行の代償だと断ずる事もできない。この奇形児は、どうしてこんなにも長らえてしまったのだろう。
 歩き出した葉佩に、無言のまま手を伸ばした。右の上腕を掴み、力任せに引き寄せる。背中に腕を回して肩甲骨に手の平を当てると、葉佩がくすぐったそうに笑った。剥離骨折をして以来、その部位は彼の弱点の一つだ。寒くても湿っていても風が吹いても痛むというその場所に、皆守はいっそ砕くような気持ちで触れた。

「あ、それイイ」
「あ?」
「手ぇあったかくって気持ちいい」
「そうかよ」

 四肢を砕いて得たものが、こんな小さなぬくもり一つだなんて酷すぎる。しかも、この体勢のままでは歩き出せない。
 この生き物を保護する手段が自分には、或いは世界のどこにも存在しないのだと、皆守は腕の中で大人しくしている葉佩のぬくもりと息遣いを感じながら泣きたくなった。