銃声が聞こえた。葉佩にとってそれは珍しい事ではなかったが、思わず振り返ってその光景を視認した。
 発砲した本人である喪部は、何事もなかったようにお馴染みのソーコムMk23をホルスターに収め、ちらりと葉佩を見やり、すぐに視線を逸らした。葉佩が今まさに踏み入ろうとしていた遺跡に向かって歩き出す。
 《秘宝の夜明け》の内部事情など、葉佩は知らない。知らないが、足元に転がっているつい数秒前に死体となった男が、喪部に指示を出す立場であった事は知っていた。得意の慇懃無礼でそれに対応していた喪部は、つまり今となっては組織を裏切った事になる。

 なかなか大胆な事をする奴だ。葉佩は胸中でそう呟き、すでに闇へと混じり入った喪部の背中を追った。
 組織内の悶着などに興味はない。目指すはただ秘宝。葉佩にとって重要なのは、それだけだ。












 立ち入った石の回廊は、危惧(期待?)していた複雑な迷宮ではなく、なんの面白みもない一本道だった。先を歩いていた喪部にも、ほどなく追いついた。

 しばし無言で道を行き、やがて葉佩の意識が、隣を歩く喪部から壁の模様に移行した。奔放な女神が、なまめかしく誘っている。彼女はどんな謎を秘めているのだろう。何か語りかけてくれるだろうか。耳を澄まして声に耳を傾ける。その耳に、低いささやきが届いた。声の主を察し、葉佩はあからさまに舌を打った。

「邪魔すんなよ」
「そんな訳で、ボクはお尋ね者になった」
「あ、やっぱそうなんだ」
「そりゃあね、あいつは結構な出資者だからね」
「ふうん」
「前から気に入らなかったんだ」
「あちらさんは随分とお前を気に入ってたみたいだけどね」
「胸糞悪い」

吐き捨てて、喪部がさも不愉快そうに唇を歪める。意外と直情なのだろうか。それとも、ずっとこの時を待っていたのだろうか。冷たく静かに息を殺して、隙を窺っていたのだろうか。どちらの想像も彼に相応しく、またどちらも彼には似合わないと思った。つまり、葉佩にはよく分からなかった。特に興味もなかったので、追求はせずに女神との対話を再開する。
 しかし、今度は黙り込んだ喪部が気になってきた。出資者を殺害して、以前のまま組織にいられるのだろうか。死体となったあの男は、どの程度の地位を持った人間なのか。
 喪部も、《秘宝の夜明け》では軽んじられる立場ではない。むしろ命令する立場だ。少なくとも、葉佩にはそう見えた。その喪部に横柄な口調で話しかけていたところを鑑みると、かなりの上役なのだろう。そんな人を殺せば、喪部も無事ではいられないのではないか。
 そこまで考えて、葉佩はようやく思い当たった。

「あれ、ねえ、って事はさ」
「居合わせたキミも、同じ立場にあるって事さ」
「うわあ、すげぇ迷惑」
「だろうね」

悪かったよ、と小さな声でささやいて、喪部はそれきり口を噤んだ。
 二人分の靴音が、冷たく硬い回廊にこだまする。女神の声も聞こえなくなった。

 《秘宝の夜明け》に所属する喪部は、ロゼッタ協会に所属する葉佩とは敵対関係にある。表向きは、そういう事になっている。とはいえ、裏では愛し合っているとか、そういう事でもない。ただ、所属する組織が敵対しているからといって、個人的にも憎み合う必要はない。商売敵でも、現場で顔を合わせれば挨拶ぐらいする。何度も挨拶をしていれば、雑談ぐらいする。空き時間にポーカーぐらいする。つまりはそういう事だ。
 喪部としても、葉佩になんらかの、たとえば嫌悪だとか、急所を撃たれて斬られた恨みだとか、そういう感情は持っていないだろう。たぶん。葉佩は喪部が好きでも嫌いでもなかったし、喪部もそれは同じだった。互いが死んだら、きっと一晩だけ悼んで、朝になったら忘れているだろう。その程度だ。
 要するに、葉佩は不本意な急接近に戸惑っていた。しかも死を意識すると、なんだか自分は意外と彼が好きだったような気がしてくるから不思議だ。

「ねえ喪部、口裏あわせてあげようか?」
「なんだって?」
「事故死とか、不可抗力とか、そういう証言、いらない?」
「必要ない」
「そっか?」
「あいつはマフィアだ」
「わお♪」
「なんだいそのツノで刺したくなるようなリアクション」
「ツノで刺すって愛情表現じゃないの?」
「だから、奴らにとっては死んだという事実だけが重要なのさ」
「ああ、死因はどうでもいいのか」
「そういう事」

 わざとじゃないんだ。そんな言い訳は通用しない。そこに誰のどんな意思があろうとも、たとえ救おうとした者がいても、死亡という事実にはなんら影響を及ぼさない。彼らにとって重要なのは、あの男の死。他者の同量の血だけが、それをあがなう。情ではなく、掟の鎖が彼らの絆。葉佩には理解できない理屈だ。

 ふと浮かんだのは、今ではM+M機関に所属する、かつての級友だった。常に思っているのではなく、こんな感情の空白地帯に、あの男の残像がするりと入り込んでくるのだ。眠りに落ちる寸前や、激しい戦闘の直後、こんな刺激の少ない回廊でも、その現象は現れる。魅力的な謎を前にすればそんな残像は跡形もなく消し飛ぶのだが、どうにも落ち着かなくて不快だった。

「皆守、どうしてるかな」
「ミキは本当に皆守が好きだね」
「は、え、いや、別に、好きじゃない、けど?」
「はあ?」
「え、だって、皆守だよ、お前も知ってるだろ?」
「知ってるよ」
「どっちかっつーと嫌いだよ?」

それには応えず、喪部が銃を抜いた。ほぼ同時に、葉佩も同じ方向に銃を向ける。
 闇から這い出た異形のものが、双方向から撃ち抜かれて奇妙な声を発した。崩れた頭部を左右に揺らめかせながら、悪夢のような足取りで二人に歩み寄る。葉佩がその右側に走り込もうとした瞬間、喪部が無造作にHGを放り投げた。危うく爆風から逃れた葉佩が、涼しい顔で歩き出した喪部に詰め寄る。

「おい待て、なんか言う事あるだろ!」
「何を言えと?」
「だから、俺は皆守なんか好きじゃないんだからな!」
「いやもう本気で何を言えばいいのか分からないよ」
「あ、あと投げるなら事前に言え」
「キミなら避けると思ったからさ」
「うん、それはまあいいんだけどさ、俺は皆守なんか」
「キミは最低でも一日10回は「みなかみ」って言うね」

葉佩が止まった。視線をしばし泳がせてから、また喪部を見る。「嘘だろ?」と、自分でも疑っているような小さな声で問う。喪部は溜息をついただけで何も言わず、石の床を踏む作業を再開した。しばらく虚空を見詰めて突っ立っていた葉佩が、我に返ってそれを追う。

「なあ、俺そんなに皆守って言ってる?」
「多い時は100回ぐらい言ってるよ」
「そ、それはさすがに嘘だ!」
「まあ数えた事はないけど」
「だよな、じゃあ100回は嘘だ!」
「ところで、キミはこれからどうするんだい?」
「え、あ、えっと、カレーでも食いに行こうかな」
「刺していいかな?」
「やめてください」
「ロゼッタには戻れないよ」
「あ、そっか、仕事なくなっちまうじゃねぇか」
「皆守君は、M+Mでは期待の新人らしいね」
「そうなんだよ、あいつ普段はダルダルのくせにさー」
「彼を頼ってみたらどうだろう?」
「は?」

カラスが水鉄砲を食らったような顔で、葉佩がまたしても動きを止めた。
 殺害現場に二人が居合わせた事は知られている。奴らは報復でもなく、ただ義務として血を求める。それが掟だからだ。つまり、葉佩か喪部か、あるいはその両方が死ななければ事態は収束しない。
 しかし、鉄の掟にも縄張りがある。M+M機関は《宝探し屋》とは一線を画す集団だ。《秘宝の夜明け》に出資していた組織が、その線を越えるのは難しい。つまり、奴らの縄張りの外に行くのはどうか、と喪部は提案したのだ。取り立てて突飛な案ではない。むしろ誰でも真っ先に思い付くような、有り触れた発想といえるだろう。
 喪部がそんな事を考えるともなく考えている間、葉佩は口を開けたまま絶句していた。

「まあ、キミが嫌ならいいんだけど」
「ばっバカじゃねぇのお前!」
「ボクはバカじゃない。キミがバカなんだ」
「そ、そんな、あの、あれ、だって俺、ふられてるし」
「へえ、心底どうでもいい情報だ。吹聴してあげるよ」

ぎりぎりの社交辞令でそう言って、喪部は眼前に現れた扉へと歩を進めた。罠もない一本道の隧道の先に、大層な秘宝など期待できない。葉佩が先程から遺跡を無視するような言動をとっているのも、それが原因なのかも知れない。
 そんな喪部の思惑など知る由もなく、葉佩は夢見るような口調で語り始めた。

「俺はね、あいつの生きる理由になりたかったんだ」
「それはまた、酷い傲慢だね」
「だから【愛】とか【友】とかカレーとか、いっぱいあげたんだけど」
「それらの何一つ、そいつの気を引かなかった、と」
「俺はあいつの心残りにもなれなかった訳さ」

どうでもいいと言いつつ的確な相槌を打つ喪部は、すでに葉佩から目を逸らしている。扉が開かないのだ。苛立たしげに舌を打ち、まだ何事か喋り続けている葉佩を睨む。
 後発の部隊が、そろそろ現地に到着している頃だ。死体はもう発見されただろうか。逃げも隠れもするつもりはないが、おとなしく殺されてやる気もない。戻って目撃者を消すか、進むか。喪部が胸中で秤にかけていると、葉佩がH.A.N.Tを取り出して呟いた。

「あ、メール来た」
「そうかい、ボクにも来たよ」
「えーっと、『殺したの、おめーじゃねぇだろな』だって」
「誰から?」
「支部長」
「くだけた上司だね」
「おれじゃねーよものべだよ、と」
「平仮名で呼ばないでくれるかい?」
「だって変換できないんだもん」
「そういえば、『はばき』も変換しないね」
「九ちゃんって呼んでもいいんだよ?」
「キミの墓石にはそう彫ってあげるよ」
「墓なんていらねぇよ」

うそぶき、葉佩がH.A.N.Tを閉じる。しばし開かない扉をじっと見詰め、その複雑に組まれた石を撫でた。わずかな隙間もなく、すべてが在るべき位置にはまり込んでいる。
 綺麗だ、と葉佩は口中で感嘆した。人は、こんなにも美しいものを創造できる。うっとりと石を撫でる葉佩の横で、喪部が火薬を含んだ可塑性物質を取り出した。いわゆるプラスチック爆弾だ。喪部の目的を察した葉佩が、侮蔑をこめてその手を止めた。

「ねえ、俺が死んだらあいつは泣くかな?」
「知らないよ」
「泣かせたくないなぁ」
「嫌われておけばいい」
「なるほど、頭いいなお前」
「それはどうも、刺していいかな?」
「ねえ喪部、人間は愚かだと思う?」
「愚かな人間と、そうでない人間がいると思う」
「ふうん」
「何が言いたいんだい?」
「お前、頭いいけどバカだね」
「キミはバカだけど、とても聡明だね」
「うん、そういう事」

 一枚の、とりわけ美しく磨かれた石に手を当てて、葉佩が笑った。
 触れていた石を軽く押すと、抵抗もなくなめらかに石は沈み込み、その隣の石と同じ形のへこみができた。そのへこみに、石をスライドさせる。硬度の高い石同士がぶつかって、涼やかな、どこか懐かしいような音が鳴った。
 綺麗だよね。今度は声に出してそう言うと、喪部はそうだねと頷いた。それは非常に稀有な事で、葉佩はそれだけで気分が良くなった。ここにあるのは虚無ではなかったという事だ。それが嬉しいなんて、やはり自分は喪部が少しは好きなのだろうと考えた。

 やがてカチリと音がして、葉佩がそれはもう幸せそうに微笑んだ。












 久し振りの青天を見上げ、葉佩が大きく伸びをした。追われる身となった事を、喪部がもう何度目か口にする。H.A.N.Tには、応答を求めるメールが片手の指の数ほど送られてきていた。開きもせずにそれを捨て、葉佩は喪部を見た。

「喪部、H.A.N.T交換しようか」
「意味が分からない」
「これね、身分証明書みたいなのも兼ねてるんだ」
「だから?」
「喪部のH.A.N.Tを俺にちょうだい」

理解して、喪部は盛大に顔をしかめた。
 どうして葉佩が笑うのか、喪部は今でも理解できない。もしかしたら、葉佩自身にも理解できないのかも知れない。

「俺が死んだら、お前が死んだ事になる」
「キミが死んでも、あいつにキミの訃報は届かない」
「そういう事」
「ボクが死んだら、キミが死んだ事になるよ?」
「喪部は死なないだろ?」
「キミだって、死なないだろう?」

 葉佩は、まるでそれが真実であるかのように笑った。
 喪部は、本当は信じたかったのだと認識して笑った。