最近、どうも昔の夢を見る。
 ベッド代わりのベンチから身を起こし、煙草に火をつけながら、道心は顔をしかめた。それは正確な記憶ではなかったが、もしかしたらそんな事もあったかも知れない、と寝起きに思う程度にはリアルな夢だった。
 死んでしまった友人が、生きていた頃の夢だ。

 煙と溜息を同時に吐き出し、顔を上げると劉と目が合った。「早上好」と言われて、「おはよう」と返す。

「わいの言ったとーりやったな」
「ああ、『アニキ』の事か?」
「そや、強くって冷静で、しかもなんちゅーか、ミステリアスっちゅーか、思わせぶりっちゅーか、ほんまはなんも考えてへんのとちゃうかって思わせといて、ぜんっぜん別の関係ないこと考えてるっちゅーか」
「だいたいあってたな」
「なんかこう、瞬発力だけで生きとる感じせぇへんかった?」
「ああ、まあ、思慮深いようには見えねぇな」
「さっすがじいちゃん、騙されへんな!」
「おめーは騙されたのか」
「騙されたーおもっきし騙されたわー」

 緋勇が無残に叩き斬られてから、劉は一度も笑わなかった。三日月の形に歪んだ唇は、不安と恐怖しか語らなかった。一変したのは、東京に雪が降る前の日だ。
 泣きながら帰ってきた劉は、久し振りに笑っていた。

「弦麻殿も、あんな人やったんかな」
「いや、だいぶ違うな」
「そっかー」
「弦麻はあんなに捻じ曲がっちゃいねぇ」
「アニキだって捻じれてへんよ」
「そりゃあ、おめぇが騙されてるからだ」
「だ、騙されてへんよ、今は、たぶん」
「あいつは、どうも素直じゃねぇな」
「え、弦麻殿が?」
「アニキに決まってんだろ」
「アニキは素直やで!」
「そうか?」
「どんくらい素直かっちゅーとな、だいぶ前に出来心でピヨちゃんは大事に育てると全長15メートルぐらいになるんやでーって言ったら、最近まだ信じてる事が判明してびっくりしたぐらい素直やで!」
「弦月、素直と莫迦は違うぞ」
「そんぐらい知っとるわ」
「ならいいんだけどな」

 劉が少しだけ悲しそうな目で「弦麻殿の息子に会った」と話したのは、たしか夏が終わろうとしている頃だった。自分は一目で分かったのに、彼はまったく気付きもしなかったと言って、初秋に吹く北風のように寂しく笑った。暑さに慣れた皮膚がひやりと粟立った感触を、道心は今でもよく憶えている。

 全てを失ったと、劉は思っていたらしい。家族も友人も、自分以外の全ては失われたのだと。東京に流れ着いたばかりの劉を拾った時、この子供は間もなく死ぬだろうと思ったほどだ。それほどに、暗い目をしていた。
 弦麻を憶えているかと問うと、その瞳がわずかに上がった。その息子が東京にいると告げた瞬間、文字どおりまたたく間に彼は生き返ったのだ。

「そーいや、わいが関西人やっちゅーても信じてたなぁ」
「なんでそう無駄な嘘つくんだおめぇは」
「ちょっとしたお茶目やないか」
「まあいいけどよ」
「それはちゃんと訂正しといたしな」
「ひよこの全長についても訂正してやれ」
「それは、でも、なんか、せっかく信じてんのに、かわいそーやない?」
「信じたまんまの方が可哀相だと思うけどな」

 誰かが劉に話して聞かせたのだろう。強くて優しい男だったと、彼を知る者なら、きっとみずからを誇るように話しただろう。いつしかそれが劉の誇りになった。
 劉も、本当は分かっているのではないか。自分が信じているものは幻で、ある日、突然それが消え失せてしまっても、なんら不思議はないのだと。語られた英雄は、真実には憐れな犠牲者でしかなく、ふと目覚めると、憎悪と怨嗟だけを残して全てを奪われた自分が見える。そんな朝を、心のどこかで思い描いているのかも知れない。

 嬉しそうに「アニキ」を語る劉の声を聞き流しつつ、道心は安酒に口をつける。
 否応なく表層に浮き上がってくる記憶が恐ろしいほど優しくて、穏やかで、無性に悔しくなった。あの男と過ごした日々は、決して穏やかなものではなかったはずなのに、どうして記憶はこんなにも安らかなのか。それが友人の不在を証明しているような気がして、やるせなく悔しい。

 劉は何度も同じ話をした。池袋で昼寝の邪魔をされた事、助けた少年が緋勇の仲間だった事、ふたりだけ信号に引っ掛かった事、真神學園の地下での事を、何度も何度も繰り返し、繰り返し話した。まるで確かめるように、何度も何度も。

 少しだけ、意地の悪い事を考えた。

「でもよ、弦月」
「なんやねん」
「アニキだって死ぬんだぜ?」
「ん、そりゃまあ、人間やしなぁ」
「今回の騒ぎだって、悪くすりゃあ死んでた」
「うん、そやね」

 存外あっさりと頷いた劉に、思わず舌を打ちたい気分になった。「お前をひとり残して」とは、言えなかった自分の甘さに。
 それに、劉はもうひとりではない。この時に得た仲間は、きっと一生を終えるまで、もしかしたら終えても仲間でいるのだろう。道心が今でも友人を持つのと同じように。

 劉が緋勇の話をするようになったのは、冬が始まろうとする頃だった。それからは、もう坂道を転げ落ちるがごとく緋勇に心酔してゆくのが目に見えた。いつの間にか「アニキ」などと呼ぶようになって、その相棒や仲間たちの話も尽きる事はなかった。
 それを微笑ましく感じる反面、どこかでお前も裏切られてしまえと道心の闇が嗤う。己は奪われたのに、どうしてこの子供は取り戻すのだと、世の不条理にどうしようもなく憎悪が落ちる。弦麻は死んだのに。
 取りとめもなくいつものように世界を憎みながら、世界に乞い願いながら、劉が笑うのを見やる。

「アニキならだいじょぶやって!」
「ああ、俺もそう思ってたよ」

 誰にも負けないと、明日も笑って隣を歩いているのだと、そう思っていた。いつか道を違える日が来ても、あの男はどこまでも歩いてゆくのだと、道心は信じていたのだ。
 あの瞬間までは。

 決戦の夜が来る。