不毛の荒野に、二人は向かい合って立っていた。

 待ち合わせるでもなく、互いの動向を予想するでもなく、二人は同じ時に同じ地を踏んだ。それが偶然なのか必然なのか、そんな事はどうでもいい。ただ、この広大な世界で、もう何度目か出会えた事に驚きはしなかった。
 やっぱりここにいたか。今までどこにいたんだ。そんな他愛ない会話のあとに、二人は荷物を下ろして上着を脱いで、一人は剣を、もう一人は拳を構えた。
 それは約束ではない。二人が同時にそんな気分になっただけだ。

 蓬莱寺が切っ先を上げる。緋勇が右足をわずかに引く。
 限界まで張り詰めた糸が、乾いた風に吹かれて揺れた。

 蓬莱寺が先に辿り着いた。地を踏んだ右足に体重を乗せ、一息に突く。それを最小限の動きで躱し、緋勇が身を沈める。地に接するほど上体を低くして、左足で蓬莱寺の軸足を刈った。跳びすさった蓬莱寺を追って、更に深く踏み込む。
 届かないなどと、微塵も思わなかった。

 彼に続く道がひとつではないと、緋勇はもうずっと前から知っている。自分を取り巻く何もかも、全てが彼へと続いている。ふと見上げた空も、月も星も日も雲も、水も風も炎も、草も木も石も、何を見ても緋勇はこの男を思い出した。

 ひゅうと音を立てて、刃が米神をかすめる。その軌道は蓬莱寺を中心にして、星のように綺麗な弧を描く。刃が星で、彼が太陽だ。浮かんだ想像があまりに幼くて、緋勇は飛び交う火花の中で少しだけ微笑んだ。
 蓬莱寺も口角を上げた。余裕だな、などとうそぶく唇が、それでもどこか挑むように攻撃的で、緋勇はたまらなくなる。彼がこの身に触れようとするだけで、緋勇はいつだって胸が痛いほど嬉しくなる。彼が瞳を上げるたび、その視線が自身を貫くたび、緋勇は叫びだしたいほど昂揚する。知られたら恥ずかしいので絶対に言わないが。

 左足の着地を狙って突き出された刃先を、右足で払う。蓬莱寺が目を見開いた。
 その目だ。その目を、もっと。言葉ではなくそれを伝えようと、上げた右足を振り抜く。蓬莱寺の鼻先を通過した爪先を、今度は軸にして、もう一撃。これも躱された。
 ひねった腰をバネにして、拳を放つ。それを受けた刃が、きんと綺麗な音を立てた。激突に相応しくない、澄んだ音色だった。何故なら、それは激突ではなかったから。

 するりと切っ先が流れた。速度をもった拳が、流れた刃に誘われるまま虚空を薙ぐ。がら空きになった脇腹に、白刃が振り下ろされた。恐怖でもなく、狂気でもなく、緋勇はそれを悦んだ。
 それでこそ。

 清らかな刃が皮膚に触れるより早く、緋勇は上体を後ろに倒した。そのまま背後の地面に左手をついて、後転の要領で足を大きく振り上げる。視界から蓬莱寺が消えて、爪先だけが彼の存在を確かめた。
 ぐるりと回転して再び元の位置に戻った視界に、蓬莱寺の姿はなかった。咄嗟に地を蹴って後退したのは、理論的に説明できる明確な根拠があったからではない。

 ほんの一瞬前に自分が立っていた地面を見て、緋勇が背筋を震わせた。悦びか恐れか、それは分からない。その両方かも知れないし、もっと他の何かかも知れない。名付ける事など考えもせず、緋勇はそれを強く欲した。

 激烈なる剣氣が、大地を陥没させていた。

 躱しやがったか、と蓬莱寺がささやく。どこか甘やかな声音に、緋勇は欲望の赴くまま瞳を向ける。
 烈火のように止水のように、蓬莱寺は牙をむいて微笑んでいた。自分も、同じように微笑んでいたらいいのに。緋勇がその思考を言語として認識する前に、蓬莱寺が再び構えた。

「なあ龍麻、楽しいか?」
「まあ、そこそこ」
「そこそこぉ?」
「まだ足りない」
「へっ、言ってくれるぜ」
「お前もだろう?」

 答えず、蓬莱寺は愛撫された子猫のように目を細める。
 緋勇は、最近になってようやく自覚した。自分が、もう取り返しのつかないほどこの男に狂っているのだと。彼から与えられるものが、どうしようもなく心地好いのだと。

「京一」
「おうよ」
「もっとだ」
「かわいーこと言ってくれるじゃねぇか」
「可愛いのはお前だ」

 きっぱりと自信を持って緋勇がそう言うと、蓬莱寺が切っ先は上げたまま俯いた。顔を手で覆い、ついには切っ先も下げてしまった。顔は手に覆われて見えないが、耳が赤いのが緋勇からはよく見える。

「どうした」
「え、や、ええと、あー、ひーちゃん」
「なんだ」
「そ、そーゆーの、あんまり大声で言うな」
「本心だ」
「だから真顔で言うな!」

 ちなみに、緋勇は先程から隙だらけの蓬莱寺を目の当たりにして、どこを突いてやろうかと拳をうずうずさせているのだが、彼は気付いていないようだ。
 ほんの数秒前まで熱く滾っていて、そんなにすぐに冷ませるほど緋勇は人間ができていない。しかし何やら煩悶している蓬莱寺を殴るのは、少々可哀相に思える。どうしよう、突いてもいいだろうか。動いても怒らないだろうか。でも怒った顔も可愛いから、それでもいいか。

 という訳で、緋勇は無造作に間合いを詰めて、まだ何事か口中で呟いている蓬莱寺の天倒を小突いた。驚いて顔を上げたので無防備になった眉間に、もう一発。ぐらりと傾いだ蓬莱寺の体を、両腕と胸で受け止める。
 意識があったら抵抗されるだろうか、などと考えながら、脱力した体をできるだけそっと抱き締めて、夕焼けのような色の髪に頬を寄せた。

「俺の勝ちだな」

 低く耳元でささやくと、蓬莱寺が目を閉じたまま顔をしかめて小さく呻いた。












 蓬莱寺が目を開けると、緋勇の顎の下が見えた。ひざまくら、と呟くと、緋勇が視線を落として見下ろしてくる。
 「起きたか」と短く問われ、「起きたよ」と短く答える。しかも胸の辺りには、緋勇の上着がかけられていた。濃い灰色の、持ち主同様に無愛想な上着だ。生地も硬くて手触りは悪いのに、あたたかいのでそれでもいいと思えてしまうのが厄介だ。
 ぼんやりとそんな言葉を表層に浮かべても、奥底から湧き上がる感情は誤魔化せない。やられ方が間抜けだったのはさておき、まさかあの一撃を躱されるとは。ずっと彼の事ばかり考えて、やっと到達した技だったのに。

「やったと思ったんだけどな」
「少し、危なかったな」
「なんで勝てねぇかな」
「弱いからだ」
「てめーが強すぎるんだろ」
「やっと認めたか」
「前から認めてる」
「そうか?」
「ちくしょう」

 口中で囁いて、硬い枕に頬を寄せる。髪を引っ張られたが、それが拒絶ではないと知っているので、蓬莱寺は構わず腕を伸ばして緋勇の腰にしがみ付いた。上の方で、溜息の音が聞こえた。
 負けたくないとこんなにも強く思う反面、緋勇になら負けても恥ではないと思っている。自覚して、蓬莱寺は顔を伏せたまま唇を噛んだ。自分はこんなにも思う存分に力を振るえて、全力でぶつかっても受けとめられて、それどころか優しく介抱されているのに、緋勇は誰にも甘えられずに、ずっと一人で立っている。それが悔しくてたまらない。

 顔を伏せたまま動かなくなった蓬莱寺に、そっと緋勇の手が触れた。まるで恐れるように、壊してしまわぬよう、慎重に。それが悔しくて、苦しくて、蓬莱寺はますます顔が上げられなくなる。緋勇の腰を両腕で抱き締めて、そこに額を押し付けた。
 緋勇がわずかに身じろぎして、低く声を発する。

「・・・おい」
「なんだよ」
「その体勢は、なんとなく、あの、やめてくれないか」
「俺、落ち込んでるから」
「地面でやれ」
「慰めろよ」
「頑張れ」
「それは慰めじゃない」
「え、ええと、まあ、あの、あれだ」
「どれだよ」
「・・・頑張れ」

 適切な言葉を見つけられなかった緋勇が、居心地悪そうに小さく呟いた。そんな事で彼を責めようとは思わないが、気まずそうに目を逸らされるとなんだか心が沸き立つ。
 緋勇は慰めようとしてくれたのだ。貧弱な語彙の中から蓬莱寺が喜び慰められるような言葉を探して、しかし発見できずに、まるで敗北したような気分になっているのだ。たったそれだけの事で、あの緋勇が自分を無力だと感じているのだ。

 虚空を恨めしげに睨む緋勇を、下からじっと見詰める。それに気付きつつも気付かぬふりをしようとして、緋勇が更に視線を尖らせた。

「ひーちゃん」
「うるさい」

 呼んだだけで額を叩かれた。これはひどい。そう思ったので、仕返しという訳でもないが眼前にあった緋勇のシャツを捲り上げて、現れた白い肌に歯を立ててみた。腹筋がびくりと引き攣れ、緋勇が声にならない声を上げる。
 しっかりと歯型がついたのを確かめてから目を上げると、緋勇の物凄い眼光が突き刺さった。そのままの表情で蓬莱寺を振り払い、座り込んでいた身を起こす。

 立ち上がった緋勇は、まだ蓬莱寺に噛まれた部位に手を当てている。
 前半戦は惨敗だったが、これで引き分けだ。足早に立ち去ろうとする背中にそう宣言すれば、緋勇が歩を止めて振り返る。肩越しに見えたその顔は、たしかに屈辱の赤を宿していた。
 ぎゅっと唇を引き締めた緋勇を、真直ぐに見据える。

「なあ龍麻、逃げんのか?」

 ぎらりと光を放つ双眸に、全身の血が沸き立つ。彼も、そうだといい。
 敗北と屈辱が、彼を熱くさせるといい。この胸がそうであるように。

 願いが果たされるかどうかは、分からない。
 確信など持たぬまま、緋勇と蓬莱寺は同時に地を蹴った。