事の起こりは如月骨董品店だった。
忍者と陰陽師と暗殺者が、遅い新年の挨拶を交わすついでに炬燵を囲んでいた。面子が足りねぇな、と呟いたのはたしか村雨だった。龍麻はどうしてるかな、と呟いたのは壬生だった。元気みたいだよ、と如月がそれに返し、冷めた茶をすする。かつての戦友は、今ではふらりと気紛れのように姿を見せる馴染みの客でもあった。そんな穏やかな日常の一角で、炬燵に足を突っ込んで競馬新聞を眺めていた村雨が唐突に思い出して言った。
「そーいや蓬莱寺の旦那、今日が誕生日じゃなかったか?」
始まりは、そんな些細な一言だった。
思い立った如月の行動は早かった。一時間後にはかつての仲間に伝令が行き渡り、広めの座敷まで予約してしまった。突然ともいえる誘いを、各地に散っていた者達でさえ挙って快諾した。蓬莱寺の誕生日は、つまりが莫迦騒ぎをする口実に過ぎない。しかも遠慮会釈もなく、有した異能の力を隠す必要もなく、心置きなく騒げる口実。如月の無愛想な伝令に、魔人達は大喜びで飛びついた。
つまりは退屈だったのだ。激流に飲まれたように目まぐるしかったあの頃が、少しだけ懐かしくなったのかも知れない。
劉までもが中国から帰ってきた。彼の故郷は中国なので帰ってくるという表現は適切ではないが、それでも劉は空港に迎えにきた仲間たちに「ただいま」と言って笑って見せた。当然の流れでそのまま酒宴になだれ込み、途中からそこに加わった堅気の残業組がちょっと入るのをためらうほどに盛り上がった。そしてその頃には、本日の莫迦騒ぎが如何なる目的で催されたのかを記憶している者はいなかった。
押しなべて酔い、居酒屋を引き揚げて魔人達が夜の公園をそぞろ歩く。頻繁に顔を合わせている者もいれば、随分と久し振りに見た顔もある。緋勇を義兄と慕う劉は、その場の誰にとっても後者だった。一通りの手荒い歓迎を受けて緋勇に泣きついた時も、だから皆が義兄弟の仲の良さを微笑ましく(妙な冷やかしを入れる者もいた)見ていた。
蓬莱寺も、彼らが仲間内でも特に親しくしていた事は知っている。まさしく互いを家族のように思っているのだろう。穏やかな緋勇の表情を見ても、その心温まる確信は揺らがなかった。だがしかし、と、蓬莱寺は胸中で呟く。幼稚な悋気だと分かってはいる。分かってはいるがしかし、止められないのだから仕方ない。
そこは俺の場所だ!
「おい劉!」
「んー?」
「随分と腕ぇ上げたみてぇだな」
「へへ、京一はんもな」
「一手、ご教授願いてぇんだが?」
「おお?うん、よっしゃ!買った!」
得物を合わせるのに理由は必要ないのが彼らの関係だ。飛行機には持ち込めなかったので、如月骨董品店で新調したという青龍刀を構え、劉が真っ直ぐに視線を上げた。どうやら蓬莱寺の牽制を、彼は正確に理解していたらしい。唐突に始まった果し合いに、透かさず賭けを持ちかける者、無責任な野次を飛ばす者、呆れ顔で溜息をつく者、様々な表情で、しかし誰も水を差すような真似はしなかった。
音もなく、神経の糸が極限まで張られる。その糸を、緋勇が軽く弾いた。
「劉、待て」
「え、アニキ?」
「その勝負、俺に預けろ」
「おい!ひーちゃん!」
「不満か?」
「だって、ワイが売られたんやで?」
「見たくないか?」
「は?」
「俺の拳を」
見たい。
その場にいた魔人達が、奇跡のように心を重ね合わせた。非戦を願う美里ですら、緋勇の闘う姿には一度ならずも見蕩れた経験がある。対戦カード変更に、異を唱える者はいなかった。
ゆらりと夜闇に佇んだ緋勇を真正面から見詰め、蓬莱寺が得物を構える。それに満足気に頷く緋勇は、不思議な余韻を残す足取りで流れるように地を踏んでいる。実は既に真っ直ぐ立っているのも危ういほど酔っていたのだが、そして蓬莱寺を含む数人はそれを察していたのだが、狂的な熱気をはらむ静寂は乱されず場を支配した。
緋勇が先に踏み出した。それに間髪入れず応を返した蓬莱寺の、刃を持たぬ切っ先が風を斬る。強大な氣が、都会の夜を震撼させた。一撃目が相手に届いた事を確かめ、二人が同時に間合いを取る。八相に構えた蓬莱寺が、湧き上がる悦びを抑えきれずに笑みを浮かべた。緩慢な動作で揺れていた緋勇が、両の腕を上げたかと思うとピタリと一分の隙もなく静止する。それを見た劉が、はっと息を飲んで叫んだ。
「あの構えは!」
「知ってるのか劉!」
「って知らんのかいな!酔八仙や!」
「酔八仙・・・酔拳か!」
うおおすげぇ!リアル酔拳!写メっとこ!などと外野が盛り上がる一方で、蓬莱寺は神経の全てを駆使して眼前の男の一挙手一投足を凝視していた。
ゆら、と緋勇が揺れる。その足捌きを、極限まで研ぎ澄まされた蓬莱寺の感覚が捉えた。緋勇の爪先が描いた軌道の先に木刀を滑り込ませ、全力で薙ぎ払う。次の瞬間、失策を悟った。耳元で風を切る音が聞こえた時には、大きく腕を振った為がら空きだった脇腹に激痛が走った。
「アニキー!やっぱりアニキはアニキやー!」
「よし!やっちまえ龍麻ー!」
「オニイチャン!かっこいい!」
「Hey!brother!don't give me a sadness!」
「おお、完全に入ったな」
「これは痛い」
「京一!だらしないぞー!」
「怪我なら治してあげるから〜心配しないで〜」
ギャラリーが一斉に沸いた。だが、蓬莱寺はまだ膝を付いてはいない。踏み止まった足で地面を擦り、重心を捻って伸び切った腕を引き寄せた。緋勇の上げた足が地面に下りる前に、肩ごと刀を突き出す。緋勇の反射速度があと僅かでも遅ければ、間違いなく骨を砕かれていただろう。
獣の速さで飛び退った緋勇が、緩やかに腰を落とした。しきりに重心が変化するのは、つまり彼が相当酔っているからだろう。ゆらゆらと定まらない視線も、その攻撃の軌道を隠すのに一役買っている。酔えば酔うほど強くなる。そんな言葉が浮かび、いや、あれはフィクションだから、と蓬莱寺は自分で自分を諭した。
龍麻コールと京一コールが同時に沸き上がる。余談だが、親友だと思っていた醍醐が力の限り緋勇の名を叫んでいる事に、蓬莱寺は軽く失望した。緋勇にやや女性の声援が多いのも気になる。騙されてんぞお前ら、と心で呟いてから、慌てて気を引き締めた。
「たーつーま!たーつーま!」
「きょーいちせんぱーい!頑張れー!」
「うふふ〜ケテルとビナ〜どっちがどっち〜?」
「盛り上がってきましたね」
「京一選手、だいぶ押されてます」
「あ、龍麻選手、仕掛けました!」
「腰を低くして、一気に間合いを詰めた!」
実況・解説役に徹しているクール(?)組が、どこかで聞いたような口調で緋勇の動作を逐一言葉に変換する。それを聞くまでもなく、蓬莱寺はその動きを正確に把握していた。
緋勇が流れるような動作で左に振れた。揺らいだ重心を立て直す為に、次は右に振れる。そう確信し、蓬莱寺が踏み出した。だが突き出した切っ先は空を斬り、勢い余って前傾する。読み違えた、と察した時には、左から拳が飛んできた。腕でのガードは間に合わないと判断し、接触した瞬間に逆方向へ飛んで衝撃を逃がす。それでも殺しきれなかった威力が、蓬莱寺の体を大きく後方に吹き飛ばした。受身を取って地面に転がり、その慣性を利用して即座に立ち上がって、構えを取る。直後、足首を引かれて心臓が嫌な音を立てた。物凄い力で引き倒され、踵を抱えられる。高く持ち上げられた自分の大腿と、緋勇の冴え冴えとした瞳が見えた。緋勇は本気だ。というか、手加減するほどの理性は残っていない。
「ヒールホールド!」
「禁じ手が出たー!」
「タップしろ京一!砕かれるぞ!」
絶叫が響き渡った。
緋勇がかすかに微笑んだ、ように見えたのは錯覚だろう。錯覚だと思いたい。彼はそこまで酷い人間ではない。そう信じたい。頼むから信じさせてくれ。蓬莱寺が諦観と希望を同時に見詰めながら、右手を上げた。
蓬莱寺の右手には、まだ愛刀が握られている。後悔の朝も、穏やかな日も、切ない夕暮れも、決死の夜も、それは蓬莱寺の傍らに在った。常に最も近くで蓬莱寺を助け、また勇気付けた。その光を、蓬莱寺はまだ手にしている。打ち砕くべきは眼前の男ではない。己の愚かさだ。
眼前の男も、打ち砕いてしまったら後悔するどころの騒ぎではないのだが、そんな事を考える余裕はなかった。夢中で突き出した刀先が、緋勇の皮膚を浅く斬り裂く。抱えていた蓬莱寺の足を投げ出し、緋勇が仕掛けていた技を解いた。どうにか無事だった自分の足を引き寄せ、蓬莱寺が今度こそ立ち上がる。緋勇の頬から鮮血が滴った。
「おっと、流血です」
「通報されたら厄介ですね」
「心配すんな、結界は張ってある」
「そういうのだけは手早いですね、お前は」
「目撃者はボクに任せてください」
「では、頼みましたよ」
「待て!頼むな!つーか消す気だろお前!」
「証拠を残すような真似はしませんよ」
「現場に制服の切れっ端が落ちてたって聞いたぞ」
「あれはボクじゃない」
二人の陰陽師と暗殺者が軽くもめている声には一切の関心を払わず、蓬莱寺が目を見開いた。己の手にある得物を見て、同じ瞳で緋勇を見る。そして、何を思ったか右手の刀を放り出した。無手のまま無造作に間合いを詰め、突然の戦意喪失を訝しむ緋勇に歩み寄る。緋勇の拳が攻撃可能な間合いに入っても足を止めない蓬莱寺を、観客が固唾を呑んで見守っている。
次の瞬間、二人を注視していた魔人達が、一人の例外もなく目を逸らした。
魔人達が白々しい表情で虚空を見詰める中、蓬莱寺が泣きそうな顔で緋勇を抱き寄せた。自分が傷つけた頬に指先で触れ、唇で触れながら「ごめん」と繰り返す。伝った鮮血を舌で拭い、何が起きているのかいまいち理解していない緋勇に、壊れ物に触れるように触れた。両頬を手の平で包まれ、緋勇が漸く自分の体勢に気付く。だが時は既に遅く、蓬莱寺はその衝動のままに緋勇の体をきつく抱き締めていた。
「な、え、きょうい、ち?」
「ひーちゃん、傷付けちまった」
「いや、この程度なら3秒で治るんだが」
「ごめんな」
「ええと、いや、まあ、あの、気にするな」
戦闘の熱が一気に冷め、代わりに別の熱が上がり始めたようだ。引き剥がすか突き飛ばすかで迷っている緋勇は、しかしそのどちらも為し得ず、無駄に蓬莱寺のシャツを掴んだり髪を引っ張ったりしている。やがてその無力な抵抗もなくなり、「まあいいか」とでも言いたげな表情で、まだ肩に顔を埋めている蓬莱寺の頭を宥めるように軽く叩いた。
「・・・」
「・・・」
「アニキー!目ぇ覚ましてぇなー!」
「はーい、かいさーん」
「さーて飲みなおすか」
「いやあ、久し振りに血が騒いだ」
「ああ、あの体捌きは勉強になった」
「京一の野郎も強くなってたな」
「俺っちも負けてらんねぇぜ!」
「忍んで安心、亀急便の如月骨董品店の提供でお送りいたしました」
「放送されてたんですか」
「言ってみただけだよ」
「あー燃えたー!」
「よし、帰って修行だ!」
「付き合うぞ友よ!」
「カラオケ行く人ー」
「はーい!」
「はーい!」
「あ!俺様も行く!」
「じゃ、あたしも」
「わたしも行きまーす!」
いずれの魔人達も、夜はこれからのようだ。
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