鳥の声が聞こえるが、姿は見えない。木々の枝葉が風に揺れる度、木漏れ日がちらちらと形を変える。
 苔むしたかつては階段だったであろう巨石に腰掛けて、皆守はいつものようにアロマをくゆらしていた。

 今回の仕事は遺跡の探索だ。それは今に始まった事ではない。この前の仕事も遺跡の探索だった。その前は、たしか奪われた秘宝の奪還だったか。

 今回の探索の厄介な部分は、入り口と出口が別に設定されている事だった。入り口を通ると扉はすぐに閉まり、どういう機構なのかはわからないが開かなくなるのだ。
 皆守は、入り口の外での待機を命じられた。命じられたというか、懇願された。「俺が死んだらよろしく」という具体的にどうすればいいのかさっぱり分からない指示を残して葉佩が入り口から遺跡に入ってから、約4時間。石造りの建物は電波を通しにくく、1時間ほど前までは逐一届いていた実況中継も、今は途絶えている。
 要するに、皆守は暇だった。ちなみに、3時間の音信不通で死亡とみなせと言われている。従う気はないが。

 あまりに暇なので、葉佩にメールを送ってみた。『カレーが食いたい』と、一言だけ。返事は、文字ではなく音声で来た。右耳から、雑音と共に『俺はカツ丼がいい。あと邪魔。なんでわざわざメールなんだよ邪魔。すげぇ邪魔』と。
 しばし目を閉じ黙考し、何事か言い返そうかとH.A.N.Tのキィを打ち、しかし面倒臭くなったので編集中のメールを削除し、もう何本目かのアロマに火を点ける。












 更に1時間ほど経過した。『カレーパン買ってこい』というメールに、葉佩からの返信はまだ来ない。あと2時間ほどで、葉佩は死亡した事になる。
 そうしたら、どうしよう。ぼんやりとそんな事を考えるふりして眠気と戯れていたら、右耳の近くで葉佩の声がした。雑音がひどくて聞き取りづらい。耳障りな音に眉をしかめつつも、耳を澄ます。

『皆守、出口が開いてるか確認してきて』
「場所は?」
『入り口の、たぶん南南西ぐらい、直線距離で3q辺り』
「遠いな」
『頼むよ、生きて帰ったらカレー作ってあげるからさ』
「・・・どうした?」
『鍵は開いたと思うんだけど、こいつ強い』
「分かった」
『ごめん』

 眠たげな目でH.A.N.Tを閉じ、皆守は冷たい石から立ち上がった。バディになった憶えはあるが、部下になった憶えはない。つまり命令される理由はない。
 皆守は地面に下ろしていた鞄から少量のプラスチック爆弾を取り出し、石壁の脆くなってひび割れた部分に押し込み、それに簡易着火装置を突き刺しライターで火を点けて、ついでに口元のアロマにも火を点けて、荷物を持って丁度良い所にあった大樹の陰にすべり込んだ。
 背後で爆音が響き、鳥たちがけたたましく鳴きながら飛び立つ。ふ、と甘い息を吐き出し、爆破された石壁にとどめの蹴りをぶち込んで、皆守はついに遺跡への侵入を果たした。靴の爪先に強化プラスチックを仕込んでおいて正解だったな、と声には出さずに無言で頷く。

 すでに開かれた扉をいくつかくぐり抜け、未だ硝煙の残るその区画に足を踏み入れた瞬間、皆守は背負っていた荷物を放り出してマシンガンをぶっ放した。発射音がうるさかったので、葉佩の声は聞こえなかった。

 まるで裏切られたような顔で葉佩が呼んでいる。それを無視して、皆守は撃ち尽くしたマシンガンを投げ捨てた。
 異形の目に刺さっているのは、葉佩のナイフだ。しきりに頭を打ち振る動作を繰り返している。苦痛を与えているのは間違いないだろう。そう判断し、ためらわず走った。

 弾丸が埋まった異形の左後ろ足に、まず爪先を突き刺す。何発かは貫通しているようだ。裂けた皮膚から骨が露出している。飛び散る体液を不快に感じる暇もなく、渾身の蹴りを打ち込んだ。葉佩はまだ何か言っている。
 めきっと嫌な音がして、皆守は慌てて身を引いた。後ろ足を折られて苦悶にのた打ち回る異形から距離をとり、その間に抜いたベレッタを、葉佩に向かって放り投げる。
 危うくそれを受け取った葉佩が、憎しみとその他の雑多な感情をすべて呑み込み、顔を上げた。












 沈黙した異形を見下ろし、皆守が息をつく。葉佩がダメージを与えておいてくれなかったら、危険だったかも知れない。口には出さないが。
 気を取りなおして葉佩を振り向くと、何故かいきなり殴られた。なんでだ。

「なんでだ!」
「俺は出口を見てこいって言ったんだよ!」
「なんでお前が俺に命令できると思うんだ」
「命令じゃなくって、頼んだんだよ」
「断る」
「分かったって言っただろ!」
「状況を理解したって意味だ。従うとは言ってない」
「言ってないけど、言ってないけどさぁ!」
「俺が来なかったら死んでたぞ」

 そう言ってアロマに火を点けると、葉佩はさも苛立たしげに舌を打った。
 皆守も、理解はしているのだ。彼にとっての勝利が生存ではなく、扉を開く事だと。
 どうやら出口の開錠も一時的なものらしい。おそらく今頃は、開いていた扉も再び固く閉ざされているだろう。つまり、葉佩が開錠を果たしたかどうかは、結局のところ不明なのだ。さぞかし悔しいだろうとは思う。思うが、皆守にも勝利の定義がある。

「生きてたんだから、いいだろ」
「もう一発いい?」
「いいけど、やり返すからな」
「上等じゃねぇか」
「いいから早く止血しろ」
「その前にもう一発」
「あと、折れたとこ見せろ」
「一発って、なんかエロい意味あったよね」
「年がばれるぞ」
「同い年だっつってんだろ」
「自分の生年月日も知らないくせに」
「うるせぇよ、てゆーか、一発って世代限定語?」
「最近はあんまり聞かないな」
「そ、そうだったんだ」

 葉佩の手からベレッタを奪い、腫れ上がっておかしな方向に曲がった腕を掴んだ。葉佩が声もなく傷みに耐えている隙に、スプリントを固定する。包帯を巻き終える頃には、葉佩もさすがに疲れたのか、おとなしくなっていた。
 額の裂傷は、もう出血は見られない。一応、消毒してガーゼを当てて、固定の為にまたしても包帯を巻く。葉佩はその間、ずっとされるがままだった。少し気持ち悪い。

 処置を終えて皆守が立ち上がっても、葉佩は冷たい石の床に座り込んでいた。立ち上がる気力もないのかと、皆守が折れていない方の腕を掴む。
 不意に、葉佩が呟いた。思い付いた事、全部やってみただけだから、正解だったか分かんねぇんだよ。もしかしたら開いてなかったのかも。小さな声で吐き出される言葉は、恨みがましく虚空に落ちて拡散した。

「だったら同じ事、もう一回やってみろよ」
「石がない」
「石?」
「さっき使った石、あそこにはめた。なくなった」
「なんで片言だ」
「間違ったからあいつが出てきたのかも」
「ああ成る程、その可能性もあるな」
「だから見てきてって頼んだのに」
「それで開いてなかったら死に損だぞお前」
「そうだけど、でもさぁ」

 まだ諦めきれないらしく、葉佩が未練がましく部屋中を歩き回る。皆守はしばらくアロマをくゆらしながらそれを見ていたが、やがて踵を返した。部屋を出る寸前に振り向いてみたが、慌てて追ってくると思っていた葉佩はまだ何事か呟きつつ壁に貼り付いている。

「おい葉佩」
「なくなった、落ちた、どこに?」
「帰るぞ」
「下があるのか?」
「おーい」
「バサルト、グラニット、アンデシット」
「なんの呪文だ」
「ジェイド」
「あいつ、本業は骨董屋ってほんとか?」
「これ、珪化木だ!」
「なんだっけそれ」
「アンデシットってアンデッドと似てるね」
「そうだな」
「バサルトはサバトと似てる」
「それはどうだろう」

 どうやら皆守の声は届いていないようだ。ふらふらと覚束ない足取りで歩き回っていた葉佩が、唐突に床に寝転んだ。
 溜息をついて、皆守がそれに歩み寄る。見下ろすと、葉佩は意識を失っていた。放置して帰ろうかと一瞬だけ考えたが、思いなおして脱力した体を持ち上げ、肩に担ぐ。

「地上最強ぐらいじゃ割に合わないな」

 聞こえていないとは分かっていたが、声に出して言ってみた。さっきの様子では、気絶している間に連れ帰ったなどと知れたら間違いなく恨まれるだろう。まあ、すぐに忘れるだろうが。
 しょうがない奴だとうそぶく唇は、どこか楽しげに歪んでいた。