緋勇の不在をしきりに案じる蓬莱寺に、劉と霧島が口をそろえて異を唱えた。
「でもなー別にちょっと行方くらましただけやで?」
「そうですよ、不穏な氣も感じないし、心配しすぎじゃないですか?」
「アニキだって独りになりたい時ぐらいあるやろし」
「あいつが一人になると大概は碌な事にならねぇ」
「京一先輩だって行方不明になってたじゃないですか」
「あれは・・・俺はいいんだよ」
心当たりがありすぎて一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに思いなおす。
蓬莱寺は戻ってきた。帰るべき場所を過たず、心が欲するものを認めて、必ず自分はそこへ戻るのだと決めている。だが、緋勇はどうなのだろう。もしかしたら彼はこの場所に如何なる執着も持たず、流れ去るつもりでいるのではないか。蓬莱寺や他の仲間が彼を信頼するほどには、彼は仲間を信じていないのでは。そんな不安を、どうしてこの二人は抱かずにいられるのだろう。
憎しみすら込めて、無邪気な信頼を口にする二人を見る。自分が酷く狭量な気がして、蓬莱寺は思わず奥歯を噛み締めた。このもどかしい心は、緋勇にとってはただの束縛でしかないのかも知れない。
いつの間にか蓬莱寺の斜め後ろに移動していた猫が、ふいと鼻を上げた。それを見留めた霧島が、軽い口調で疑問を投げて寄越す。
「その猫、京一先輩のですか?」
「は?いや、違うけど」
「そうですか?なんかでも、一番懐いてますよね」
言われて足元を見る。目が合った、と思った直後に逸らされた。やっぱ可愛くねぇ。苦く呟く。まったく懐いてなどいない。劉の方がよほど気に入られている。そう言うと、今度は劉が反論した。
「でも、ずっとそっち見てたで」
「そうか?」
「うん、抱いてても心は違う男に向いてんやなーって思て寂しゅうなった」
「変な言い回しすんな!」
反射的に劉の頭をはたき、気品すら感じさせる姿で足元に佇む猫を見下ろす。ためらいがちに手を伸ばしてみると、しかし猫はするりと身をよじってその手を躱した。
「・・・やっぱ嫌われてねぇか?」
「そんな事ないですよ!」
「そうや!きっと照れてるだけや!」
「京一先輩が大好きすぎて恥ずかしがってるんですよ!」
「あああ!いじらしゅーて泣けてきたわ!」
「いや、なんかもうその想像が聞いてて恥ずかしい」
熱く語る二人を見遣り、乗り遅れたような気持ちで猫を見る。やはり視線は合わない。
緋勇の不在も、言い募られてそれほど心配する事ではないのかと思い始めている。高校生の男一人、一日ぐらい姿を見せずとも騒ぐ必要はない。そう思う反面、どうしても不安は禁じえない。彼は命を懸けた戦いの中にいる。その傍らに立つ自分は、本当に彼の心を支えるに足る人間なのだろうか。或いは、傍らに立つと信じているのは自分だけなのではないか。彼にとって自分は、守るべき無力な存在でしかないのでは。
様々な疑念を振り切るように顔を上げ、まだ猫について語っている二人に言う。
「やっぱちょっと探してくる」
「そんなに心配ですか?」
「ただの自己満足だよ」
たいらかな気持ちでそう言って、蓬莱寺は走り出した。
再び数少ない心当たりを探し回り、しかしどこにも見当たらなくて、蓬莱寺はすっかり暮れた空を見上げた。旧校舎の外壁に背を預け、心で彼の名を呼ぶ。我が身の滑稽さに気付き、視線を落す。そうしてから、思わず声を上げた。
あの黒猫が、手を伸ばせば届く位置に座っていた。先回りされていたのか、それともずっと付いてきていたのか。街中を走り回ったのだから、まさか後者ではあるまい。だがその美しい毛並みは、少しだけ煤けたように汚れていた。よく見ると、左の後ろ足に怪我までしている。
まさか、なんで、俺を嫌ってたんじゃねぇのかよ。確信には至らないが、蓬莱寺はそっと手を差し伸べてみた。予想どおりしなやかに躱されたが、怪我が痛んだのか僅かに歩を揺らめかせる。その隙を突いて、一息にその体をすくい上げた。途端に暴れだして爪を立てられたが、両腕でその動きを拘束するように抱き締める。お前、まさか旧校舎にまで付いてきたんじゃねぇだろうな。手に噛み付かれながら、何故か痛みにではなく泣きたくなった。
大丈夫だから、と、声には出さずに繰り返す。諦めたのか疲れたのかその両方なのか、猫が抵抗を緩めた。
俺がばかみたいにしぶといの、知ってんだろ?殺されても死ななかったんだぜ。ちょっと噛み付かれたぐらいで離すと思ってんのか。さも居心地悪そうに、猫は蓬莱寺の心臓の近くで息をしている。そのぬくもりに目を閉じると、後ろ足で腹を蹴られた。爪が服に引っ掛かって取れなくなっているのだと察し、苦笑しながら外してやる。意外と抜けてんな、お前。
ささやかな触れ合いにかじかんだ心を暖めていたら、遠くから名を呼ばれた。顔を上げると、猫が透かさず胸を蹴って腕からの離脱を果たした。くそ、油断も隙もねぇ。負傷した後ろ足を一度ふるりと震わせ、ぎこちない足取りで蓬莱寺から距離を取り、それでも立ち去る事はせずに少し離れた場所に座る。
近付く足音の主に思い当たり、怪訝に思いながらも蓬莱寺は顔を向けた。どこから校内に侵入したのか、霧島と劉が走り寄ってくる。
「京一せんぱーい」
「ほんまや、どっこにもおらへんかったー」
「みんなにも連絡入れてみたんですけど、誰も見てないみたいですよ」
「ああ、旧校舎にもいなかった」
「え、一人で潜ったんですか?」
「ああ!アニキ怪我しとるやないか!」
「だからアニキじゃねぇ!」
「アニキって呼ん」
「うるせぇ!」
と叫びながら放った拳は、しかしあっさりと躱された。
劉が差し出した手に身を預ける猫を横目で見ながら、なんでそいつは引っ掻かねぇんだよ、と眦をきつくする。そんな刃物にも似た視線を気にも留めず、劉が手の平に集めた氣を猫の後ろ足に近付けた。活剄で傷を癒そうとしているのだろう。そのような技を、蓬莱寺は持たない。
「京一先輩、どうします?」
「ん?ああ、まあ、これだけ探していねーとなると」
「意図的に身を隠してるのかも知れませんね」
「なんでだよ」
「さあ?」
無責任に可能性を提示する霧島の頭を一発はたき(突っ込みは礼儀だ。暴力ではない)、劉に撫でられて目を細める猫をチラリと見遣る。
追いかけるより、信じて待つのもいいかも知れない。一つ息を吐き、きっと走り回ってくれたのだろう後輩の汗ばんだ髪に、今度は手の平を軽く落す。少しだけ気まずそうな顔をして、霧島が「なんですか」と上目遣いに問う。それには答えず柔らかい毛を掻き混ぜると、戸惑いつつも霧島がその手を振り払った。それを追う事はせず、蓬莱寺が真っ直ぐに言い放つ。
「あんがとな」
「・・・そりゃ、龍麻先輩は僕だって好きですから」
「てめぇ諸羽!さやかちゃんはどーした!」
「それとこれとは話が別ですよ!」
「この腐れ餓鬼!二股だと?俺が許すと思ってんのか!」
「違います先輩!根本的にまず前提が激しく間違ってます!」
「アニキーあんま心配させんといてなー」
霧島の喉元に木刀を突きつけ、「一生涯さやかちゃんだけを愛します」という誓いを立てさせ、満足した頃には時刻は深夜を回っていた。何故かちょっと泣きそうになっている霧島から視線を外し、猫と戯れる劉にも礼を落す。
「礼なんか言われる筋合いないわ。ワイかてアニキ心配やもん」
顔も向けずにそう言って、劉はぎゅっと猫を抱き締めた。おいこら、随分と気安いじゃねぇかこの野郎。だが猫がそれを受け入れている限り、蓬莱寺に何事か発する権利はない。わだかまる苛立ちを飲み下し、どれほど緋勇を慕ったところで彼の心は知りようもないのだと悟る。
自分だけが彼を心配しているような顔で、どうやら二人には余計な気苦労をかけてしまっていたらしい。詫びを言おうかどうしようかと迷っていると、劉が猫を見たまま言った。
「寒なってきたな」
「そーだな、帰るか」
「猫は、まず流水に浸してー」
「は?」
「弱火で長時間じっくり煮込むと美味いんやで」
「!!?」
「なんやねん、豚だの牛だのは食うけど猫は食わんて?それはあかんで、差別や。生き物はみんな食えるんやで。可愛いとか可愛くないとか賢いとか賢くないとか、そんな人間の都合で肉を区別すんのは失礼ってもんや!」
劉がきっぱりと、澄んだ目で言い放った。肉と言い切られた猫は、しかし劉の腕の中でくつろいでいる。
猫!早く逃げろ猫!食われるぞ!アニキ食う気満々だぞこいつ!蓬莱寺が放たれた言葉を理解して、だが如何なる反論も言い出せず、劉の腕に抱かれる猫に心で叫ぶ。霧島までもが、涙目を隠すのも忘れて劉の袖にすがり付いた。
「劉さん!ちょ、ちょっと待って!あの」
「でもこいつは食わんよ。食ったらのうなってまうやん」
「は、はい?」
にこっと笑って、劉は猫を抱いたまま踵を返した。霧島は、思わず蓬莱寺の腕を引っ張った。いいんですか?二人っきりにして。無音で問い掛ける視線に、いい訳ねぇだろ、とやはり声ではなく返す。去って行く背中に全力で追いつき、しがみ付いた。
「駄目だ!劉!お前にゃ任せらんねぇ!」
「ややねん!今夜はアニキと寝るんや!」
「だからいい加減アニキはやめろ!違うもん想像しちまう!」
「なんや、やらしいなー京一はん」
「分かってて言ってんだろお前!」
「あ!アニキ!」
危機を察知したのか、はたまた騒音に耐え切れなくなったのか、猫がひらりと地面に降りた。とん、と軽やかな音を立て、一度だけチラリとこちらを振り向き、そのまま夜の闇へと消えてゆく。あとに残された人間が、呆然とそれを見送る。
一気に疲労が押し寄せて、蓬莱寺は考え得る限り最良と思われる提案を示してみた。
「・・・帰るか」
「そやね」
「はい」
力なく同意が返る。校門を飛び越え、再会を約束する言葉を挨拶にして別れた。
結局、緋勇の行方は杳として知れない。寒い思いなどしていないだろうか。裸に剥かれて電極など挿されていないだろうか。脳裡をよぎる様々な映像を振り切るように、蓬莱寺は道を踏んだ。
街灯に照らされたその道に、黒い影が横切った。はっとして振り向くと、予想に違わず闇夜に紛れるような黒い毛並みが佇んでいる。なんだよ、帰ったんじゃねぇのかよ。野良なのか?帰るとこねぇのか?優しく迎えてくれる人、お前にはいないのか?
暫く逡巡してから、もう何度目か、そっと手の平を差し出してみた。素気無く躱されるかと思った手が、しかし確かにぬくもりに触れる。しなやかな毛並みに触れ、少し冷たくなった鼻先に触れた。抱き上げても、爪や牙は刺さらなかった。
自宅のドアを開けると、不機嫌そうな母の声に鋭く呼ばれた。普段ならば怒鳴り返すか吐き捨てるかしているのだが、今日は素直に謝罪が出てきた。だが猫を腹に隠していたので、文字どおり顔だけ見せてすぐに部屋へと急ぐ。勘の鋭い彼女は何事か察したようだったが、追及はされなかった。きっと、それは信頼と称されるものだ。
部屋に着くなり腕を逃れた猫が、物珍しげに辺りを嗅ぎ回る。やがてベッドに上がると、枕に背中を付けて丸くなった。シーツ洗ったのっていつだっけ。などという疑問が湧き上がったが、深くは考えずに猫を押しやって自分もベットに潜り込む。
目覚めた時には姿を消しているかも知れない。そう思うと、少しだけ胸が切なくなった。
翌朝、やはり猫は姿を消していた。ああやっぱりな、と口中で呟き、窓もドアも閉め切られている部屋を見渡す。どこから出ていったのだろう。寝惚けたままそんな疑問を転がし、ふと時計を見てそれどころではないと気が付いた。
走りこんだ教室では、緋勇がもう席に着いていた。桜井に詰問されるのに忙しく、蓬莱寺に視線を向ける暇はなさそうだ。他人事のようにそれを見ていた醍醐が、軽く片手を上げて笑った。同じように返し、席に着く。
「ひーちゃん、昨日どこ行ってたの?」
「どこへともなく」
「ちょっとカッコイイ言い方しても駄目!心配したんだよ!」
「そうか、すまなかった」
「無事だったんだから、もういいでしょう小蒔」
「でもさ、どっか行くんならせめて行き先ぐらい教えてよ」
「分かった、次からはそうする」
「絶対だよ?」
「もう、小蒔ったらお母さんみたいよ」
「ひーちゃんが子供みたいなんだよ」
「龍麻にも言いたくない事ぐらいあるでしょう」
「言いたくない事は言わないから安心しろ」
「そっか、それなら安心だね」
美里に宥められ、緋勇を責める言葉を見失い、桜井が叱責を忘れて頷いた。巧く躱されてしまったのか、それとも真摯に対応されたのか、それすらも判じかねている。なんとなく釈然とはしていないが、言及する手段も既に逸して、あれ?と呟き首を傾げた。そんな桜井の後ろから、醍醐がひょいと覗き込んで言った。
「龍麻、足をどうかしたのか?」
「不覚を取ったが、大事には至ってない」
「そうか?」
「ああ、劉がいたからな」
「劉と一緒だったのか」
「霧島もいた」
「へえ、そーだったんだ」
「息災だったぞ」
「そくさいって」
緋勇の言葉に、思わず振り向いた。足の負傷、劉と霧島。だが引っ掛かった言葉を明確にする前に、始業の鐘が鳴り響く。形而上に留まった疑念は、教員の声に掻き消されて形を失った。
蓬莱寺は知らない。
寝入った蓬莱寺の指先に、猫が祈るような仕草で口付けていた事を。
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