皆守から視線を離さず、足音を立てて扉に歩み寄る。扉を開け、閉める。皆守が動きを止めた。気配は消したまま、皆守をじっと見詰める。皆守が、小さな声で囁いた。

「・・・葉佩?」

声には、焦燥のような色が混じっている。どこか心細そうなその声に、葉佩の心臓が急速に音量を増した。
 皆守が唐突につんのめった。辛うじて踏み止まり、やはり右手は壁に触れたまま扉に向かう。前方に差し出された左手が扉に触れ、輪郭を確かめるようにその表面を撫でた。扉が閉じられている事を確認し、鋭く舌を打つ。

「あの野郎・・・」

口中で呟かれた言葉が、誰に向かっているのかを察した。扉を押し、開いた瞬間またしても前に転びそうになった皆守に、思わず手が出た。勢いの乗った皆守の全体重が縋り付き、危うく踏み止まる。

「あっぶねぇな、何してんだよ」
「はっ・・・はば、き?」
「目ぇ見えてねぇんだろ?無理すんなよ」
「は、はば、え、い、いた、のか?」
「ずーっと居たけど?」
「居たんなら返事ぐらいしろ!」

葉佩の肩に縋り付いたまま、皆守が叫んだ。表面には怒りが見えるが、その奥には確かな安堵が存在している。それを見出してしまった葉佩が、思わず頬を引き攣らせた。凭れかかってくる体温が、非常に気まずい。しがみ付く手を引き剥がそうとして、それを拒む動きに気付いた。存在を確かめるように、心臓の近くを強く握られる。心臓が、まるで直に掴まれたように痛んだ。

「動くな。掴まりづらい」
「えっと、いや、でも、あの」
「目薬とか持ってないのか」
「持ってない」
「じゃあ責任とれ」
「俺の所為かよ」
「お前の所為だろ」
「うん、まあ、そうなんだけど」
「おい!いきなり動くな!」
「動かなきゃ出らんねぇだろ!」

怒鳴り合いながら、皆守を引っ張って部屋を進む。進路には、草木の生い茂り、木の根が縦横に這う不安定な足場があった。常時ならば簡単に跨いで歩けるのだが、皆守は爪先を引っ掛けては苛立たしげに舌打ちをしている。その度に縋り付いてくる体温が、耐えようも無く熱い。

「・・・あっちぃ」
「言うな。余計に暑くなる」
「おい、あんまり引っ張んなよ」
「しょうがないだろ」
「あ、たまねぎ」
「腹が減ったな」
「ちょっと待ってて」
「作ってくれるのか」
「たまねぎ殲滅が先ね」
「俺よりたまねぎが大事なのか」
「言ってて疑問は感じないの?」
「我ながら女々しい科白だな」
「うん、違うんだけどまあいいや」

 前方にたまねぎ(仮)がうろうろしていたので、皆守を離して銃を構える。その背中に、鈍い衝撃が走った。思わず揺らいだ重心をどうにか立て直し、葉佩が背後に向かって叫んだ。

「離せよ!たまねぎが居るって言ってんだろ!」
「動くなっつってんだろ!」
「ちょ、マジで、うわ」

こちらに気付いたたまねぎ(仮)が、愉快な奇声を上げて襲い掛かってきた。その後ろには蝙蝠(仮)も見える。ここで葉佩まで視力を奪われたら、面白いでは済まない事態に陥るだろう。離そうとしない皆守を背中に貼り付けたまま、ほぼ勘だけでトリガーを絞る。
 戦闘が終わった時には、葉佩の体力と精神力はギリギリだった。

「ねえ皆守」
「何だよ」
「もうちょっと離れない?」
「何でだ」
「・・・動きづらい」
「だから動くなって何度いえば」
「何で呆れてんだよ!俺が物分かり悪いのかよ!」
「違うのか?」
「全然さっぱり1oもかすってすらいねぇよ!」
「でもお前は鈍いよな」
「蝙蝠にあっさり失明くらってる奴に言われたくねぇ!」

そろそろ本気で腹が立ってきた。確かに自分の行動が原因ではあるのだが、この状況はもうなんだか居た堪れない。いつの間にか慣れてしまった花の香りに混じって、僅かに汗の匂いがする。それが葉佩にとっては、とてもじゃないが耐えられそうもなかった。つまり、いわゆる、捻らずに表現すると、甘酢っぱい。まるで苦痛を訴えるように、心臓がやけに自己主張している。

「鬱陶しい・・・」

自分の心臓に向かって呟いた言葉は、知らず声になっていたらしい。それを聞いた皆守が、一瞬だけ躊躇ってから手を離した。離れていった熱に、安堵と後悔が同時に押し寄せる。こんな風に些細なきっかけで、色々なものを失ってきたような気がする。
 皆守が不安定な足取りで数歩だけ後退り、根につまづいて慌てて壁に手を付いた。顔は逸らしたまま、低く囁く。

「嫌ならいい。一人で帰れ」
「え、あ、いや、お前じゃないよ」
「無理するな。俺はどうにでもなる」
「どうするつもりだよ」
「どうにかなる」

俯いたままそんな事を言われても、頷けるほど葉佩は非道ではない。視力を失った級友を放置して帰って、もし遭難でもされたらさすがに目覚めが悪い。溜息をつき、皆守の手を乱雑な動作で掴んだ。掴まれた瞬間、ビクリと全身が震えた事は指摘しないでやった。しっかりと握り返された手が汗ばんでいる事に気付き、少しだけ葉佩の気分が沈む。
 皆守の手も、決して綺麗ではないのだろう。土が付着している、という意味ではなく。

「いいから、早く帰ろうよ」
「・・・」

皆守は何も言わずに、葉佩の肩を強く掴んだ。たったそれだけで沸き立つ心を、苦労して静める。
 肌に触れる空気は、熱と湿気を含んでいる。シャツと上着とベストを通して触れる手が、それ以上に熱い。顔が熱いのは気のせいだろうか。やばい。いま顔を見られたら物凄く恥ずかしい。皆守の視力が戻る前に、この場を切り抜けなければ。無理矢理に気分を別の方向に盛り上げ、葉佩が自分を鼓舞する。此処は遺跡だ。望み、或いは憎みながら、ずっと唯一の居場所だった、永劫の闇だ。深く呼吸を繰り返し、なんとか冷静さを呼び覚ます。その直後、皆守が爆弾を投げた。

「悪かったな」
「・・・は?」
「いや、だから、迷惑かけて」
「・・・え、いえ、そんな、滅相もない」
「もう少しゆっくり歩いてくれ」
「あ、え、ええっと、了解」

呼び覚ました筈の冷静さが、跡形も無く吹き飛んだ。意味も無く、手近にあった葉を引き千切る。破壊衝動によく似た欲求が、腹の底から湧き上がった。無意識にナイフの柄を握り締め、それを抜いて突き立てたくなる衝動をじっと堪える。
 助けてやっちー!やっちー無理なら化人でもいいから!ラスボスでもいいから!誰か!
 心の中で叫びながら、階下に続く梯子まで辿り着いた。いまだかつて、これほどまでに遺跡で疲労を覚えた事があっただろうか。あ、あったかも知れない。死にそうになった事もある。それを思えば、たかが級友の意外な一面など、取るに足らない。そうだ、頑張れ俺。負けるな俺。俺は《宝探し屋》だ。
 何故かHPを削られている葉佩を、皆守が怪訝な表情で窺っていた。

「どうした?」
「何でもないです。気にしないでください」
「何だその口調」
「いえ、ほんとに何でもないっすから」
「誰だお前」
「むしろそれは俺が言いたい」

葉佩の言葉に、皆守は首を傾げた。自分の言動が、葉佩にどれほどの影響を与えているのか理解していないようだ。皆守が疑問符を頭上に浮かべながら、葉佩に導かれるままに、階下に続く梯子の前に立った。立ち止まった葉佩に、浮かべていた疑問符を投げる。

「何で止まるんだ」
「梯子、行けそう?」
「ああ、まあ、何とかなるだろ」
「根拠ある?」
「お前が居る」
「ごめんなさい」
「全否定か」
「ほんと勘弁してください」
「酷いなお前。知ってたけど」

言いつつ、皆守が梯子に足を掛けた。危なげない動作でゆっくりと降りてゆく。それを見届け、葉佩も階下に飛び降りた。着地の音に耳を澄ましていた皆守に、無意味と知りつつ笑みを浮かべてみる。分かっていたが、反応は無い。顔を逸らしたまま、皆守が手を差し伸べた。きっとその手は、数え切れないほどの怨嗟を生み出したのだろう。微睡んだまま、人に永遠の眠りを与えたのだろう。その筈なのに、眼前の手は恐ろしいほど綺麗だった。
 傷一つ無い手を、傷だらけの手で握り返す。罪を犯しているような気分になった。新雪に足跡を残すような快感を伴う罪悪感が、葉佩の心臓を圧迫する。

「まだ見えない?」
「・・・見えない」

その言葉を信じて、皆守の顔を凝視した。瞳は見えるが、視線は合わない。その目に葉佩が恐怖した。何も映さず、ただ彼岸だけを見るようなその目。傷も痛みも、彼を本当には動かさなかった。自身の破滅すら意に介していない。そのように見えた。では、これほどまでに葉佩を苛む熱は幻なのだろうか。乞うような気持ちで、何も映さない瞳を凝視する。
 皆守が手を伸ばした。手探りで葉佩に触れ、輪郭を確かめるように表面を撫でる。その左手を、葉佩がきつく握り締める。確かに痛みを感じているだろう皆守は、しかし何も言わなかった。ただ、葉佩の汚れた指を握り返した。

 離したくない。
 いつかは、離さなければ。

 声には出さず、二人が同時に心で呟いた。