校庭の隅に落ちていた、綺麗な石が目に入った。薄い青色で、光に透かすとわずかに透明度を持っているのが分かる。自分でも意味は分からなかったが、なんとなく、ポケットに入れた。

 昼休みになって屋上で寝転んで、皆守は先ほどの自分の行動を理解した。彼が好みそうだと思ったのだ。彼に渡したら喜んでくれるだろうかと想像して、あの石を拾い上げてポケットに入れたのだ。
 皆守の歩幅で10歩ほどの場所で、葉佩は何やらH.A.N.Tを見つめている。座り込んだ膝にH.A.N.Tを乗せて、葉佩はこちらに視線も向けない。

 皆守がポケットに手を入れるとほぼ同時に、葉佩が飛びすさって銃を抜いた。

 ポケットから出てきたのは、先ほど拾った青い石だ。ピタリと迷いなく向けられた銃口に、皆守が呆気にとられている。葉佩は唇を噛み締めて、まるで悔やむような顔をした。

 皆守は後悔した。彼を理解しているなどと、または理解しようだなどと、愚かしく憐れな自分を恥じて後悔した。
 葉佩は唇を噛み締めたまま銃を上着に隠して、皆守から目を逸らした。青い石は、まだ皆守の手の中にある。きっと葉佩の目にも入っているであろうそれは、少しの間だけ日を浴びて、すぐに闇へと戻された。
 そのまま顔を上げずに目を閉じて寝転んだので、葉佩の表情は分からない。分からないが、きっと傷ついたような顔をしているに違いない。そんな顔は見たくない。

「みなかみ」
「腹が減った」
「あんパンならあるけど」
「だからどうした」
「それ俺が言いたかったな」
「言えばいいだろ」
「そうだけど!」
「撃たなかったな」
「撃たねぇよ」
「そうか」
「お前がいきなり」
「ああ、俺が悪かった」

 本心からそう言うと、葉佩は黙り込んでしまった。声は聞こえないのに、彼の心が聞こえてくるような気がして、気のせいだと分かってはいたが、皆守はあやうく手を伸ばして彼を抱きしめそうになっていた。もう少しでも気を抜いていたら、行動に移してしまったかも知れない。

「さっきの、なに?」
「気にするな」
「気になる」
「つまらない事だ」
「だいじょぶ、お前って時々面白いから」
「お前ほどじゃない」

 葉佩が動いた気配を察して、皆守は目を開けて身を起こした。予想以上に接近していた葉佩に思わず顔をしかめると、葉佩はそれ以上の動作を止めて先程と同じ体勢で座り込んだ。皆守のすぐ横で、葉佩は待っている。何を待っているのかと問うのは愚かな事だと思いつつ、愚かな皆守はやはり問うてしまう。

「なんだ?」
「見せて」
「何を」
「さっきの」
「ああ、これか」
「違う!」
「違うのか」
「なんで俺がそんなもん見たがるんだよ」
「いや、お前って時々不可思議だから」
「皆守ほどじゃねぇよ」
「ああ、いつも不可思議だな」
「ふかって何?」
「あ?」
「不思議とどう違うの?」
「知らん」

 予測不可能な方向に話題が逸れたので、皆守は流れ去った話題を取り留めるのは諦めて、ポケットの中の青い石を再び日の下にさらす。葉佩の視線が、獲物を発見した猛禽のように直線的にその石へと向いて、ほどなく皆守へと注がれた。
 皆守の視線は、一瞬だけ葉佩の顔を経由して、自分の手、つまり青い石に落とされていた。ふたりの視線はかすりもせずに、ただ葉佩はじっと皆守の顔を凝視している。

 葉佩に凝視されるのは、そう珍しい事ではない。彼は、人間も物体も現象も、同じように無遠慮に凝視する。その不作法が、彼の他人の感情を想像する能力が著しく低い事を表しているのだと、漠然と皆守は考えていた。他人の感情を想像できないのは、自分の感情をうまく理解していないからだ。それならば。
 皆守は落としていた視線を上げて、葉佩の顔を見た。

 視線が正面からぶつかり合う。葉佩は目を逸らさない。探るように、慎重に、皆守のどんな小さな動作も見逃さぬよう、注意深く見つめている。その表情から感情は読み取れない。
 草むらでカマキリを見ていた時と同じ目だ。彼は、カマキリの狩りが見たいと言って、皆守が飽きてその場を離れても、じっと草むらに膝を付いていた。さすがに翌朝にはいなくなっていたので、少なからず皆守は安堵したのだ。

 それはさておき、葉佩はそんな目で、じっと皆守を見ていた。それはほんの数秒の事だった。

「・・・」
「・・・」
「なんだよ!」
「はいお前の負け」
「え、なに、なんで?」
「先に目を逸らした方が負けだ」
「そ、そうなの?」
「知らないのか」
「じゃあもう一回!」
「いやだ」
「なんでだよ、ずるい!」
「知らないお前が悪い」
「えーずるいー!」

 皆守の肩を掴んで、葉佩が大声で主張する。きっと彼も、凝視される居心地の悪さというものを体感したのだろう。目が合って、逸らされず、じっと見ているという行動が、どれほど人の心を乱すのか、思い知っただろう。

 石は、まだ皆守の手の中にある。彼はこれを好むだろうか。欲するだろうか。差し出しても彼が興味を示さなかったら、どうしよう。その可能性に気付いてしまえば、手中の、一見して美しいと感じた青い石は、急速に価値を失った。
 その辺に転がっていた、なんの変哲もないただの石ころだ。つまらない、くだらない、文字どおりの路傍の石だ。
 手の中のそれを、ポケットに入れた。彼がいない時にでも、どこかに捨ててしまおう。皆守が胸中でそう決めたのとほぼ同時に、葉佩がポケットに手を入れた。彼がいつも着ているあの重たそうなベストではなく、皆守の上着のポケットに。

「人のポケットに手を入れるなと何回言えば」
「見せろよ!」
「なんで」
「見たいから!」
「見てどうする」
「それは見てから決める!」
「さっき見ただろ」
「よく見えなかった!」
「乗るな重い!」
「じゃあとっとと出せよ!」
「これか?」
「だからそれじゃねぇっつってんだろ!」

 なぜか高確率でポケットの中に存在している割り箸に付いてくる爪楊枝は、あっさりきっぱり無価値と判断された。ほんのりと、わびしくなる。必要とされる事を想定して存在している爪楊枝は、しかしだいたいがこのように扱われるのだ。この物体は、どうしてここにあるのだろう。誰にも必要とされていないのに。

「な、なんだよその顔」
「いや、なんか悲しくなってきた」
「なんで?」
「腹が減ったな」
「よし、分かった」
「たぶん分かってないんだろうな」
「さっきの石を見せてくれたら、カレーパンあげる」
「これか?」
「それ!」

 手の平に乗せて、葉佩に差し出す。どうして拾い上げたのかも思い出せなくなるほどに、それはあまりにもつまらないただの小石だった。くすんだ青が、日を浴びている。
 無言のまま、葉佩はそれを手に取った。無表情に見おろして、光に透かして、手の中で転がして、そうしてから皆守を見た。

「石英だ」
「ふうん」
「きれいだね」
「そうか?」
「くれるの?」
「欲しけりゃな」
「ありがとう」

 そう言って笑った葉佩の頬が本当に嬉しそうに見えて、皆守は思わず目を逸らした。どうしてたったこれだけの事で、彼はそんなにも喜ぶのだろう。どうしてたったこれだけの事で、この心はこんなにも沸き立つのだろう。
 葉佩はその石を、さも大事そうに握り締めた。まるで世界で唯一の秘宝を手にしたかのように、誇らしげに、それはもう嬉しそうに笑った。

 もう一度ありがとうと言って、葉佩はまっすぐに皆守を見た。どうせすぐに興味も失せて忘れ去られるのだろうとは思ったが、彼の手の中にある青い石が、せめて今だけでも宝石であるのなら、きっと無価値ではないのだと、淡く祈るように信じた。

「で?」
「え?」
「見せたぞ」
「ああ、カレーパンね」
「早く出せ」
「ちょっと待ってて、買ってくる」
「詐欺だ」
「え、いや、違うよ?」
「今すぐに出せ」
「あんパンなら」
「阿門に言いつけるぞ」
「色々とどーゆー事だよそれ!」
「あとコーヒーも」
「はいはい、ちょっと待っててね」
「早くしろよ」
「分かってるよ」
「3分だ」
「いいよ、数えてて」

 ひらりと柵を乗り越えて、葉佩の姿は見えなくなった。ほどなく戻ってくるだろうと、あるいはこれが最後だろうと、言語にも満たない感情を胸中でもてあそび、皆守は目を閉じた。

 ふと脳裡に浮かんだ映像が、夢とも空想とも判じ得ず、また皆守に判ずる意思もなく、曖昧なまま鼻先ではじけた。
 たとえばあの憐れな子供が、何かの間違いで生きながらえたとする。そして、あの石を捨てる機会を逸してしまっていたら。そんな事は有り得ないと思いつつ、否定する根拠も存在せず、皆守はまどろみを追いつつぼんやりと後悔する。

 彼にあげるのなら、ほどなく消え失せてしまうような、はかない物にすればよかった。あるいは、問答無用で砕け散って燃え尽きるような爆発物にすればよかった。
 物理法則を無視しているようでも、やはり彼のポケットは有限なのだ。彼が生き残る為に多くの必要物資を収納しているポケットの片隅で、なんの役にも立たない小石が意味もなく存在している。

 価値もなく、意味もなく、ただ淡く青い石が存在している。皆守のせいで。