明日も雨だって、と言いながら、葉佩がラジオを切った。ワイパーが行ったり来たりすると目で追ってしまうから、雨の日に運転すると危ない、と言ってハンドルを皆守に押し付けて、つい数秒前までは眠っていたはずの葉佩が。
皆守は応えず、平坦な道をひたすらに見詰めながらアクセルを踏んでいた。カーブもなく、地平線まで続いているのではないかと疑いたくなるような、まっすぐな道だ。町からも遠く、景色も変わらない。つまり退屈だ。要するに眠い。早い話が、葉佩だけが眠れて自分は眠れないという現状に、皆守は満足していなかった。
「切るな、つけとけ」
「なんで、うるさい」
「なんか聞こえてないと寝るぞ」
「じゃあ俺が歌ってやるよ」
「よし、たのむ」
「え、まじで?」
「早く歌えよ」
「え、ええと、やっぱラジオつけようか」
ふたりは、飛行機どころかバスさえ出ていない僻地のそのまた辺境へ向かっている。なんでそんな場所に向かっているのかといえば、ひとえに葉佩と皆守の職業が《宝探し屋》だからである。いにしえに消息を絶った文明が残したもの、今もなお地中に眠っている秘宝を掘り起こし、その意味と価値を詳らかにするのが彼らの仕事だ。
再びつけられたラジオから聞こえるのは、無表情な男の声だけだ。余計に眠くなる。そもそも皆守には、スペイン語がほとんど理解できない。耳に入ってくる情報は、喋り手が男性である、という事くらいだ。時折ジングルが入るのも、多少の刺激にはなるがそれだけだ。
葉佩は押し黙っている。
「おい葉佩」
「なんだよ」
「歌はまだか」
「歌ってのはね、楽しい時に歌うもんだよ」
「よし分かった、楽しい話をしてやろう」
「いえ、結構です」
「ウミウシって食えるんだぜ」
「知ってるよ」
「知ってたのか!」
「常識だろ?」
「そ、そうか?」
「じゃあ、デンキウナギは頭がプラスで尻尾はマイナスって知ってた?」
「・・・いや」
「ちなみにデンキナマズは逆ね」
発した言葉も発された言葉も、会話としては意味を成さなかったが、気を紛らす程度には有意義だったようだ。あくびをかみ殺し、けぶる道を見る。
雨脚が強まった。フロントガラスを打つ雨粒をワイパーで払いのけながら、皆守はこの道が永遠なのではないかと考えて、それが幻であると分かってはいたが絶望的な気分になった。こんな永遠はいらない。
「歌えよ、葉佩」
「なんで」
「いつもは歌うなっつっても歌ってんじゃねぇか」
「まあ、楽しかったら歌うよ」
「じゃあ俺が楽しい話を」
「もういいよ!」
「遠慮するな」
「あ、じゃあ、皆守の子供の頃の話がいい」
「ターメリックとウコンは、厳密には違うものなんだ」
「うん知ってる」
「なんで知ってんだ」
「お前に聞いた」
「そうだったか?」
「濃縮ウコンと濃縮ウランって、字面ちょっと似てるよね」
「まあ、否定はしない」
「なんで素直に肯定しないかな」
笑いながらそう言って、葉佩が煙草に火を点けた。苦い煙がふわりと広がり、視界の端をゆらゆらと漂う。皆守は、この匂いが嫌いではない。甘くもなく、有害なだけのこの煙りが、どちらかというと好きなのだ。不本意ながら。
目的地へは、まだ遠い。雨もやまない。岐路もない。他に車もいない。退屈だ。退屈が嫌いなはずの葉佩が、なんとなく楽しそうに見えるのは何故だろう。
「腹減らないか?」
「あ、おにぎりあるよ」
「何カレーだ?」
「エビフライおにぎり」
「斬新だな」
「クリームコロッケおにぎりもあるよ」
「カレーは?」
ぼんやりとした問いには答えず、葉佩はポケットから取り出したおにぎりを躊躇なく皆守の鼻先に持っていった。両手はハンドルに置いたまま皆守がそれに食いつくと、「ひい」と奇妙な音が聞こえて、おにぎりが離れていった。米粒が、口から零れてシートに落ちる。
「おい」
「卑猥なんだよお前は!」
「落ちたぞ」
「だいじょぶ、まだ食える!」
「食うな」
「なんでだよ卑猥のくせに!」
「意味が分からん」
「皆守のひわいー!」
なんだか不当に責められているような気がしたが、具体的に何を言われているのか分からなかったので、諦めて口の中に残った米とエビフライの咀嚼に専念する。カレーとライスほどではないが、不思議と調和しているような、そうでもないような、なんとも言えない味だ。
まずくはないのでまあいいかと結論づけ、律儀に米粒を拾う葉佩を横目でちらりと見やる。こっそり窺ったつもりが、葉佩もこちらを見ていた。目が合った瞬間、葉佩があからさまに顔をしかめた。
「なんだよ」
「いや、別に」
「ひわい」
「卑猥って言う奴が卑猥なんだ」
「お、俺は卑猥じゃねぇ!」
「そろそろ卑猥がゲシュタルト崩壊してきた」
葉佩がもう一度「ひわい」と呟いて、拾い集めた米粒を口に入れようとしたので、慌ててブレーキを踏んだ。普段は記憶の深層に埋もれている運動の第一法則を思い出すほど見事に、葉佩がダッシュボードにぶつかった。
「いてーな何しやがる!」
「拾い食いはやめろ」
「だってもったいねーだろ」
「腹壊すぞ」
「壊れねーよ」
「葉佩、知ってるか?」
「知ってるよ」
「食べ物は、いつか腐るんだ」
「ポケットに入れとけば腐らないよ」
あっさりきっぱり反論されて、過去にその引証となる事実が存在していたと認めない訳にもいかず、皆守はもう何度も味わった絶望を奥歯で噛み砕く。まだ飲み込めない。
理不尽だ。それでなくとも信じられるものが少なすぎるこの世界で、一般常識すら信じられないなんて、いったい何を信じればいいのだ。そもそも何かを信じる事こそが愚かなのか。まったくもって理不尽だ。人はそんなに強くない。せめて、大多数の人間が信じているであろう物理法則ぐらいは信じていたい。それも果かない望みなのだろう。物理法則など、ひとりの想像力でたやすく覆される。
そうして皆守は、常識を覆す超古代文明を憎みながら、今日も遺跡に向かうのだ。ああ理不尽だ。
「理不尽だ」
「何が」
「お前という存在が」
「え、な、なんだよいきなり」
「褒めてない」
「褒めろよ」
「どうすればお前を否定できる?」
「そ、そんな、やめろよ照れるじゃねぇか!」
「褒めてない」
「うん、分かってるよ」
葉佩が、新しいおにぎりを取り出しながら微笑む。自分の発言が「どうしてもお前を否定できない」とほぼ同義の言葉だった事に、皆守は30秒ほど経ってから気付いた。
道は絶望的なまでに続いている。その道を濡らす雨はまだ降り続いている。葉佩の言葉を信じるのなら、明日もこの雨は降り続くらしい。
「そろそろ給油するか」
「次のパーキングまで、あと180マイルだって」
「一時間ぐらいか」
「もっと飛ばせよ」
「なんで」
「ん、ああ、いや、やっぱいいや」
「何が」
「ゆっくり行こう」
スリップ怖いし、と言い訳のように付け加えられた言葉にうなずいて、ゆっくりとクラッチを繋ぐ。目的地までは、まだ遠い。
おにぎりを食べる葉佩に「ひとくち」と言ってみると、また鼻先に差し出された。皆守が懲りずに手を使わずに食いついても、悲鳴は上がらず、米も飛ばなかった。先程の騒ぎはなんだったのかと疑問に思ったが口には出さず、無言で咀嚼する。
中に入っていたコロッケは、カレー風味だった。「意外とうまい」と言うと、「当然だろ」と満足げな声が即座に返ってきた。当然ではない、とは、言わないでおく。
「ハイドロ、なんだっけ?」
「ハイドロサルファイト」
「なにそれ?」
「亜ジチオン酸ナトリウム」
「なに言ってんの?」
「それはお前だ」
「ほら、水ですべる、あの、タイヤが」
「ハイドロプレーニング」
「それだ」
「説明へたすぎだろお前」
「通じたんだからいいだろ」
「俺じゃなかったら通じないと思う」
「皆守に通じればいいよ」
雨が降り続いている。きっと明日も。
道が続いている。永遠ではないが。
ふと気が付くと、葉佩が低い声で歌っていた。今は失われた国の歌だと、いつだったか言っていた。皆守は、その真偽を確かめる術を持たない。ただ、真実であればいいと願っている。これが唯一であったら、と。
目的地はまだ遠い。
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