この布団には、莫迦弟子とその相棒が寝ていた。確かに、ゆうべはその二人だった。二日酔いで鈍痛のする頭をどうにか働かせて、昨日の記憶を探る。 莫迦弟子とその相棒が唐突にやって来て、勝手に飯を食っていつのまにか消えている、という事が過去にも何度かあった。俺が留守の間に酒を持ち込んで酔いつぶれているのにも、もう慣れた。 今回も同じように、夕刻が近くなってから莫迦弟子とその相棒が酒瓶を片手にふらりとやって来た。俺が自分の為に用意した夕餉に当然のような顔をして手を出して、持参の酒を飲み、相棒とたわむれて眠る。いつもの事だ。 相当な深酒を食らったので、早朝の出立はないだろうと踏んでいたが、どうやら俺の目もだいぶ耄碌したらしい。 寝乱れた布団と、畳に転がった酒器と空き瓶を見下ろし、今回も逃げられたかと舌を打った。一宿一飯の恩義など期待もしていないが、せめて礼のひとつも置いていけと、師匠と呼ばせている立場である以上は言い含めておくべきだろう。なんであんな風に育っちまったのか。俺の所為じゃないよな? 答える人を望まずに、問いを発する。いつの間にか染み付いた癖は、遠くなった人影を更に霞ませているようで、心がすうと寒くなる。そういえば、気付かぬうちに小雪も過ぎていた。 吸った息を溜めずに吐き出し、布団を上げようと手を伸ばした、その瞬間だった。何かが動いたのだ。右手が無意識に得物を欲する。しかしその手が馴染んだ柄に触れるより早く、布団の中から何かが這い出した。 這い出した黒い塊は、ちらりとこちらを見て、ふいと鼻先を逸らし、感触を確かめるように布団を踏み、見つけ出した何かに寄りかかり、くるりとその場で丸くなった。 次は、その黒いのの下が動いた。黒いのがさも不機嫌そうに片目を上げる。這い出したのは、赤茶の奴だった。上でくつろぐ黒いのをじろりと睨み、仕返しとでも言わんばかり、前足をその背中に乗せる。黒いのの尻尾が、ぱたりと布団を叩いた。それが不満のサインなのかそうではないのか、赤毛は気にせず、乗り上げた黒いのの首筋に鼻先をこすりつける。 「おいこら」 「にゃー」 「にゃーじゃねぇよこの莫迦、どっから入った」 くっついたふたつの毛玉ごと布団を持ち上げると、毛玉は絡まりあって畳に落ちた。そうだ、布団を干そう。逃避ぎみに思い立ち、縁側から外に下りる。しまった、草履は土間だ。まあいいか裸足で。視界に正体不明の毛玉を入れないよう、空を見上げる。と、裸の踵に鋭い牙が突き刺さった。ついでに脹脛には爪を立てられた。踏み潰すぞ。 どうして布団を干すのにこんな苦痛に耐えなければいけないのか。薄く血の滲んだ足を洗い、囲炉裏に火を入れる。湯を沸かし、ゆうべの残りも火にかけた。 赤毛は、物干し竿の布団に飛びつこうと努力している。黒いのは、その横でぼんやりと雲を眺めていた。顔は空を向いているのに、耳だけがこちらを向いていて、しかも時々ぴくりと何かに反応する。 赤毛がついに布団に前足をかけた。爪を引っ掛けてよじ登ろうとするのを見て、黒いのがすいと身を引く。冷静だなこいつ。予想どおり、赤毛の体重と勢いに耐え切れなかった布団が物干し竿から落下した。なんで赤毛はびっくりしてんだ。こんな事態は想像もしてなかったのか。莫迦か。莫迦なのか。誰に似たんだ。俺じゃないよな。 尻尾を逆立ててもなお布団にしがみ付いている赤毛は、状況を把握していないのか、しきりに耳を動かしている。しれっとしたまま黒いのがそれに近付いて、落ちた布団を踏んで、気に入った位置で丸くなった。薄情だなこいつ。と、赤毛は思わなかったらしい。丸くなった黒いのに鼻を近づけて、少しだけ様子を見て、攻撃されないと確信してからくっついて丸くなった。 赤と黒のひとつになった毛玉と、土で汚れた布団を見下ろす。いい天気だ。 諦観の境地で布団についた土を払って居間に投げ込み、煮立った鍋を火から下ろして椀に注ぐ。まず赤毛が顔を上げて立ち上がり、次いで黒いのがそのあとに続いた。 赤毛が膝に乗ってきたかと思うと、椀の中を覗き込んだ。朝飯までねだる気か。鼻先をはじくと、恨めしげな目をしたものの、赤毛はするりと身を引いた。それでも諦めきれないらしく、俺の膝に寄りかかって目を閉じた。眠ってはいない証拠に、尻尾がぺたぺたと床を叩いている。 ふと、黒いのと目が合った。物欲しそうにするでもなく、ただ淡々と、あるいは耽々と、金色の瞳をこちらに向けている。媚びてすり寄れば出涸らしの煮干しくらいはやったのに。 やがてふいと顔を逸らし、黒いのが少し開いていた戸の隙間から出て行った。赤毛の耳はずっと黒いのを追っている。俺には聞こえない足音も、この耳には聞こえているのだろうか。 しばらくすると赤毛も立ち上がり、黒いのと同じ所から出て行った。急にぬくもりがなくなって、膝の辺りが少しだけ寒い。 なんともなしに視界をめぐらせると、土間の片隅に脱ぎ散らかされた靴が目に入った。一足は片方がひっくり返り、もう一足はそのひっくり返った靴の上に重なっている。随分とくたびれたその二足の靴には、見憶えがある。莫迦弟子とその相棒の靴だ。靴があるのに、姿が見えない。 そして布団で寝ていたはずの二人が、いつの間にか二匹になっていた。 戸の向こう側で何やら物音がして、思考というにはあまりに曖昧な言葉が形を成す前に飛び散った。落ちた言葉のかけらを拾い集めるのは諦めて、少しだけ開いた戸を閉める為に腰を上げる。立て付けが悪いので、かんぬきを掛けないと隙間ができるのが難点だ。それ以外は、だいたい気に入っている。 やっと腰を落ち着けて飯が食えると思ったら、今度は縁側の方から音が聞こえた。たとえるなら、子猫ぐらいの大きさの生き物が転げまわって襖にぶつかるような音だ。またしても立ち上がって、襖が壊れるのを阻止せねばならなくなった。 俺が襖を開けるのと、赤毛が前足でヤモリを押さえつけたのは、ほぼ同時だった。ヤモリの尻尾を押さえつけたまま、赤毛が満足そうに俺を見上げる。ちなみに、その後ろのさっき投げ込んだ布団の上では、黒いのが丸くなっていた。眠っているように見えるが、やはり耳が立っている。 瀕死のヤモリを誇らしげに銜えて、赤毛が俺の足元に来た。ぽとりと床に落とされたヤモリは、死んではいないが生きているとも言いがたい状態だ。俺を見上げていた赤毛が、まるで主張するように前足でそれを突付く。 猫のこのような行動は、主人に獲物を献上しているという説と、狩りもできない人間に手本を見せてやっているという説がある。なんとなく俺は、後者を支持する。なんとなくだが。 とりあえず、瀕死のヤモリをつまんで外に放り投げておいた。弱ければ死ぬ。今更なんの感慨も湧かない、いたって正常な摂理だ。この世がどうしてそんな風にできているのかは、知らないし興味もない。 獲物(おもちゃ?)を奪われた赤毛が脛に飛びかかってきた。黒いのは、頑なに寝たふりをしている。 今度こそ腰を落ち着けて、途中だった椀を持ち上げた。足にじゃれつく赤毛はそのままにして、野菜と米を煮込んだだけの汁をすする。ことんと背中に落ちてきたぬくもりは、たぶん黒いのだろう。 赤毛も俺の背中に回りこみ、しばらく些細な領土争いをしていたが、やがて静かになった。こっそり肩越しに振り返ったら、黒いのが眠った赤毛の毛づくろいをしているのが見えた。見てはいけないもののような気がしたのは何故なのか。 空になった鍋と一人分の椀を洗って居間に戻ると、二匹は消えていた。代わりにでかい図体の男が二人、折り重なって囲炉裏端の座布団を占拠している。子猫ならば許せる所業も、こいつらだと許せなくなるのは実に不思議な現象だ。占める体積の違いだろうか。互いに暖を求めた結果なのだろうが、やけにくっついているのも目に余る。 目をそらして見なかった事にするか、それとも蹴り起こして土間に叩き落とすか。 迷うまでもない問いが流れ去るのを見送ってから、そっと音を立てぬよう足を踏み出した。 |