そこは旅の途中で立ち寄った、小さな農村だった。
 隣を見たら、相棒がいなくなっていた。さっきまで、確かに隣を歩いていたのに。相棒は口数が多い方ではない。時に必要な事さえ言葉を惜しむその癖にも、もうだいぶ慣れたと思っていたのだが、それがいけなかったのか。話しかけても声が返らない事に慣れすぎて、彼の不在に気づくのが遅れてしまった。相棒は足音も立てずに歩く。しかも無口なので、目視の他にその存在を確認する術がないのだ。
 彼の身を案じているのではない。彼を害する人がいたら、弟子入りしてもいいと本気で思うほどには、彼は強く頼もしい。ただ、少しだけ、その、手加減を知らないというか、厳しすぎるきらいがあるというか。酒場で絡まれて、うっかり黄龍をぶっ放す彼を止めそこなったのも、遠い記憶ではない。あの時は相棒も自分も酔っていたし、幸い人死にが出るほどではなかった(彼が自制したのだろうか?)ので事なきを得た(逃げおおせた)が、次もそんな幸運に出会えるとは限らない。

 脳裡を行き過ぎる様々な過去の映像を振り切るように、舗装されていない道を走る。ひしめき立つ民家の隙間から、子供の声が聞こえてくる。楽しそうな歌声、笑い声、幼い泣き声、一際よく通る力強い声は母親だろうか。平和だ。彼や自分など似つかわしくないほどに。
 最近どうにか片言には扱えるようになったこの国の言葉で、相棒の行方を知る者を探す。特徴的な容姿ではないが、旅人など珍しいこの村で余所者は目立つに違いない。
 予想違わず、程なくして相棒は見つかった。大声で名を呼ぶと、古びた家屋の前で老翁に捕まっている彼が振り向いた。歩み寄って不意に消えるなと苦言を呈せば、お前の位置は把握していると事もなげに返ってくる。何かあったら俺を呼べ、すぐに行く。そう続けられて、不本意ながら言葉に詰まった。ときめいたからではない。呆れたのだ。
 そうしてから、彼が覗き込んでいる老人の手元に視線を落とす。皺の刻まれた手にあるその物体が、どのような目的で作られた物なのか咄嗟に判ぜられず、警戒しつつも好奇心に負けて彼と同じように覗き込んだ。老人が髭の間でにやりと笑い、それを顔の高さまで持ち上げる。

 瞬間、小気味好い音が鼓膜を刺激した。それがシャッター音だと気づいた時には、老人はしてやったりの表情でこちらを眺めていた。随分と年代物のカメラを構えて、嬉しそうに何事か語っている。しかし発せられる言葉は早口な上に訛りが強く、ようやくいくつか単語を憶えたばかりの耳は、それを理解できなかった。
 戸惑う異国の若者二人に、老人が笑ったまま再びカメラのレンズを向ける。思い立ち、相棒の肩に手を置いてみた。カメラの向こうの皺だらけの顔に笑いかける。やっと察したのか、相棒も肩に手を回した。
 隣に相棒、背には青空。記念撮影には打って付けだ。

 数時間ほど待ち、引き換えに少々の小銭はせびられたが、二人に一枚の写真が渡される。
 あいつらに送ってやるか、と呟いたのは、二人ほぼ同時だった。