葉佩が走り出した。それを追わず、皆守はあと数歩という所まで迫っていた化人に爪先を叩き込んだ。
 耳障りな絶叫よりも、薄ら寒い呪詛を残される方が後味が悪い。しかし味が悪くとも、飲み込んでしまえば同じだ。ならば、味の良し悪しなど気にかけるのも無駄だ。そんな事を考えながら、H.A.N.Tの「敵影消滅」の声を待たずに皆守も走り出した。

 開け放たれたままの扉の向こうでは、葉佩が昆虫のような化物の首にナイフを突き立てていた。ねばついた液体が葉佩の顔にかかる。それでも表情が変わらないのが、少し気持ち悪い。
 ブーツに食いついた巨大な昆虫に似たものを振り払いもせず、葉佩が歩き出す。止めても止まらないだろうな、と皆守がこっそり溜息をついた。秘宝とおぼしき物体が、葉佩の目の前にあるのだ。たとえ背後から攻撃されても、死なない限り止まらないだろう。












 王が不在のまま秘宝は略奪され、神聖なる祈りは浅ましい盗賊に蹂躙された。そんなイメージをぼんやりと浮かべつつ、皆守はアクセルを踏み込んだ。
 しばらく黙々と帰路を進んでいたが、葉佩が助手席でまどろみ始めたのに気付き、ギアを落とす。振動した車内で、葉佩がさも不快そうに小さく身じろいだ。

「おい葉佩」
「ん、うん?」
「そのうち死ぬぞお前」
「そうだね」
「死んだら秘宝もゲットできないぞ」
「死んだら悔しくもないから、いいよ」

 むしろ生きて秘宝ゲットできない方が無理。そう言って、葉佩はシートに背を預けて目を閉じた。本心なのだろうと、失敗したカレーを飲み込むような気持ちでその横顔を睨む。
 残念ながら、道は平坦だ。舗装された車道は実に快適で、空には月まで出ている。思わず舌を打つと、葉佩が「なんで」と呟いた。寝言だろうと反応せずにいたら、葉佩がまた同じ言葉を繰り返した。

「なんで」
「気にするな」
「俺が死んだら駄目なの?」
「死にたいのか」
「死にたくないよ」
「だったら、もう少し考えて動け」
「でも、しょうがない」
「何が」
「いつ死ぬかは、俺じゃ決められない」

 ああそうだなと喉の奥で頷きながら、皆守はそれに対する反論を持たない自分を憎んだ。悪酔いしたような不快感が、腹の辺りでわだかまる。
 それに気付いているのかいないのか、葉佩は目を開けて月を見上げた。

「ねえ、皆守」
「寝ろ」
「生きててよかった?」
「殴るぞ」
「俺はね、産まれなければよかった」
「そうかよ」
「皆守は?」
「腹が減った」

 葉佩が少しだけ笑ってポケットを探った。しかし目当ての物は入っていなかったらしく、何も言わずにまた両腕を胸の前で組み合わせた。ブーツを履いたままの足は、先程からずっとダッシュボードに乗せている。
 そのまま静かになったので、やっと眠ったかと安堵して、皆守はギアをトップに戻した。

「東京は春だね」
「寝ろっつってんだろ」
「皆守の誕生日だ」
「今日じゃないけどな」
「皆守は春産まれ」
「あ、くそ、パーキング通り過ぎちまった」
「産まれてよかった?」
「お前は死なない」
「《宝探し屋》だから?」
「俺が守るから」

 葉佩が口を閉じた。まじまじと皆守を見詰める。その視線に耐えつつ、こいつに通じるはずもなかったと皆守は深く後悔した。まだ呆けている葉佩は、本当に理解していないようだ。知らないのだろう。
 葉佩が何事か言い出すより早く、「忘れろ」と素早く投げつけた。が、葉佩はそれを受け取るどころか無視して素直な感想を述べた。

「・・・びっくりした」
「ああ、やっぱり通じてないのか」
「皆守は俺を守るんだろ?」
「違う、そういう意味じゃない」
「俺は別に、お前に守ってもらうほど弱くないけど」
「このままガードレール突き破って二人仲良く谷底にダイブしたくなかったら黙れ」
「動揺しすぎだろ、そんなに俺が好きなのお前?」
「俺は生きててよかったなんて、これっぽっちも思ってない」
「え、あ、ああ、やっぱりね」
「死にたい訳じゃないが、生きたいとも思わない」
「うん」
「生きててもろくな事がない」
「うん、俺もだよ」

 葉佩が満足したような顔で目を閉じた。

「でもお前には生きてて欲しい」
「え?」
「ちなみに綾波だ」
「?」
「あと、お前は疲れると面倒臭くなるから、とっとと寝ろ」

 そう言って皆守が煙草に火を点けると、葉佩の手が伸びてきて唇からそれを奪った。それというのは、皆守のファーストキスではない、という事実を、念のため記しておく。

 皆守の発言は不発に終わったが、葉佩の言葉は過たず伝わっていた。
 世界は優しくないけど、どうか死を選ばないで。先程からしつこく繰り返される問いがそんな言葉なのだと、皆守は不本意ながら理解していた。